雨降り

幽霊について

いかにして 2018 年夏をやりすごしたか(1)映画編

2018 年の夏は「人類、やってしまったなあ」という感じがして、正気を保つのがいよいよ難しかったです。

そんな夏に見た映画。

 

7 月 9 日(月)『ウィンチェスターハウス アメリカで最も呪われた屋敷

winchesterhouse.jp

ウィンチェスター銃の開発と販売で莫大な財を築いたウィンチェスター家の当主サラは屋敷の改築をし続け、500 もの居室を抱える奇怪な城に住んでいた。

ホラーというよりは「わ! びっくりした!」っていう感じの映画でした。道徳がかっちりした世界で、そういう部分では安心して楽しみ、びっくり箱演出で「うわっ」となりました。死者が銃を通じて実力行使をする、その銃の「死者と生者をつなぐ」というイメージがおもしろかったかな。

 

8 月 4 日(土)『カメラを止めるな!

kametome.net

ゾンビ映画の撮影に賭ける監督の「カメラを止めるな!」という声が廃墟にこだまして……

バックステージものが好きな人にはたまらない、楽しい映画でした。最初の 30 分に事件が起こって、その後種明かしが始まるのはすごくよくできたサスペンスドラマのようでもあって、わくわくするし、笑いも止まらないし、涙も出るし、感情が爆発できて素敵な二時間でした。「素敵な映画」という言葉がぴったりだと思います。

 

8 月 4 日(土)『ミッション:インポッシブル/フォールアウト
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イーサン・ハントはプルトニウムを奪い返して人類を危機から救う。

『ローグ・ネイション』の勢いが止まらなくて生まれたとしか思えない珍作。冒頭の方では「そりゃないでしょ」ってことが続くのですが、二次関数的にどうでもよくなる。ポイントのひとつめが、イーサン・ハントがアイドルではなく主体だったということ。彼が全身で「死ぬかもしれない」「やばい」「今ほんとに死ぬかと思った」という表情をしているので、これまでみんなのスターでアイドルだったイーサンが初めて主体になったという気がしました。そして次に、そのイーサンの目から見るとベンジーはじめチームのみんなががすっかり頼れる存在で、みんながアイドル的にかっこよかったということ。特にベンジーがかっこよかった。イーサンの視点で世界を見るとなかなかこの世も輝いており、一瞬とはいえ憩いました。

また、私はどうもイーサン・ハントと女性の好みが似ているようで、「わかります、その気持ち」と思うことが多かったです。 

 

8 月 10 日(金)『沖縄スパイ戦史

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沖縄で住民を巻き込んで行われたスパイ戦を追った渾身のルポ。太平洋戦争末期にあって、少年たちを巻き込み、住民同士を監視させたその作戦の全貌が見渡せます。

戦争の法律は庶民や一般の兵士たちのことは守ってくれないと頭では知っていたことが身にしみました。少年兵たちを編成して作戦を遂行した隊長も当時は二十代になったばかりの若者で、将来の夢は学校の先生だったそうです。それが戦中のあれやこれやでスパイ教育を受け、沖縄での作戦に参加することになり、戦後はそのことにずっと苦しみ続けた。また、互いを監視しあった住民たちに話をうかがうと、中には激高してしまう方もいて、その人にとっては戦争はまだ終わっていないんだ、終わらないんだと思いました。

罪の構造の中に投げ込まれて、その構造をたたき壊すことも、そこから逃げることもできない、そういった苦しみを太平洋戦争、第二次世界大戦は今もって生み続けているんだと思いました。

 

8 月 15 日(水)『7号室』

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ビデオ個室店の7号室にある人物は死体を隠し、別の人物は麻薬を隠す。

商売がうまく行かずに食い詰めている中年男と、大学をかろうじて卒業できたものの、学費のために負った借金に追い詰められている若者とのドタバタ。途中まではかなりおもしろいです。「今、話全体の三分の二くらいまで来たのかな」と思っていると突然終わるので「あれっ」となります。でもそこまではかなりおもしろいです。

 

8 月 15 日(水)『ウィンド・リバー

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雪原に少女の死体がある。

生きる速度の違う人物がぱっと現れて、間違えて、反省して、その土地の時間と寒さの中でじっと耐えてそして生き残る。そのとき、生き残ることができなかった人もともにある。そういうことが実現している。生き残った人物と逝ってしまった人物(たち)の間で主人公がやはりずっと耐えて、見つめて、そして話しかけ、朗読する。

 

8 月 18 日(土)『バンクシーを盗んだ男

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パレスチナイスラエルの間にある壁。この壁にバンクシーはいくつか絵を残した。そのうちの一枚、「ロバと兵士」が物議を醸すことになる。パレスチナ人はロバは自分たちを貶める意図をもって描かれたもの、と怒り、その絵を売り飛ばすことに決めた。

この件は全然終わっていないので、マイクを向けられた人々がとにかく主張するし、その主張のひとつひとつが長い。「字幕を読むのが大変」なんて初めて味わいました。途中で芸術作品とその文脈ってことにかんして議論が行われるけど、あのくだりのせいで壁そのものについての視点が弱まった気がする。

 

8 月 18 日(土)『オーシャンズ8』

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デビーは刑務所を仮出所すると、墓参し、ルーに迎えに来させた。ルーは外でデビーを待っていた。

 まず、デビーとルーのツーショットの豪華なこと。「平凡な主婦」のふりをしているタミーの喜びに溢れた姿。始終嬉々としているダフネ。いざというときに予想外の仕方で頼りになるローズ。楽しかった。デビーを演じたサンドラ・ブロックの、だれが相手でも二人組になるとなんとも言えず絵になり、相手を美しくしてしまう希有な才能にうっとりしました。今後の人生はこの映画のように行きたい。

 

まとめ

この夏は『ウィンド・リバー』の印象が強くて、見て即サントラを買いました。夏中聴いていましたが、それで涼しくなるということは残念ながらありませんでした。秋、冬と引き続き聴いていこうと思います。

沖縄スパイ戦史』も『ウィンド・リバー』もそして『オーシャンズ8』も日々が死者とともにあるという点にかんして共通していました。この姿勢を基本とする限りは踏み外さないで済むかしらと自分にも期待しています。

