雨降り

幽霊について

ざべすの気まぐれ日記『カンフートラベラー』

ざべすよ!

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おひさしぶりね。

雨子が見たばかりの「カンフー・トラベラー 南拳」のことをよくおぼえていない、思い出そうとすると眠くなるんだ、と言うので、ざべすが代わりにレポートします。

すっごくおもしろかったのよ!

宇宙人に攻められている地球が舞台で、この宇宙人が個別に近接戦をしかけてくるのよね。個々に向かってくるの。ざべす、そういえば、この時点で、なんでかなあと思いましたが(地球には損傷を与えず、人類のみ一掃したいからでは? ー雨子より)、それはおいといて、どうも宇宙人にはカンフーが効くらしいってことがわかって、みんなでカンフーをおぼえましょうって話になるんだけど、今からみんなでカンフーおぼえてたらその間に人類滅亡しますってことになって、じゃあ、AI 搭載のロボットにおぼえさせればいいんじゃない? ってことになるわけ。

ここまでいいかしら。

大丈夫よね。

まだこれで開始 10 分くらいよ。本題はこれからよ。

で、でも、もうこの時代にはカンフーのお師匠さんがいないって話になるの。不思議な髪型をした、主人公っぽい人が強そうに見えたのは何だったのか、とも思うんだけど、この人が「私の技では駄目」っていうの。じゃあ、タイムスリップすればってことになりまして、過去のどっかに AI を飛ばせて、そこでカンフーをマスターさせて、その、マスターしたカンフーのデータをチップだかなんだかに入力して、どっか決まったところに置いといたら回収できるから、それをロボットたちにおぼえさせて、宇宙人と戦わせると。

そういうお話でした。

ざべすこの時点で強烈に「あれっ」って思ったことがあるんだけど、雨子の目をのぞいたら「それを言ったらおしまいよ」って太ゴチックで書いてあったので言わないことにしました。

ざべす、タイムトラベルのお話はそういうわけでそれほど得意ではないんですけど、ほとんどずっとカンフーしてたのでおもしろかったわ。壁を上ったり、くるくる回ったり。爆発もたくさんしました。なんで爆発したのかしら? 雨子の話では愛もあったそうです。

おしまい。

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『勝手にふるえてろ』

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とどきますか、とどきません。光りかがやく手に入らないものばかり見つめているせいで、すでに手に入れたものたちは足元にころがるたくさんの屍になってライトさえ当たらず、私に踏まれてかかとの形にへこんでいるのです。             

          ……綿矢りさ勝手にふるえてろ』より、冒頭部分

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綿矢りさは新作を楽しみにしている作家で、『勝手にふるえてろ』も楽しくこそこそと読みました。開いたり閉じたりする表紙があって(つまり入り口と出口があって)、一人で読むしかなく、読んでいる間は他に何もできない、本という形態によく合った、ひそひそとした話が彼女の得意技で、であればこそ、映画化のニュースを聞いたときは「どうなるのかな」と思いました。映画は見ず知らずの人々と一緒に見るものだし、暗いところで見るとは言えちょっと気まずい思いをしそうだなあと、そんな心配をしていました。

たとえば、『ブリジット・ジョーンズの日記』は、小説と映画とでかなりトーンが違っていて、私は映画の方がちょっと苦手なのですが、なんでかなあと考えてみるに、小説の方はやっぱり一人で読むので、ためらいなくこの、日々じたばたしている女性の話にがぷりと寄り添えるのですが、映画だとすこし離れたところから見てしまうようなのです。原作は日記スタイルで、日々の彼女の失敗が「ああまたやってしまった」「反省した」「またやってしまった」と綴られていき、どういうわけか読んでいると読者である自分自身が日記帳それ自体であるような気分になってきて、「自分だけに打ち明けられている」という気持ちがするのです。それに、なんと言っても日記に「やってしまった」ということを書いては「明日からは」と決意表明を繰り返す彼女のことを考えると、書いていない部分も想像してしまうわけで、なんとかかんとか働いて生きているわけだから、傍から見たらそう、むちゃくちゃな人でもないんだろうとも思えるわけで、でもそれが映画だとほんとにむちゃくちゃな人で。

そういうことがこの『勝手にふるえてろ』でも起こってしまうのではないかなと心配していました。

原作の冒頭で、語り手=良香(よしか)はいきなりやけっぱちで、やけっぱちにもかかわらず「です・ます」の敬体で、そこに日々、彼女がその人生においてどこをどうして正気を保ってきたか、どうやってプライドを維持しているのかといったことがほのみえておもしろい。

この、内面では言葉が次から次へと出てきてとても饒舌で、じたばたあくせくしていながら、同時にきわめて堅実に暮らしている社会人であり、それなりに人間関係も安定してはいる良香さんがそっくりそのままスクリーンの中にいるのがおもしろかった。小説を読んでいるときに感じる親密さや、くすぐったい感じ、じれる感じ、恥ずかしさいらだたしさ、じんわりとした明るさがそのまま映画になっていて、こんなこと、映画で実現するんだあ、と思いました。

『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』を見て私も考えた

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みょうちきりんな映画でした。

思わず二回見てしまいました。字幕版と吹き替え版で一回ずつ。

おもしろかったです。

あっ、これは、も……

 

 

 

 

 

 