2018 年上半期を一ヶ月かけて振り返る(4)國分功一郎『中動態の世界 意志と責任の考古学』

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 昨年来、話題の本です。今年になってゆっくり読みました。

以下、非常に漠然とではありますが、『中動態の世界』を読みながら考えたことのメモです。引用はすべて同書より。

 

人は、何らかの理由から疑問を感じているのに同意してしまう場合がある。つまり、暴力によって「あらゆる可能性を閉ざ」されているわけではないが、かといって自発的でもない、にもかかわらず同意してしまうことがありうる(ハラスメントにおいてはこうしたケースが問題になる)。

間違っているとわかっているのにはっきりとノーと言えず、従ってしまう、そういうことは誰の身にも起こりえます。

映画『マッドマックス』ではこんなシーンがあります。

マックスの同僚、グースの車がトッカッターに襲撃されます。横転して、車から出てこられないグース、その車からはガソリンがこぼれだしていて、それに火をつけろと、トッカーターがジョニーに命令します。ジョニーは何もそこまでする必要はないと嫌がり、怖がりますが、結局は脅されて、半ば事故的に火をつけてしまいます。

仮にこれが正当な手続きを踏んで取り調べに至ったとして、トッカーターは「やったのはジョニーだ」と言い逃れするだろうことは目に見えています。ジョニーは二重三重にこの殺人事件にとらわれることになります。まずは自分が直接手を下してしまった、加害者だということ。次に、脅されて、命令されてそうした、被害者だということ、さらに、そうした命令に今後より一層背けないだろうこと、そうした種類の違う苦しみがすっぽりとトッカーターとジョニーとグースを覆っていて、ジョニーは精算することも逃げ出すこともできないのです。

『マッドマックス』を持ち出すまでもなく、こうしたことは日常的に見ることができます。不正、偽装、改竄といった文字が一度も目に入らず一日を送ることは、もはや不可能な社会に私は生きています。具体的に書類を改竄した人はたったひとりでも、その人が改竄に至る構造の中には大勢の人がいて、そのどこかには能動的に行為をしたわけではないけれど、違法なことに部下たちが手を染めることを黙認あるいは脅して命令した人がいて、実際に行為を遂行したわけではないというその一点で責任を取らずに済ませているのです(そしてそのことが世界中、誰の目にも明らかだというところも、すごい事態です)。

だけど何らかの意味で違法なことに手を染め、他の誰かの身心や財産などを傷つけているという事実は、それが暴力だと記述され対象化されない限り、ケリがつくことはなく、被害は重なり続けることでしょう。それを「違法行為」「暴力行為」と認めない以上、一度その主体になると、自分を正当化し続けなければならないし、どうしたって繰り返すことになります。

「強制ではないよ」という構えを持ったまま、相手に何かをさせて、その結果に自分は責任を負わないということになると、その人(あるいはその組織)はいつまでもいつまでも暴力構造の一部であり続けるわけで、現実問題そのようなものに巻き込まれたら被害者は「関係を絶つ」以外に選択肢がなく、「被害からの回復」は(一旦は)諦めさえしなければなりません。

 

しかし、強制ではないが自発的でもなく、自発的ではないが同意している、そうした事態は十分に考えられる。というか、そうした事態は日常にあふれている。それが見えなくなっているのは、強制か自発かという対立で、すなわち能動か受動かという対立で物事を眺めているからである。

 

能動か受動かという対立で物事を眺めている限り、公文書改竄で自殺した職員はじめ各ハラスメントの被害者は「完全に受動であったか」「ほかに選択肢があったのではないか」「自分の意志がすこしもそこになかったのか」と言った問い詰め方をされてしまいます。別に背中に銃口を突きつけられて書類にサインをしたわけではないだろう、それなら自己責任だ、という具合に。

 

非自発的同意を行為から排除することは、単に行為の記述として不十分なだけではない。それは看過できない重大な帰結を招き寄せる。非自発的同意を行為の一類型として認めないならば、ある同意に関して、「同意したのだから自発的であったのだ」と見なされてしまう可能性が出てくる。

 

「非自発的同意」について、同意した以上は自発的なもので、そこからどのような被害があろうとも自己責任だという拙速な議論がまかり通っているうちは学校や職場でのいじめ、各種ハラスメント、家庭内暴力、そして組織的な偽装、公文書改竄問題を解決に導く補助線はみつからないでしょう。

たとえば DV に悩む妻が夫の命令で借金を重ねてしまい、それが返せなくなるような事態を考えてみます。夫は当然「お前が勝手にやったことだ」と言い、挙げ句の果てには「そもそもお前の金遣いが荒いから」と言う。

このとき、妻側にしてみると、夫の命令によってさせられたことだから受動的なことだったのだけど、背中に銃口を突きつけられてやったわけではなく、実際に借金をしたのは自分で(特に書面上は)、借金は能動的な行為だったことになってしまう。

だからこうした事態が進行し始めて最初のうちは、判で押したように DV 被害者は「自分が悪い」と言います。強制されたとはいえ、同意したのは自分である、ならば悪いのは自分だ、というわけです。

この、ほんとうは強制されているのに、自らしていると思わされているような一連の過程を、どう記述していくべきか。特に相手が反射的に嘘を言うような人物であった場合、語れば語るほど嘘が強固になってしまうという別の問題もあるわけで、この問題から自由な日本語人は一人もいないのではないかと思います。

こうした観点から、#Me Too #We Too の活動は日本語圏でも根付いてほしいし、広く展開していってほしいと考えています。ハラスメントには上記のような構造があって、なかなかクリアカットに、「違法です」で終了とはならず、訴えるまでに時間がかかり、訴えてからも二重三重の被害にさらされます。さらに難しいのは、一度ハラスメントを無言で耐えた個人、その人には何の罪もないのですが、その「耐えた人がいる」という実績により、後の世代に問題が持ち越されるという事態です。

ハラスメント問題に限らず、暴力の構造のただ中にいるとき、それを言葉にして、他人に助けを求めるのはなかなか難しいし、勇気も体力も必要です。そのときはとにかく生き延びることだけに集中して、後で、ケリをつけるために動くということはことの性質からありうることと思います。「私もそうだった」として、以前の自分をとりまく環境がきわめて暴力的だったとじっくり語っていくことは、それがどのような構造下で起こったことなのか明らかにできる点で、語ることそれ自体に価値があると考えます。

私には、困難なときに心を寄せてくれた友人たちがいて、それでやってこられたという実感があります。だからあらゆる困難に心を寄せたいと思っていますし、できることはしたいと考えています。とりわけ、この「する」のに「される」という複雑な暴力の振るわれ方をどう語って明らかにしていくかということに関しては、勉強して、考えて、表現していきたいと考えています。

2018 年上半期を一ヶ月かけて振り返る(3)新しく好きになったアイドル

2018 年上半期、突然 PUFFY の良さがわかって、"Bring It !" というアルバムを買い、ちょいちょい聞いています。

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志村正彦が書いた "Bye Bye" を気に入ってこれにしました。他の曲もいいし、彼女たちの声も歌い方も好きです。このアルバムには入っていなかったのですが、「赤いブランコ」なんて素敵な曲もあるのですね。知らなかった。

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これが噂に聞く「歌いっぷりがいい」ということなのではないかなと思いました。結構正確で揺れない、でも「正確」という感想を抱かせる隙を与えない PUFFY の歌です。外で大勢が集まるところで聞きながら「みんなと聞いている」状況を楽しみつつも、どこか個人的に感情を揺さぶられもする、穏やかに進行する飲み会のような、彼女たちの歌です。

のんの「スーパーヒーローになりたい」もそういうところが良かったです。広いところでも狭いところでも、みんなと一緒でも二人でも一人でも聞ける。これが流れている街で一人で買い物したり映画観たりしたいです。

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星屑スキャットは今年知って、公開されていた「コスメティック・サイレン」の LIVE  動画を見て、その悠然たる歌いっぷりに一度で好きになった……というか、一時期はこの曲を聴かないと何もできない体にさえなりました。

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この堂々たる歌いっぷり、優雅さ。みんなにも一人一人にも向かっていく歌いっぷりに、自分がアイドル歌謡に期待していることの全部がここにあるなあと思いました。

PUFFYPUFFY で、のんはのんで、星屑スキャットは他ならぬ星屑スキャットなのですが、私にとってはアイドルです。2018 年、私のそばでアイドルとして現象しています。外に連れ出してくれるし、同時に、一人でいることを支えてくれるから。

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2018 年上半期を一ヶ月かけて振り返る(2)映画トップ 12 をフィギュアスケート女子シングル FS にたとえると

リンクサイドではコーチが余裕の表情です。名前がコールされました。選手、にやっと笑った後、こちらがひやっとするようなスピードでリンク中央に出、ぱっとポーズを決めます。
いきなり盛り上がる音楽、突然のトップスピード、そこから驚きの大きさ、「トリプルルッツからのコンビネーションジャンプ、3Lz+3T=スリー・ビルボード」! ミルドレッド! ディクソン! ウィロビー! 騒然とする場内、華麗なターンからなんとこれは美しい……「単独のトリプルフィリップ、3F=ロープ」。完璧なインサイド・エッジから跳ぶなめらかなカーヴが観客の心を鎮めます。続けて、まるでステップの一部のように構えもなくふわっと「ダブルアクセルからのコンビネーションジャンプ、2A+3T=馬を放つ」。どういう理屈で跳んだか今ひとつわかりません。二つ目の3Tが優雅です。これから先どうなるのでしょうか。
音楽が変わり、「フライングエントランスの足換えコンビネーションスピン=15 時 17 分、パリ行き」! 途中ちょっとぐらついたかに見えて、なんと振り付けのようです。不思議な演出ですが、場内は穏やかな雰囲気に満たされています。続けて、得意の「レイバックスピン=アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダル」。姿勢を変えるごとにスピードが上がる素晴らしいスピンです。おっと、選手、自分の勢いで目が回っているようです。大丈夫でしょうか。
さあ、後半、ほう、リンクを斜めにターンで突っ切ったかと思うとそのまま「トリプルループペンタゴン・ペーパーズ」! スケート好きにはたまらない、後半に入ってからトップスケーターが見せてくれる、スリーターンからの超特大ループ! 輪転機のSEが胸をざわつかせます……あっ、輪転機の音が電車に変わりましたね、これは、みんな大好きトップスケーターによる単独の「ダブルアクセルトレイン・ミッション」だ! よっ待ってました! 絶品です! 絶品です!
おやっ、電車のSEにこれは、ミッキーマーチ……? あっ、これは素晴らしい……「トリプルサルコウからの三連続ジャンプ 3S+2T+2Lo=フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法」。場内、すすり泣きが聞こえます。2Lo のあとの決然と走り去る演技が胸を打ちます。そこに突然の銃弾の音、こんなところで「単独のトリプルルッツ3Lz=ゲティ家の身代金」! これは驚きです。こんなところでまさかルッツが、それもこれほどに完璧にコントロールされたルッツが見られると誰が予想したでしょうか。まるで長い、長い助走から跳んだかのようなルッツをターンの直後、跳んで見せました! ああ、そして雨の音が重なり、「ステップシークエンス=万引き家族」へ。なんと多彩なステップ、多彩なターン。じっくりとリンクを大きく使って見せてくれます。涙が止まりません。
と、そこへこれはアデル……? いや、セリーヌ・ディオン、「コレオシークエンス=デッドプール 2」! 好き放題にバレエジャンプをぴょんこぴょんこ跳んでいます。今までのは一体何だったのか、選手、明らかに笑っています。場内、泣きながら笑っています。ああ、地球上すべての作家の心に俺ちゃんが住んでいたら誰も死なずに済むのに……そう、心はひとつです!
最後は「足換えのコンビネーションスピン=アベンジャーズ インフィニティ・ウォー」。くるーんくるーんと時間が戻ったり、戻らなかったり、やっぱり戻ったり、戻らなかったり、氷に足で書いた文字、Sorry……(バタッ)。えっ、これで終わり……!? まさか……えーーーーーーーどうなんのこれーーーーーーー!!