       ……っのすごく、変わった映画だな! と思いました。

まとまった感想がどうしても書けませんので、思いつくままに書きます。

 

1.まず最初に、ローズ問題

最初に小さな問題から。

ローズには人間味を感じませんでした。

「ディズニー映画を食わず嫌いで見ていない人が想像するディズニープリンセス」、あるいはやはり「食わず嫌いで宮崎あおいの出てくる映画を見ていない人が想像する宮崎あおいがやりそうな人物」で、人間というよりは物語の型のようでした。

もうちょっとくわしく言うと、ディズニーが捨てた古い物語の型、宮崎あおいが(おそらく)脱ぎすてた古いイメージそのもののような感じで、ローズだけちょっと抽象度が違っていて、出てくるたび不思議でした。

だから、キスシーンは逆におもしろいと言えば言えるのかなあ、という気もしないでもないです。

フィンという人は徹頭徹尾自分で考えて(あるいは反射的に)、自分で動く人で、なんとも言えない魅力があり、私にとってはほぼ「親戚の子」程度の重みがあり、完全に、個別具体的な一人の人なのですが、この人に、「物語の象徴」がキッスをした……といった感じの驚きがありました。

その後のフィンの戸惑いも含めて、びっくりシーンでした。

映画にとって必要なシーンかというと「いらない」としか言えませんのですが、まあ、びっくりしたよ。

 

2.性格と運命

「生まれつき」ってことを考えさせられる映画でした。

マザー・テレサが言ったとされる、いいかげんな言葉遣いをしているといいかげんな行動につながり、いいかげんな行動はいいかげんな習慣につながり、いいかげんな習慣はいいかげんな性格になり、いいかげんな性格はそれなりの運命を呼ぶ、的な言葉がありますでしょう。

いや、誰が言ったかはっきりしないけど、違うね、テレサ(仮)! とよその幼子を見るたび思います。

人間って固有の人格を背負って生まれてくるんだなあ、と。

「子どもって、存外親に似ていないな」「思いっきり別人だな」と、子どもたちを見るたび思います。みんなすくすくそのまま大きくなりますように。

でもなかなか「そのまま」でいさせてくれない。それが環境で、フィンはファーストオーダーに拉致されて洗脳されてしまったし、レイは……(一応ネタバレに配慮)……たし。

それでその、フィンが革命軍から脱走して、そこでレイに会って、会ってすぐ「彼氏いる?」とか聞くのが変じゃないかって思う人もいるそうなんですけど、変じゃないと思う。

フィンは、生まれつきああいう人なんだと思う。

レイが、……(一応ネタバレに配慮)……という過去がありながら、あんな風にまっすぐな目をして明るい性格なのは変だという人もいるかもしれないですけど、あれは生まれつきだからしょうがない。

 「生まれつき」という言葉はどうしてもネガティブな情報と結びつきがちですが、「生まれつき賢い」「生まれつき明るい」「どうしても、いい奴」ということもあると思います。

そして、おもしろいのは、それが血筋では語りきれないことだということ。SWはファミリー・アフェアの面があるのですが、フィンとレイはそこから切り離されています。血筋がドラマを呼ぶのではなく、ほかならぬフィンとレイだからドラマがうまれ、そしてそのために、宇宙のそこここでいつも何かが動いていることまで想像できるのです。

 

3. ルーク

ルーク、「4」のルークだった。お久しぶり!

 

4. レイア

美しい。

ルークとレイアの再会場面にハードボイルドを感じました。あの二人は、ハン・ソロもそうだけどハードボイルドですよね。

レイアは生まれつききちかちっとしているからまだいいけど、もしルークがハードボイルド味を身につけていなかったら、ほんと、ほんと、まじで、単にむかつくじじいですよ。中身は変わってないくせにかっこつけてるから愛せるわけで。

ああして現れてサ、「(新しい髪型)よく似合ってる」とか言っちゃってサ、C-3PO にウィンクしちゃってサ、あいつに「またな」かなんか言っちゃってサ。

ルークとレイアがああしてお互いを慈しみあってサ。

私の人間性が目覚めました。

やっぱり、ある程度の年齢をこえたら臆面もなくかっこつけることができて、それが板についていて、っていう状態に至ってないと…………多分、きつい……つらい……。

レイアと、レイアの兄貴が大好きです。

 

5. 若造 & 小娘

それに比べるとヤンガーな面々はかっこわるいところばっかりで、恥をかかされることも続くし、見ていて辛いところも多かったです。レイがケアテイカーに一言も謝らないのなんか、そんな、レイ! レイはそんな人じゃないでしょ! あれ〜? そういうところもあるの〜? と私の心は千々に乱れました。

 

6. その他

思い出せば思い出すほど変な味わいの映画でした。音楽の入るタイミングがかっこわるいとか、アクションシーンがかっこわるいとか、いくら何でもフィンとローズがよその星飛んで……のくだりはいろいろとひどくないかとか、トロ様はだってトロ様なのだものとか、言い出したらキリがないのですが、まあ、二回見て、「……あっ、そういうことかあ」と思い、また、二回目にも限らず

 

 

 

泣いた

 

なんていうことのあった映画なのだから、捨て置くのももったいないかなと思います。

 

おしまい

晴れ渡る密室

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原題:It

監督:アンドレス・ムシェッティ

2017 年 アメリカ

27 年に一度、人が消える町で、子どもたちの夏休みが始まった。

年明け一本目に何を見ようかな、おじさんが性転換してミシェル・ロドリゲスになっちゃうやつか、ビン・ラディンニコラス・ケイジが追いかけているやつか、どっちにしようと悩んでいたら、見損ねていた『IT』がまだやっていたのでいそいそと出かけてきました。

家で安心できない、学校でも居場所がないという「負け犬クラブ」の男の子たちと、一人でいじめっこグループと相対している女の子に夏休みがやってきて、ひととき解放感を味わう……ということもなく、彼ら彼女らに町自体がひとつの大きな密室として迫りくるのでした。

晴れ渡っている大通り、木々の間を風がさわやかに舞う川沿いの道は、それゆえに逃げ場がなく、子どもたちを恐怖に駆り立てます。

冒頭は雨で、主人公ビルの弟、ジョージィがお兄ちゃんに紙で舟をつくってもらい、それをもって元気いっぱい雨の大通りに遊びに出るところから始まります。このシーンを見てこの兄弟に好感を持たない人はいないでしょう。体の弱い、すこし吃音のあるお兄ちゃん、そのお兄ちゃんには逆らえない、かわいい弟が、家の中で互いに互いを頼っていて、お互いを大好きだということがわかります。かわいいな、と思って見ていると……

そんなわけで、子どもたちは親の暴力や、いじめっこたちの暴力ともうひとつ、「それ」がしかけるチェイスともたたかわなければならないわけで、大変な夏休みになってしまいました。

子どもたちが「お兄ちゃんに怒られる」とか「おやじに殺される」といった「○○に××される!」という恐怖をそれぞれ口にするのがポイントで、基本的にはその恐怖と対峙させられ、乗り越えたり、乗り越えられなかったりといったことが主軸になっています。そこに「それ」の恐怖が加わるのですが、彼ら彼女らが無謀にも「それ」と対峙することを選択するのは、どうせ家には家の、町には町の恐怖があって、安全な場所なんてどこにもないからです。

この辺りの、選択肢がなくて、閉じ込められて監視され脅されているような感覚に、見ているこっちもすっと入っていけるのが見事だなと思いました。

びっくりしたし、おもしろかったです!

これをちょっと見る前、DVD で『イット・フォローズ』も見ていました。『It』の方の「それ」とは違って、『イット・フォローズ』の「それ」は人間ぽくなくて、怖かったです。動きに迷いがなくて。

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どっちもラストが良かったです。

寒中お見舞い申し上げます

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今週のお題「2018年の抱負」

1.  ミニブログやブログのかたちで作文を収納してみて、わかったことがあります。

私は大体、月に二回「今年ベスト!」と言っている。これは映画の話ですけれども。「今年ベスト!」とハイクやブログで言う一歩前には「これは新しい、立派な成果だ」的なことを考えており、どうも「これは新しい」と月に二回、年に二五回程度思っているらしい。

冷静に考えてみると「そんな、ちょいちょい、斬新なものが生まれるわけなかろう」と

も思うのですが、多分、考え方の癖なのですね。感動したときに「新しい」と思うのが。あわせて、2017 年はよく「現実のメタファーじゃないところがいい、独立してる、素敵だわ」とも思っていました。これも冷静に考えると、果たしてきちきちっと説明できるかどうかかなりあやしいけど、「新しい」っていう感想と地続きのこと。

この辺りのことを、2018 年はすこし事細かに考えていこうかなと思っています。

 

2. 2017 年の正月に、両親の家で惰眠をむさぼりながらこう考えていました。

「あっ、あたしってとっくの昔に人生の折り返し地点を曲がっていたんだなあ。これから何か新しいことを勉強したり、達成したり、そういうことはまあ、無理だよね。そろそろ店じまいに向けて準備もしていかないとなあ」

どうもこれがよくなかった。何となく一年停滞ムードで、いつもいつもうっすら憂鬱で、死が身近になってしまった。

自分としてはかなり忙しい一年だったというのもあって、仕事以外のことでは非活発になってしまい、最終的には健康に悪影響が出ました。

「元気出さないとな」とは思っていたのですけれども。

今年のお正月に義母と話していたら、「あたし、何か新しいこと始めたい。人の役に立つようなことで。英会話もやりたいし(商売をやっていて、海外のお客さんと接することが増えたため)」と彼女が言い出したもんで、まぶしかったです。

それで自分もがんばらないとな、と思って。

今年は自分に対しても「新しい」を大事にしてやっていきたいです。

映画オリンピック2017

今年、2018 年は冬季オリンピック開催年に当たっているので、2017年映画ベストをフィギュアスケート、オリンピック風に組んでみました。

 

オリンピック表彰台大賞 2017

金メダル級の映画に贈ります。順不同です。ベスト候補 25 本から 1 本を選ぼうと考えているうちに年をまたいでしまい、これ以上しぼることができませんでした。

 

オリンピック最終組大賞 2017

オリンピックに出場して、FS に進めて、さらに最終グループ(6 組)ともなれば、見てる方にとっては「もう点数なんて関係ないよ(T-T) 全員優勝!」って感じです。そんな映画を集めてみました。ベスト 3 を組もうとして、どうしてもこれ以上しぼれなかったのです。

 