 

おしまい

2018 年上半期を一ヶ月かけて振り返る(1)劇場で見た映画

2018 年上半期、大変でした。

2018 年上半期には平昌オリンピックもあって、あそこからず〜っと毎週オリンピックを見ているような感じです。

基本的には「映画でも見なきゃやってられるかよ」といつも頭の隅で思っているのですが、それにしたって「スリー・ビルボード」も「デトロイト」も「フロリダ・プロジェクト」も「万引き家族」もこの半年にあって、「マンハント」や「トレイン・ミッション」もあって、やあやあ、大変な半年だったなあと思います。あんまり、魂のこもった映画ばかり続けて見ていると「これ、人類、走馬灯まわってるのかな?」と不安になるので、時には午後ローを眺めてひとの心を取り戻さなければいけない、そんな半年でした。劇場では 34 本拝見しました。以下、その簡単なメモです。見た順に「タイトル/おすすめポイント」を記しました。

  1. IT イット/こどもたちが夏休みで、光り輝く外に自転車で出かけていく毎日。なのにそれぞれに閉じ込められている感じがすごい。まぶしいのに密室。
  2. 最後のジェダイ(吹き替え)/私の手帳には「まずしい世界 おろかな世界 孤児たち とりかえしのつかないことをめぐる物語 みょうちきりんな映画」とあります。
  3. カンフートラベラー 南拳/2018年このあらすじがすごい大賞。「危機的状況に追い詰められた人類を救うため、未来からタイムスリップしてカンフーマスターに指導を受けるロボット戦士たちの奮闘を映す(シネマトゥデイより)」見ていない方には一読で理解不可能な文言では。あらすじをまとめた方には何の罪もありません。誰にも、何の罪もありません。 
  4. 勝手にふるえてろ/原作の雰囲気にすごくよく似てる。それが奇跡のように思える。
  5. スリー・ビルボード/「なにかがすこし遅れて届く」あるいは「思いがけない相手から届く」といったことの積み重ねで開放的なラストに至る。
  6. ダークタワー/人間が長くひらひらしたものをまとってくるくるターンしたりするのがいい。
  7. デトロイト/うぁぁぁ。
  8. パディントン2/みんな生き生きしてる。
  9. 修羅 黒衣の反逆/シリーズ:チャン・チェン、かっこいいのに、なんで……
  10. マンハント/人類に対する夢が広がります。
  11. はじまりのうた/ピカデリーの爆音祭りで見ることができました。全体に、節度があっていいです。節度飢えきびしいこの頃なればまたひとしおです。
  12. ロープ 戦場の生命線/後片付けや調整、微調整、といった「ととのえる」という仕事に「淡々」と「だらだら」の間のどこか、つまり、普通の構えで臨むみなさんを映してるだけで、すごくおもしろい。
  13. 15 時 17 分、パリ行き/「友達が酔っ払うといつもする話」みたいな味わい。
  14. ブラックパンサー/きれい。
  15. シェイプ・オブ・ウォーター/生命力がぶわっと香る。
  16. 花咲くころ/ひどくリアルに、むき出しで進む話の中で、銃の経緯だけが映画的。
  17. 空海空海の歩く後ろ姿が意外ときれいでよかったです。
  18. しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイス/誰とペアを組んでも違和感があるイーサン・ホークですが、サリー・ホーキンスとのタッグはそこがとても良かった。この夫婦、この物語に合ってた。
  19. 長江 愛の詩/長江を遡ると、時間も遡る……
  20. 馬を放つ/なにかが失われていくという事態を「告発」とも「糾弾」とも違う文体で描いている。
  21. 毛虫のボロ/ど迫力。
  22. トレイン・ミッション/好きすぎて説明できない。どのシーンもつぶつぶとして、大好き。エンドクレジット大賞を差し上げたい。
  23. ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書/ケイがメガネをもじもじと触りつつも、口角は決して下げず、目をそらさず、あからさまに自分を軽んじている相手と対峙していること、それをわかってくれる人が思いがけないところにいることなど、今思い出してもどきどきしちゃう。輪転機の音に震えました。
  24. アベンジャーズ インフィニティ・ウォー/トニー・スタークがこの後どうするのか。ドクター・ストレンジスパイダーマンの最後の言葉が気になります。「気になります」の状態のまま来年まで待たねばならない。
  25. タクシー運転手 約束は海を越えて/実話もののラストに本人の映像が入るのが苦手なんですが、これはそれがあってよかった。この映画をつくって公開にこぎつけた皆さんのノンフィクション部分がそこに凝縮されていて。
  26. アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダル/すでに公式の場でトーニャからナンシーへの謝罪があって、それとは別にドキュメンタリーがつくられたこともあって、その上でまたこの映画が制作されて、そしてほかならぬこの映画がほんと素晴らしくて、そういうところに、「アメリカ」あるいは「アメリカ人」が繰り返しトーニャ(とナンシー)に謝罪しているんだなあというようなことを考えました。
  27. ピーターラビット/ぎゅっと詰まっててとても楽しかった。
  28. ゲティ家の身代金/元実話ものにつきものの非物語的なところがなくて、きちきちっと言動が積み重なってラストに至るのが見事でした。
  29. デッドプール 2/とても清潔な話だと思いました。
  30. いつだってやめられる 10 人の怒れる教授たち/イタリアの、職にあぶれた研究者のみなさんがなぜか麻薬捜査にかり出され……というお話でとにかくめっぽう楽しい。三部作の真ん中。前後が見たいです。
  31. フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法/それでも、この子たちもいつか、何かに背中を向けて立ち去っていく、立ち去っていかなければならないという作り手の気持ちが映像になっていて、今思い出しても「……!」という気持ちになる。
  32. 万引き家族/じっくり、ゆっくり見せてくれる。それが「タメ」とか「間」とかそういったものではなく、ほんとに愛するのに必要な時間としてあって、満足ゆくまで見ていられて、自然に愛せる。
  33. リミット・オブ・アサシン/「ジョン・ウィック」とはまた違ったみょうちきりん感。とても楽しい映画。
  34. ビューティフル・デイジョーの言葉のなかにすっぽりはまって、その中で彼や彼女の息づかいを聴いている感じだった。
  35. 女神の見えざる手/「一方、このときスローンさんは実は……」と常に常に想像させられる。見つつ想像しつつ裏切られつつ。そしてラストが最高なの。
  36. ドリーム/「宇宙に出る」なんて最先端のことをしながら、棟から棟に移動するには走らなければならず、人種差別があり性差別があり、一人一人たった一回の人生を素人として懸命に歩まなければいけない感じがテンポ良く、つまり余裕をもって映し出されていて、素直にがんばろうと思えた。