オリンピック8位入賞大賞 2017

オリンピック 8 位入賞のすごさというものを伝えたい。「世が世なら優勝」ということです。まず、ふつう、オリンピックに出場できない。そして、どうかすると FS に進めない。進めたところで、クリーンに滑り果せるかどうかは神のみぞ知る。2017 年は「トッド・ソロンズの子犬物語」、「マグニフィセント・セブン」で始まってどっちも「今年ベスト!」というテンションだったのです。

 

というわけで、2017 年ベストを決めようとしたら、ベスト候補が 25 本あって「うーん、うーん」と思っている間に新年になっていました。映画、楽しかったです。個人的には「イーサン・ホークの年」でした。子どもの食べ残しをナチュラルに食べるイーサン・ホーク、元妻に世話を焼かれるイーサン・ホーク、戦争のトラウマに苦しむイーサン・ホーク、脱走するイーサン・ホーク、相棒に「もどってくると思ってた」と言われるイーサン・ホーク、初対面でいきなり打ち明け話をするイーサン・ホークジョン・ウィックイーサン・ホーク版のような役をやるもなんか弱そうなイーサン・ホーク……etc. と、大豊作でした。今後に期待が高まります。以上です。

 

2017 年映画館で見た映画に送る各賞

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コーヒー映像大賞 2017

作中でコーヒーが重要な役割を果たす映画に贈ります。

「マギーズ・プラン」

ベイビー・ドライバー

「マギーズ・プラン」はマギーが夫の前妻にいれてもらったバターコーヒーを飲んで目を白黒させるシーンが秀逸でした。

ベイビー・ドライバーでは一仕事終わった後、人数分のコーヒーを買ってみんなに渡すところまでがベイビーの仕事なのですが、その「人数」にベイビーが入っていないのです。ベイビーとコーヒーの関係はこの映画の外にあって、今後の人生で彼がどうコーヒーとつきあっていくかを想像するのも楽しいです。飲めないのかもしれないし、大好きになるかもしれない。

 

外に出る映画大賞 2017

 母語の外など、自分の入っている檻を発見してそこから外に出る映画に贈ります。

「未来を花束にして Suffragette」

スキップ・トレース

否定と肯定

「MR. LONG ミスター・ロン」

「ダンシング・ベートーヴェン

 「Suffragette」は主人公を演じたのがキャリー・マリガンだというところが秀逸でした。働きづめに働いてわずかな賃金しか得られないこと、男性からの要求にノーと言えないこと、そして娘もまた自分と同じような人生を歩むだろうこと、そのことを夫が当たり前のことと信じて疑いもしないこと、そんなことに「ノー」と言っていいんだ、言うべきなんだと飛び出していく女性を、キャリーが個性的に演じていました。

 否定と肯定では、ホロコーストの実在を否認する人間に対して、その否認がでたらめであることを論証してみせなければいけないという苦難に遭って、その場所が学界ではなく法廷だという、二重三重に外に引きずり出される主人公の苦闘が静かに描かれていました。

 「ミスター・ロン」は外の視点から日本語を聞けるのが魅力。母語の外で、どこへ自分が流されてしまうのか想像もつかないロンさん(チャン・チェン)の静かなうろたえぶりがおもしろかった。

 スキップ・トレース」「ダンシング・ベートーヴェン母語の外で、ファインだったりプアだったりといった、いろんなレベルの英語が行き交う中、我が道を模索する人々の姿が活写されていました。こういうのを見ると、英語、なんかすごいことになっているなと思います。

 

ファンクラブ映画大賞 2017

ひとりのカリスマあるいはスター、指導者などのまわりに集まる人々(ファンクラブ)の姿を追った映画に贈ります。

「はじまりへの旅」

ヴェンジェンス

スター・ウォーズ 最後のジェダイ

ジョン・ウィック:チャプター2」

 「はじまりへの旅」の家族は「お父さんファンクラブ」のようで、お父さんを真ん中にして安定していたかに見えたのだけど実は……というところがおもしろかったです。

 ヴェンジェンスニコラス・ケイジが一度バーで飲んだだけの女性とその娘のために奔走する刑事役を熱演。なんと「熱望されるニコラス・ケイジ」が見られました。新鮮。

 ジョン・ウィックは前作でもそうだったんですが、新作でジョン・ウィック・ファンクラブっぷりに勢いがついてしまい、くらくらしました。逆に「最後のジェダイはレイア・ファンクラブの弱いところや、ファンクラブとしてのファーストオーダーの瓦解(のようなもの)が描かれていて、長らくファンクラブ VS ファンクラブの様相を呈してきた SW の自己否定のような話になっていました。アンチ・ファンクラブもののような。その中でレイが師もいない、友人もいない、あたたかい思い出もないと、どんどん孤立していくのが印象的でした。

 

この二人組がすごい大賞 2017

「イップマン 継承」……イップ・マンさんとウィンシンさんご夫妻

「ナイスガイズ!」……ジャクソン・ヒーリーさんとホランド・マーチさん

ドクター・ストレンジ」……ドクター・ストレンジとマント

 「イップ・マン 継承」はとにかく、ウィンシンさんがエレベーターを降りて「私のイップ・マン」を再発見する場面につきます。

 「ナイスガイズ!」は予告の段階で楽しみだったのですが、まさかこれほどラッセル・クロウライアン・ゴズリングの相性がよいとは。そしてここまで書いて思い出したのですけど、2017 年は「ラ・ラ・ランド」「ナイスガイズ!」「ブレードランナー2049」と、ゴズやんの映画を三本も見ていて、「三本も見た」ことがとっさに思い出せないほど、徹底して味わいが違っていました。ゴズやんの裏声悲鳴がたくさん聞けて楽しかった。

 ドクター・ストレンジ。「マントになりたい」とうわごとを言う人々が続出。偉業。

 

この子どもがすごい大賞 2017

「ナイスガイズ!」の娘さん

ヴェンジェンス」の娘さん

「マギーズ・プラン」の娘さん

 「ナイスガイズ!」のゴズやん演じるホランド・マーチさんには、なぜか素晴らしく賢く、真面目で、かわいいお嬢様がいらして、この子がお父さんたちが捜査に行くとなると車のトランクに忍び込む、パーティーに潜り込んで捜査する、それ以前に対外的にお父さんがまずいことにならないよう確実にあちこち手を回しておく……こう書き出すと都合のよいできすぎちゃんのようですが、彼女も必死なので。真面目に必死にやってたら、ああ育ったんです。

 ヴェンジェンスの娘ちゃんもお母さんを守ってあげたくて必死なんですが、お母さんは娘ちゃんがかわいくてベイビー扱い。そんな彼女にニコラス刑事が言うのです。"I need your help." この一言でたたずまいがきりっとしてしまう彼女。泣きはらした後の赤い目で、ぐいっと背筋を伸ばしてしまう彼女。もう、抱きしめたい! 抱きしめたい大賞!

 「マギーズ・プラン」は親たちのどたばたに巻き込まれて、それでも粛々と状況を受け入れて(というか、ほかに選択肢はない)、とくにぐれもせず、それなりに親たちのどたばたに付き合っていた長女がかっとして、放った一言が秀逸でした。単純な言葉なんですけど、それを言われた親たちと観客の「おっしゃる通りです……」という空気が最高。

 

打ち明け話大賞 2017

シーモアさんと、大人のための人生入門」

「20 センチュリー・ウーマン」

「スウィート 17 モンスター」

「マギーズ・プラン」

「メッセージ」

 イーサン・ホークがインタビューで「なんのために働いているかって? それは酔って、そばにいる人の打ち明け話を聞くためだよ!」と言った……という記憶があるのですが、今般検索したらヒットするのは自分自身のミニブログばかり。

……私、ねつ造してる?

いや、確かにどこかでそんなようなことを言っていた。

こんな発言、嘘や空想で思いつかないもん。

ほとんどの映画は誰かの打ち明け話だということもできるのですが、これら 5 本はドラマの根幹に打ち明け話があって、それによって大きく話が動いていったので印象に残っています。

2017 年 12 月に見た映画メモ

12 月 6 日「MASTER / マスター」@ TOHO シネマズ新宿

master-movie.jp

とにかくイ・ビョンホンが強そう。おそろしい。

イ・ビョンホンは金融投資会社の代表。巨額の投資を集めて裏金を使い政財界にも影響力があり、警察ではなかなか捜査が進められずいらだっていた。その警察の特別捜査班リーダーがカン・ドンウォンイ・ビョンホンの部下で、カン・ドンウォンに弱みを握られ警察に捜査協力することになるハッカーをキム・ウビン。カン・ドンウォンとキム・ウビンの若手二人がとてもイ・ビョンホンに太刀打ちできるようには見えないので、とにかくはらはらする。

実話を元にしているとはいえ、映画の観客の生理に寄り添ってくれるオーソドックスさがあって、物語としてきちっとしている。そのオーソドックスなクライムサスペンスの構造の上に、俳優陣の魅力が重なり、華やかな一級のアイドル映画になっています。カーチェイスあり、路地や階段、トンネルといった狭い場所でのアクションあり、縦にも横にも移動ありで、とても楽しい一本でした。

 

12 月 9 日「否定と肯定」@ TOHO シネマズシャンテ

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この映画には否認論者の主張を研究者の主張と両論併記すべきではない、「と」でつないではいけないという主張があるので、この邦題はどうしたことかなと思います。原作本の訳もそうなっているので、「そういうことならしょうがない」と思わされるような事情なり理由なりがあるのだろうとは思います。が、仮にそうだとしても、この映画で「ホロコーストはあったのか?」というCMが流れていたこととも合わせて、不見識なのではないかと考えています。

この映画はまず、法廷ものとしてかなりおもしろかった。歴史否認論者が歴史家を訴えるのですが、そこではなく、主人公と主人公の弁護団の中にある対立に主眼が置かれています。法律家の文体と研究者の文体が違うので、なかなか話し合いが成立しない。研究者である彼女は良心に従い仕事をし、その良心を他者にあずけたことなんかないし、とてもできそうにない。でも、学界と法廷は違う。法廷では代理人を信じ、良心をあずけるしかない。この過程が、もちろん時には激しいやりとりや怒号すら含みながらも、基本的には静かに、地道な作業の積み重ねとして描かれるのがとてもおもしろかった。

実際には否認論者たちからの激しい攻撃がもっとあったのだろうと思いますが、そこには焦点が当たっていないというのも参考になりました。

辛いことだけれど参考になることが多かったです。「両論併記」の問題点、ヘイトスピーチなどへの対応方法など。

 