☆後で、名画座で「女神の見えざる手」と「ドリーム」の二本立てを見ていたことを思い出し、あわてて追加しました。

イーサン・ホークは好きですか?(2)

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このところ絶好調のイーサン・ホークさんです。年度の切れ目でも何でもありませんが、この辺りですこし整理して、秋公開の新作に備えたいと思います。

 

〜最近のイーサン・ホークさん:積極的におじいさんになろうとしている期一覧〜

☆以下のリストは「タイトル/原題/監督/イーサンの仕事/見たか見ていないか。見た場合は何で見たか/(あれば)補足」の順になっております。

☆ちなみに、以前のイーサン・ホークさんについては以下に雑にまとめてあります。

poolame.hatenablog.com

 

  • シーモアさんと、大人のための人生入門/Symour : an Introduction/イーサン・ホーク/本人/劇場/ピアノ教師シーモアバーンスタインさんのコンサートを軸にその日常を追ったドキュメンタリーで、イーサンの仕事に対する献身ぶりや、勤勉さ、そして華やかさが見られます。役を演じていないときのイーサンがうっすら光って見えるのは、私の問題でしょうか。その可能性は十分にあります。でも「この人、こんな感じだけどやっぱりスターなんだなあ」という感じが味わえます。バーンスタインさんのお話も演奏もゆっくり聴くことができて、穏やかに楽しむことができます。おすすめです。
  • Ten Thousand Sains(原題)/シャリ・スプリンガー・バーマン&ロバート・プルシーニ/窓から息子の部屋に入って息子に嫌がられる父親(予告編情報)/未見/イーサンは主人公の父親? 結構評判がいいのに日本未公開。公開されるまであきらめません。
  • マギーズ・プラン 幸せのあとしまつ/Maggie's Plan/レベッカ・ミラー/妻と恋人の間でふらふらするジョン/劇場/ジョンさんは人類学かなんかの研究者なんですけど、突然小説を書き出すんです。そんで、それを読んでくれたマギーに恋しちゃう。恋して、妻とは離婚して、結婚しちゃう。そして子育てしながら小説を書くのですが、その小説が(当人たちには申し訳ないのですが)笑ってしまうほど書き終わらない。見ながら思わず「ぁぁぁぁぁ」と声に出してしまいました。いかに書き終わらないか、今のジョンがいかにぐだぐだか、って話をマギーとジョンの前妻が話すくだりが最高です。イーサンはこの、きれいな色の映画の世界をふらふらと浮かぶ枯れ葉のような味わい。あほなんですけどね。私たちと同じ程度にあほなんです。このイーサンは「親しい友人の配偶者感」があっておもしろいです。おすすめです。

    poolame.hatenablog.com

  • ブルーに生まれついて/Born to Be Blue/ロバート・バドロー/チェット・ベイカー/劇場/近年では貴重な、イーサンの甘い声が聞けます。実話から取っているのでちょっと単調だけど、おすすめです。
  • バレー・オブ・バイオレンス/In a Valley of Violence/タイ・ウェスト/犬と旅する男、ポール/DVD/華麗にDVDスルー。ひどい。ジョン・トラボルタと共演なのに。これはたいへんシンプルにバイオレンスで風がびゅわーーーーーーーーっと吹いて、イーサンは泣いたり怖がったりしつつも粘り強くて、つまりいつものイーサンですが、おもしろかったです。おすすめ。
  • マグニフィセント・セブン/The Magnificent Seven/アントワーン・フークア/グッドナイト・ロビショー/最高でした。イーサンがダメそうな感じで、大丈夫なのかなって感じで登場して、実際ダメで、もう、それだけで最高なのに、イ・ビョンホンに「もどってくると思ってた」とか言われちゃったりして、そんでにやにやしたりして、もう、最高すぎて。言うまでもありませんが、おすすめ。
  • 幸せの絵の具 愛を描く人モード・ルイス/MAUDIE/アシュリング・ウォルシュ/エベレット・ルイス/粗暴で人もよりつかない男をイーサンがナチュラルに熱演。粗暴一直線な男もモードと暮らしながら、ずるずるぐいぐいと彼女のペースに巻き込まれ、最終的には彼女を足の甲に乗せて踊るという高度な技を披露。さすがです。巻き込まれるときのずるずるっとした感じはイーサンならでは。おすすめ。
  • ヴァレリアン 千の惑星の救世主/Valerian and the City of a Thousand Planets/リュック・ベッソン/客引きジョリー/未見/これを見てこそのイーサン・ファンだと思います。痛恨のきわみ。「イーサン、3 分しか出てない」という噂を聞いて腰が引けているうちに終わってしまいました。名画座でかかったらぜひ行きたいと思います。
  • リミット・オブ・アサシン/24 hours to live/ブライアン・スムルツ/引退させてもらえない殺し屋トラヴィスコンラッド/劇場/あと 24 時間であなたは死ぬ、と言われた殺し屋が残り 24 時間で何をするかと言うと……と、新鮮味などさっぱりと放棄して、海辺で酒を飲むイーサン、義理の父親に説教されるイーサン、黒縁メガネに水色のシャツのイーサン、ハニートラップを試みるイーサン、うっかりきっちり胸に弾丸を埋め込まれてしまうイーサン、女性に優しい、ということも特にないがかといって女性だからと言って居丈高になるわけでもない、ふつうのイーサン、親友のいるイーサン、死に神を見てしまうイーサンなど、93 分、たっぷりイーサンを見せてくれます。「ジョン・ウィック」の世界に放り込まれたいつも通りのイーサンがまぶしく、いい感じに楽しいです。おすすめです。
  • リグレッション/Regression/アレハンドロ・アメナーバル/ブルース・ケナー/未見。2018 年 9 月 15 日ついに日本公開/これもう、DVDスルーなのかなあと思ってました。半分諦めていただけにうれしさもひとしおです。このイーサンは刑事。頼りになるのかしら。イーサンだけに、油断できません!