 

12 月 12 日「ローガン・ラッキー」@ TOHO シネマズ新宿

www.logan-lucky.jp

運の悪いきょうだい(妹もいる)が大泥棒をするのですが……これはもう、完璧な映画でした。

「映画として欠点がない」とかいうけちくさい意味ではなく、「現実に対して(メタファーではなく)オルタナでありえている」という意味で完璧でした。

などと、おおげさなことを言いたくなってしまうほど、見るとそれだけで壮大に気が大きくなる、すばらしい映画です。

この映画に出てくるにんげん、全員大好き。

なにげにヒラリー・スワンクも大好きなんです。 

 

12 月 12 日「オリエント急行殺人事件」@ TOHO シネマズ新宿

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縦の動きがふんだんにあって、より華やかな「オリエント」になっていたんじゃないかと思います。

このポアロは、信仰に対してフラットで、かつ現行の法に対しても今ひとつ信頼をおいておらず、しかし抽象的な意味での「法」や「理想」といったものを軸として、フェアであることに主軸を置いています。ロマンチストで、情熱的です。そこがかつてのドラマ版のポアロシドニー・ルメット版のポアロとはちょっと違います。

このポアロの視線にさらされるので、犯人たちは生身の個人として振る舞うしかなく、その姿はこれまでの「オリエント」よりずっと痛ましい。でも、現行の法や警察機構を信頼していないポアロを今現在撮る積極的な意味って何だろうと考えてしまいました。ちょっと危ういことのような気がして、もしシリーズ化するならそこが足かせになるんじゃないかなあ、と。

ひとつ言えるのは、このポアロだからこそ犯人の痛ましい告白が引き出せたというのはあるだろうということです。犯罪被害に遭ったとき、その被害が回復することはないわけで、その痛ましさは日常において蓋をされているのですが、やはり語られ、じっと寄り添われるべきことと思います。でも過酷であればあるほど、当事者は語ることができない。そんな困難を抱えた人が、言うべきことを過不足なく吐露できる相手として、このポアロはよかった。人々から敬愛されているポアロで、その点が新鮮でした。

そして、だからこそ、そこまで改変を加えるなら、ラストも変えるべきだったのでは、などと想像しています。

 

12 月 16 日「スター・ウォーズ 最後のジェダイ」@立川シネマシティ

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冒頭の作戦でいきなり、がっかりするものがあったのですが、カイロ・レンとレイのやりとりでがっかりがふっとんでしましました。好き嫌いで言うと好きです。出来は悪いと思います。でも、レイのあきらめの悪さに希望を感じました。レイのような、理想の師弟関係を切望している人が、努力に努力を重ねてもそれを得られず、そして、カイロ・レンのような人に待望されるというのがリアルで悲しく、そこが突出してよかったです。

これは孤児たちの物語で、彼ら彼女らをめぐる「取り返しのつかないこと」に関するドラマであるというところに魅力を感じました。

 

12 月 20 日「MR. LONG ミスター・ロン」@新宿武蔵野館

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チャン・チェンの新作だ〜と、予告すら見ず、前情報が限りなく無に近い状態で行ったのでびっっっっっっっっくりしました。普段、ネタバレなんか気にしませんっていう構えで暮らしているのですが、気にする人の気持ちがわかりました。何も知らないで映画を見るの、楽しい!

これ、世にも楽しい映画で、ローガン家の兄弟姉妹レベルで運の悪い殺し屋が日本の(おそらく)北関東のどこかに流れ着いてそこで屋台を引く事態に至るという。そこには、人身売買被害に遭って日本につれてこられ、流れ着いた台湾人女性とその息子もいて、というお話です。

日本語、わからない。ここがどこかも、今ひとつわからない。そんなロンさんの目を通して見る日本と日本語の怖さともろさと貧しさその他もろもろ。日本の映画館で日本語を聞いていながら、母語の外に出たような感覚を味わいました。

 

 12 月 23 日「カンフー・ヨガ」@ TOHO シネマズ新宿

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底抜けでした。

登場人物の中に 4〜5 人、若くて見目麗しい女性がいるのですが、これが年の頃、背格好が似ていて誰が誰やらおぼえられないまま終わりました。

正月に見ればめでたいかもしれませんが、つい気がせいて、冬至の頃に見てしまいました。

見るこっちの陰の気がほぼマックスだったのがいけないのかもしれません。夏至に見たらよかったんですかね。

でもジャッキーが好きです。好きだからって何をしてもいいというわけではありませんが。

 

12 月 23 日「ダンシング・ベートーヴェン」@新宿武蔵野館

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インタビュアーがジル・ロマンの娘、マリヤ・ロマンだったのがおもしろかったです。ベジャールバレエ団で育ちながら、自身はバレエの道に進まなかった彼女の、バレエ団の中にいながら部外者としてのぞき見しているような視線が独特で、その視線のために、映画が味わい深く、複雑なものになっていました。映像的にも随所にのぞき見のようなショットが入るのが印象的で、バレエに身を投じて、献身的に日々を送る人々のそばで、その世界に憧れを抱くちょっと淋しい視線も追体験できました。

ラストに Star Wars みたいになるのは、ほほえんでしまいました。

2017 年 11 月に見た映画メモ

11 月 6 日『パターソン』@新所沢レッツシネパーク

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パターソン市でバスの運転手をしているパターソンさんは、毎朝目覚まし時計なしで、妻よりすこし早く起きる。それから出勤し、バスを走らせ、帰ってくると妻が日中に行った模様替えに目を白黒させ、夕飯後には犬の散歩に出かけ、一杯だけビールを飲んで帰ってくる。そして、詩を書く。

パターソンさんのことはよく知っているような気がします。

パターソンさんは毎日決まった時間に起き、出勤し、帰ってきますが、かといって平穏で退屈な毎日というわけではないようです。むしろ退屈な毎日を切望していて、それが得られないでいるのかもしれません。

パターソンさんにとって、この世界はどこか慕わしくない、安心できない、はらはらするようなところです。毎日同じ時間に目を覚ましますが、さて、この一日を無事に暮らせるかどうか彼には今ひとつ自信が持てません。

パターソンさんは詩を書きます。準備の整ったバスを発車させる前に、昼休みに、帰宅後のほんのすこしの時間に一人で詩を書くのです。

どちらが前か後ろか、上か下かもわからない暗闇に白く光る石を見つけてその上を飛び歩くように詩を書くパターソンさんです。

そんなパターソンさんがいつもほんの少し、笑みを浮かべているのがおもしろい。彼はぎこちなく世界と相対しているけれども、少しも不機嫌ではない。ご機嫌というほどではないけれども、毎日見かける人なら「あ、これがこの人の微笑みなんだな」と気づく程度の薄い笑みを浮かべて、愚痴ったりため息をついたりすることもなく、毎日毎日詩を書くのでした。

 

11 月 27 日『密偵』@立川シネマシティ

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日本警察から義烈団監視と摘発の特命を受けたイ・ジョンチルは、その連絡場所と噂される古物商に目をつける。古物商の主人、キム・ウジンはイ・ジョンチルを逆に仲間に引き入れ、警察からの情報を得ようと企む。

このイ・ジョンチル(ソン・ガンホ)という人がおもしろかったです。

まず彼は祖国を裏切って日本警察に雇われ、次には雇い主の警察を裏切って義烈団を支援することになるわけだから、二重三重に嘘をつかなければいけません。そこだけ見れば、嘘にまみれた人と呼ぶこともできるはずです。それが、作中で明白な嘘をつくシーンがそれほど多くない。特に、義烈団のリーダー(イ・ビョンホン)と会談に至るシーンが印象的です。キム・ジウンらに仕組まれたその会談で、彼らの言葉に巻き込まれ、一言交わすたびにあともどりできなくなっていき、イ・ジョンチルは「後戻りできないこと」に苦悶するのです。言い逃れできないことに苦しむわけではなく、もう、自分が前に進んでしまっていることを知り、驚き戦く。このテーブルで交わされた視線と言葉の織物の真ん中にイ・ジョンチルがいて、彼の意志ではもうどうにもできないというところが圧巻でした。

イ・ジョンチルが苦労の末嘘を発する場面は見ていて震えてしまいました。

好みでなかったのは音楽。音楽による演出が過剰で、もう少し控えめであったなら、この、巻き込まれたら巻き込まれた先で実直に生きる主人公がより生きたのではないかな、などと想像してしまいました。

2017 年 10 月に見た映画メモ

10 月 1 日『スイス・アーミー・マン』@TOHO シネマズ川崎

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ハンクが無人島で一人、命を絶とうとしたその瞬間、波打ち際に倒れている男を発見する。はじめはそれが死体であることにうなだれたハンクだったが、死体はガスを発生させており、それを推進力にして無人島を脱出するのだった。

このあらすじを自分の指でまとめていながら覚える、「何を言っているんだ」感がすごいです。

日本版の予告とポスターに「大切な人が、待っているんだ」とあって、それが何らかの意味で嘘で。嘘というと語弊があるのかないのか、それすらも判然としないのですが、とにかく、メニー(死体)はハンクの携帯の待ち受け画像に写っている女性を自分の大切な人と思い込んで、それでハンクとともに帰ろうとする……。

と自分で書いておいて、一応間違いや嘘が上記の文章に含まれていないか読んでみて、さて、どうだったか自信が今ひとつありません。見て一ヶ月以上経って、あらすじを書いてみて、いまだに「……何の話!?」という感じ。どこから発想してどうやって作り上げていったのか今ひとつ想像つかない。

でも、ハンクとメニーが生き延びようとしたということだけはわかる。生き延びようとして、時には「お話」が必要になり、時には着飾って演技することが必要になり、そして時には「助けてやる」と伸ばされた手をはねのけることも必要になる。

とかなんとか言って、映画中はずっと笑っていました。とっても楽しい映画です。

 

10 月 1 日『ヴェンジェンス』@チネチッタ川崎

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相棒を亡くした刑事ジョンと、一人で娘を育てているティーナがバーで出会った。ティーナが話しかけると、ジョンはただ黙って彼女の話を聞いた。彼女は、ときおりうろたえたような表情を見せる優しいジョンに好感を抱き、電話番号のメモを残してバーを立ち去った。それからほどなくして、ティーナが暴行され瀕死の重傷を負う事件が起こった。犯人たちは逮捕されたが、裁判は二重三重にティーナを苦しめるものだった。