    イーサン・ホークとエマ・ワトソン共演、A・アメナーバル監督「リグレッション」公開 - 映画ナタリー

 

といわけで、この数年、絶好調のイーサン・ホークさんです。出る映画出る映画世界中で大ヒット……というわけではありませんが、「イーサン・ホークが出ていればおもしろい」という評判はかたまりつつあるのではないでしょうか。少なくとも、私の認識としては完全にそうです。

マグニフィセント・セブン」を見たとき、「時代はイーサンだ」と確信しました。すっと立ったときの、おびえた表情と焦り、勤勉でありたいと努力しつつもスピリチュアルなものに弱く、予感や運命に怯えている、その構えに「今の人だなあ」とばりばり感じます。ヒーロー役は無理でも、その構えのまま、映画界を縦横無尽に行き来してほしいです。

オープンで情熱的だけど、孤独。だからバディものをやるとちょっと変な感じになるイーサンです。そんなイーサン・ホークの新作が公開される限りは何がどうというわけではないけど、まだ大丈夫。

トニー・スタークに賭ける

サノスみたいに、起きて寝言を言うタイプの人はどうすればいいのかなって思いました。

起きた状態で真剣に寝言を言って、しかもそれを実現しようとする人の厄介さは格別なものがあります。周りが「寝言は寝て言え」と釘を刺したくらいでは決してやめず、じゃあってんでよってたかって説得工作に出たりしようものなら情熱はいよいよ強くなるばかりで、その過程で「完全におかしなことになってるぞ」という事態が出来しても引き返してくれない。

「やめる」とか「棚上げする」とか、そういうことがどうしてもできなくて、まわりからは「あいつは言い出したら聞かないから」と天災扱いになっている。そんな人がみなさんのまわりにもいるんじゃないかと思いますが、私のまわりにもいます。辛いです。

人類は、こういった寝言に言葉で対処するための決定的なアイデアをまだ持っていないように思います。

なんと言っても、彼らには意志があります。正確に言うと、本人が意志と信じている心理的・身体的状態があり、このせいで彼ら……サノスはひっこみがつかない。

サノスの場合は特に「よかれと思って」やっているわけだから、よりひっこみがつかない。

サノスの故郷は、ジェノサイドにより荒廃しています。彼のアイデアによれば今頃復興できているはずなのに、そうなってないという重大な事実に目をつぶり、人間が半分になればバランスが回復して万事まるくおさまるという恐ろしく雑な妄想の実現に邁進するサノスさんです。

どんな反証も彼の意志を変えることはできないでしょう。なにせ、積み重ねた思考ではなく、意志だから。

一方、アベンジャーズガーディアンズが属す現実の側には事情があり、はりめぐらされたネットがあり、失って困るものがあります。

多数派に属しているように見えるかもしれないが、実際には個々に独立している。それぞれに了見と事情があり、サノスとそのチームのように単純ではない。

彼ら彼女らはいつもサノスの意志に脅されている。サノスの言葉に耳を傾けてなにかこうかくっとずらされたような感じを味わいつつ、現状において彼との対話は無理であることを予測しつつ、対話を試みるが、サノスのシンプルな恫喝や脅しの前にリアルな事情や了見や愛情やまして、しがらみなどひとたまりもない。

そうこうしているうちに大事なものを失う。

自由と命を失うのだ。

サノスは全宇宙のバランスを保つためにジェノサイドを行わなければならないという意志に取り憑かれていて、この突拍子もないアイデアのために、アベンジャーズガーディアンズも最初から後手を踏まされている。

これはどこからどう見ても負け試合。

ただこちらには一つだけ希望が残っていて、それがトニー・スタークという人だ。トニーは整備士で、壊れた物を直し、改良し、そこからアイデアを得て新しい物を生み出し、そしてまた直し、ということを繰り返して生きている。彼は常に目の前の現実を整備することに尽力してきた。

トニーは意志と物語のロジックとは別のところにいて、決して大きな物語に回収されることがない。彼が紡ぐのは小さなスピーチに過ぎない。ほんの少し目の前のことをよくするだけの、小さな話の積み重ねがトニー・スタークで、そんな彼がいるということだけが、希望をつなぐ。

「インフィニティ・ウォー」とは、そんなお話。トニー・スタークに賭けてみようと映画は言っている。ぎりぎり、悪くない話なような気がする。

と、いうわけで「アベンジャーズ」はどこか、人を真面目な気持ちにさせてしまうシリーズです。

特に前作「エイジ・オブ・ウルトロン」はまじめが極まって、「早朝、産経日経読売毎日朝日東京赤旗と新聞をなめるように読み尽くし、その後ネットでもニュースをチェックした」くらいの疲労に包まれました。

それで「アベンジャーズは卒業しよう。まじめすぎる」と思ったのですが、「アントマン」と「ドクター・ストレンジ」「スパイダーマン:ホームカミング」「ブラックパンサー」によりまんまと引き戻され、「インフィニティ・ウォー」に至っては二回見てしまいました。トニーはじめ、どんどん人々の表情が研ぎ澄まされていって、今作に至っては全員天使なんじゃないかと思いました。特にロケットの目が印象に残りました。目の演技が印象に残るなんて、映画ならではだなあと思います。

そんなわけでびっくりしたし、とても悲しかったけど、大満足です。

 

※アップ時、サノスさんの名前を間違えて「サウル」としていました。申し訳ありません。サウルさんは息子を担いで移動した人でした。「サ」しかいっしょじゃなかったです。ごめんなさい。

 

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「歌って踊るカワイイ女の子がいる限り、世界は楽しい」かどうか。

日々へとへとで疲労回復の機会もないと、人はアイドルにはまりやすい状態になるといいます。もしそうなら今、日本全国でアイドルにはまりやすい状態がきわまっていると考えられ、誰もが「一歩先は沼」なのかもしれません。

私はこどものころからアイドル歌謡に親しんでおりまして、人生の岐路において突然はまったということはないのですが、この 15 年くらいはももちと Perfume がアイドル生活の中心にあります。ももちは史上初おばあちゃんアイドルになってくれると思っていたので、実はここだけの話、彼女の引退から何一つ立ち直っていません。と、同時に、テレビをつけると「こんな世界にももちはもったいない。引退してくれて良かった」とも思え、乱れるファン心です。

今年二月に解散したアイドルネッサンスは CD を買った途端解散だったので、びっくりしたのですが、この「途上にある人」というモチーフだと続けてあと一年くらいなのかなあとも思っていました。

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こんな作品がひとつでも出来れば十分成功だよなあとも思っていました。癖のない歌い方で、この歌なら未来があるんじゃないかなあ、アイドルグループとしては解散してボーカルグループとして再出発すればいいんじゃないかなあとか妄想しているうちに石野理子赤い公園のフロントに収まっていてこれまたびっくり。この数年アイドルポップスの周辺で起きた事件としては最高の部類に属す素敵なニュースでした。

Perfume の「If you wanna」は思いのほか胸の高まりが持続していて、発売後すぐに買ってしばらくはリピートが止まらず、それが若干治まった今でも「朝の一曲」に選ぶことが多いです。朝一はこれか、「ドリーム(Hidden Figures)」のサントラで元気出します。

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Perfume は顔が重くて好きです。芸能界以外で働いている、同じような年齢の女の子たちと変わらない重みのある顔で、かつ麗しい、理想のポップスターです。

私立恵比寿中学のこの『感情電車』もしょっちゅう聴きます。これで一本映画ができそうなスケールの大きさがあって、MV も映画のような雰囲気でとても素敵です。

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「歌いたいと思ってる人が歌いたいと心から思えることを歌っていける状況」が続くこと。それがアイドル歌謡に関して私の望んでいることで、Perfume みたいな特殊な状況を除けば、作詞作曲も自分でできるようにならない限りはそれは非常に難しいというのが現状なんだろうと思います。

たとえば、〈暴力に際して最初にノーって言わないならそれだって同罪だ、一旦受け入れたのなら自己責任だぞ〉というような歌詞を渡されてそれを歌わなければいけないとしたら、じゃあ、「ノー」です、私この歌詞に対して確信が持てない、この歌をリリースすることが良いことだと思えない、と若い人が毅然と言えるか、そしてそれが意見として受け入れられるかっていうとどうなのか。そんな歌詞を書いて、そんな歌詞のリリースを決定した以上は受け入れないと理屈が合わないんじゃないの。

このポイントでこういうリスクがあって、こっち行くとこういうリスクがあって、そっち行くとリスクどころの話じゃなくデンジャーがあって、というような話ばかりしているところに若い人をしばりつけておくのは酷だし、ましてや「自己責任」という加害者側に都合のいい言葉を歌い手にも聞き手にも飲み込ませるなんて、誰にもどこにもいいことがない。

モーニング娘。の話ですけど。若い人の無理や自己犠牲をあてにしたシステムなら今すぐ店じまいにした方がましだと思うほど、時々、ひどい曲をリリースする。「歌わされている」と解釈するのがベストであるようなひどい曲。作家(この場合はつんく)はメディアがあるんだから、自分の意見としてツイッターやなんかで発信する限りは自由だけど、例えば「A gonna」を今、このタイミングで若い人たちに歌わせているという事態を甘く考えすぎている。

トニー・スタークはピーター・パーカーをそんな風には扱わない。トニーがピーターの顔を見る度「家に帰れ」「学校に行け」というのは「安全を確保しろ」「力を蓄えろ」ということで、さらに言うと、「矢面には私が立っているし、責任は私が取るから、心配なんかしないで君はそこで力を蓄えていなさい。助けてほしいときは言いなさい。私もそうするから」と言っているわけで、そのトニーがいてこそ、アベンジャーズチームの中でスパイダーマンはアイドルとして輝くわけで、ついでにいうとロケットがいるからグルートはかわいいわけで。

竹中夏海先生の名著『IDOL DANCE !!! 歌って踊るカワイイ女の子がいる限り、世界は楽しい』のタイトルは「歌いたい、踊りたいという女の子が歌って踊っていられる世界なら、その世界は間違いなく楽しい」という意味であって、「歌って踊るカワイイ女の子」が「楽しい世界」を創るわけではないと思う。女の子は世界の部品じゃない。「歌って踊るカワイイ女の子」がいるためには、先に世界が楽しくならなきゃいけないし、世界が楽しく、優雅に、静かに維持されて初めて、「歌って踊りたい」っていう夢が現実になるんだと思います。若い子に奉仕を求めないで。

 

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花粉症をこれで耐えました 2018

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こ〜と〜し〜かふんがつらかった〜。

ライディーンの節で歌ってしまうほど、花粉が大量でした。毎年さほど辛いということもなく、ただ「あ、花粉が飛んでいるな」と感知できて、目がかゆい、多少、目を取りだして洗濯したい気がする程度で収まっていたのですが、今年は大爆発。息が止まりました。

話は変わるのですが、子どもの頃から面倒くさがりで薬を飲まない。たまたま、かかりつけ医も風邪くらいでは薬を処方しない方。

そんなわけで花粉症発症より 20 年くらいずっと薬を飲まずにやってきました。

が、今年はなにせ息が止まりましたので、薬を摂取しました。そのときの私のテーマソング。

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「薬よ頼む、効いてくれ」という曲です。さすが病弱バンド。

薬は効きました。ほんとにすばらしい。化学ばんざい。

このようにして薬を飲んで、なんとか息が出来るところまで症状を抑え込むことはできたものの、基本的に自分のまわりに膜があり、ぼわんとしており、ぼわんとしておるわりにはちくちくしている日々。

そんな日々に聞いていたのがこの曲です。

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なにを考えているのかさっぱりわかりませんが、ラブがバーンアウトしてフェイダウェ〜〜〜〜〜イなのは痛いほどわかります。

私もこの春は世界に居場所を失っておりましたので。世界との一体感はゼロでした。

そして、うすらぼんやりした頭にはこの曲も相当いい感じに響きました。

と、kirinji の "Mr. BOOGIEMAN" を紹介しようとしたらこの曲はヴィデオを作っていないのですね。なんということでしょう! 今からでもいい、つくるべきです。この曲が収められているアルバム『ネオ』は 2016 年発売だったのですが、今春、私のなかで突然の大ブレイク。

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とはいえ、うすらぼんやりとえへらえへらしてばかりもいられないので、ときにはこんな曲を聴いてがんばりました。

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よし! やるぞー! と一瞬本気を出して、夜にはへとへとになってこんな曲。

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最高。Laura Veirs の新曲。これだけ今年リリースの曲。この新譜を待ち望んでいました。買った日は待ちきれず、マンションの入り口でべりべりと袋から出して、部屋にたどりつくなり聞きました。

この、ちょっとぱさぱさした質感の声で夜はほっとしていました。このアルバム、12曲入りで 40 分ない。おしみない。

落ちた後でうっかり立ち直る

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原題:Centaur

監督:アクタン・アリム・クバト

2017 年 キルギス、フランス、ドイツ、オランダ、日本

馬の神話を信じる男が、馬で財を築く男の家に忍び込んで馬を野に放つ。

予告と違って、主人公には秘密といえるような秘密はないし(村中が知っている)、信念といえるほどの強固な思いもありません。

ただ、馬が好きで、女性が好きで、映画がちょっと好き。馬は度を超して好き。野を駆ける馬の背で両手を広げる彼は空を駆けるような解放感を見せてくれます。でもその馬、この後どうするのかな? と思って見ていると……

出来事だけ追っていけば、村をめぐる情勢の変化についていけなかった男が、ちょいちょい逸脱した行動をしてしまい、なんとか彼に共同体の中で居場所をもってほしいと人々が尽力するものの、男は神の領域に足の小指の先の爪くらいはつっこんでいたので、供物になるしかなかった、と、とてもシンプルなお話だということになります。

ひとつの文化が失われていくなか、その変化についていく人々と、ついていけない男がいて、という対立に着目すれば、単純ですし、あらすじだけ追うと、ドラマの起点には必ずこの男の逸脱行為があるわけですから、そういう話に見えなくもない。

でも、そんな風に明確に対立しているわけではないのです。村の他の人々がグローバリゼーションにぐいぐい対応して、自分たちの文化をどんどん手放しているなんてことはなく、イスラム教とロシア正教の他に、昔からこの地に伝わっている信仰を大切にし、女たちが守ってきたというこの地の歴史に耳を傾け、伝統食を食べて、飲んで、働いて暮らしています。

それで「ケンタウロス」と呼ばれることもあるこの男が、じゃあ、どうかって言うと、家業とは全然関係のない映像技師の仕事をしていたこともあるし、妻子がいながら、とうに夫を亡くしたという美女の前でかっこつけてくどかんばかりのことをしている。

別に、全然状況の変化についていけていないわけではなく、どうもただちょっと、欲望に忠実なだけなような気がするケンタウロスさんです。

このケンタウロスさんが終盤、ある奇跡にかかわるのですが、そこのつながりはあるようなないような、まあ、多分、全然ないのだろうけど、あるということにしてもかまわないというのが村の総意です、という展開を見せます(「あるということにしてもかまわないというのが村の総意です」の部分は私の想像)。

特に高潔でもなければ純粋でもないダメ人間が右往左往している間に、ひっそりと奇跡が起こっていました。それがおもしろくて、見終わってちょっと経つのですがちょいちょい思い出してしまいます。

また、この映画を見たとき、私にもちょっとした奇跡が起こっていました。

この二年ほど、悩み事があって、どうにもならなくなったら病院に行くことも視野に入れなきゃなあ、というくらいのところにいました。その苦しみの原因は自分の考え方の誤りにあるということはわかっていたので、ずっと頭の中でそれをただすよう、「これとこれは別問題、つなげて考えない」「私ができるのはここまで」「やれることを一所懸命やる」「自分の能力をこえたことにかんしては考えない」といったことを呪文のように日々言い聞かせていました。でもその言葉が体から浮いたような状態が続いて、どうもうまくいかない日々を送っていたところ、この映画を見て、友人とお茶をして、彼女の話を聞きながら、その指先を見ているうちに、す〜〜〜っと、腑に落ちたのです。それでぱっと目の前が開けたような感じになってしまいました。

ケンタウロスさんはわりと最後、大変なことになるんですけど、でも、映画が終わったあと、新しく展開があるんじゃないかな、って未来を思わせるような鷹揚さと豊かさが『馬を放つ』にはあって、その雰囲気の中で友人が話して聞かせてくれた言葉が、ちょうど『スリー・ビルボード』でディクソンが遅れて届いた手紙を読んだときのような奇跡を私に起こしました。

 

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原題:Three Billboards Outside Ebbing, Missouri

監督:マーティン・マクドナー

2017 年 イギリス

ミルドレッドは娘を殺されて 7 ヶ月、進展しない捜査に業を煮やし、行動に出た。

これはほんとに最高でした。

今、予告を改めて見て、また見たくなってしまいました。

主人公ミルドレッドに、レイシストコップ、ディクソンがくってかかります。このディクソンがほんとにダメで情けなくて、出てきて即観客に伝わる「つける薬がない」感じ……。

ところがこのディクソンに、そしてミルドレッドに、それぞれひとつの奇跡が起きるのです。

ディクソンのところに遅れて届いた手紙。ミルドレッドの耳に届いた、思いがけない人物による思いがけない言葉。長く苦しんできた二人に起きたちょっとした奇跡がひらかれたラストにつながります。

ディクソンの中で苦しみと愛情が結びついて、未来がひらかれた瞬間、「ああ、こんなことが、あの人にも起きたらいいのにな」なんて、ある人のことを思っていました。なのに、奇跡は自分の身に起こってしまいました。うまく行かないものです。

ディクソンもミルドレッドも私も、この先どうなるかわからないけど、今は以前よりずっとずっと、ましな気分です。二人が運転している車に、今も自分が乗っているような気がしています。