ニコラス・ケイジもの。きちきちっとした、まじめなつくりにびっくり。見ながら、「これ、ケヴィン・ベーコンだったらもう少し華やかな感じになったのかなあ」と思うようなシーンもあったことはあったものの、ラストまで見ると「この味はニコラスにしか出せない」と思う。

ジョンは必死に正気を保とうとしているのに、町のチンピラどもが着実にジョンの精神の留め金をはずしていく。ジョンは別に「ぎりぎりです」ということを隠してもいない。最初からずっと、「困ってます」という顔をしている。なのにチンピラどもは無目的に正気の人々を追い詰める。

このチンピラどもの悪さかげん、だめさかげんが現実にありそうで、嫌な雰囲気が着々と積もっていくのが映画の半分……もっとかな? ジョンが困った顔のまま、想像のつかない速度とぎくしゃくした動きで逆襲に出るのが後半。デンゼル・ワシントンとも、リーアム・ニーソンとも違う、困り顔の始末人がこれまたわりと「ありそう」な感じで動き出します。この「なさそう」だけど「ありそう」、でもやっぱり「なさそう」、いや「ありそう」という感じはニコラスならでは。原題 " Vengence : A Love Story " の意味がわかる瞬間のあたたかみもニコラスならでは。

 

10 月 20 日『新感染 ファイナル・エクスプレス』

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釜山行きの電車内で突如謎の病気が発生し、感染が拡大する。

「お父さん(だけ)がんばる」映画。ぱーんと窓が割れてそこからわらわらゾンビが落ちてくるとか、線路上で主人公を追いかけるゾンビの群れとか、そういった爆発がテンポよく起こるので、最後まで飽きずに見られるのだけど、ゾンビの関節が強くて足が速いのが好みじゃなかった。脚本にすごろく感が残っていて、あんまり集中して見られなかった。ゲームっぽかった。


10 月 24 日『20センチュリー・ウーマン』@早稲田松竹

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1979 年のこと。ドロシーは息子、ジェイミーのことが心配でたまらず、下宿人のアビーと近所に住む、ジェイミーの親友ジュリーに彼のめんどうを見てやってくれと頼む。それに反発したジェイミーは友人たちとロサンゼルスに出かけ、ライブに行き朝まで帰ってこなかった。ジュリーはジュリーで自分が妊娠しているかもしれないと悩み、それをジェイミーに打ち明ける。ジェイミーは妊娠検査薬を買って、ジュリーに付き添う。そして、アビーにはガンかもしれないという悩みがあった。

成長しつつある男の子が、幼なじみや、ちょっと年上の下宿人や、さらにうんと年上の下宿人、母親といった自分の先を行く人々の間を行ったり来たりする。最初はジェイミーが一人で右往左往しているかに見えて、右往左往しているのは全員なのだなとわかっていく。特にドロシー。自分の息子の世話を友人たちに頼む母なんて、そこだけ聞いたらうんざりするような話だけど、実際見ていると、ただ息子(たち)を理解したいだけなんだとわかる。息子、ジェイミーが自分にはわからなくなってきたな、というところから始まり、アビー、ジュリーといった女性たちにジェイミーをよろしくと頼みながら、アビーの苦しみ、ジュリーの苦しみにも触れていく。自分とはいろんな部分で違う彼女たちの話に耳を傾け、時に拒否し、時に受け入れ、そして自分のこともじっくりと考えてみる。それだけの話なのに、うずうずするような魅力にあふれていました。たばこをふかしながら、外に内に耳を傾けるドロシー、自分が何を求めているか理解しはじめているアビー、自分が何に腹を立てているか探しあぐねているジュリー、そんな彼女たちの打ち明け話を受け止めたいと願いながら、まだ何もできないジェイミー。スクリーンからいつも風が吹いているようで、楽しい映画体験でした。

 

10 月 24 日『カフェ・ソサエティ』@早稲田松竹

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ボビーはハリウッドで仕事を得るため、映画界で地位を築いている叔父、フィルに相談し、雑用係として雇ってもらう。そして、叔父のもとに足繁く通ううち、秘書を務めるヴォニーに恋をしてしまう。しかしヴォニーにはなかなか会ってくれない恋人がいるらしく……

ハリウッドの大物フィルを演じるのがスティーブ・カレルで甥がジェシー・アイゼンバーグ。もててもてて困るスティーブ・カレル。もててもてて困るジェシー・アイゼンバーグ。このキャスティング自体がちょっとしたギャグ、というと語弊があろうかと思われますが、冗談というのかなあ。おもしろみ。絵面が変。フィル(スティーヴ・カレル)がハリウッドの大物として登場する冒頭から妙な磁場が発生してしまい、あははは、ははははと笑いながら一瞬、ぐー。すぐ、むくり、と起きて、あっ寝ちゃったと思うものの、別にそれもまた良しと思えるお大尽映画。

ちなみに、映画後半でボビー(ジェシー・アイゼンバーグ)が結婚する相手を演じるのがブレイク・ライブリーで、素晴らしかった。夫の心にはだれかいるみたい……と思っている彼女の美声にくらくら。あの声を映画館で聞けただけでも満足。でもこのヴェロニカは以前、夫を友人に奪われて離婚した経緯があるから、ボビーがいい加減な態度でいると大変なことになるんだけどな。

 

10 月 29 日『ブレードランナー 2049』@ 109 シネマズ川崎

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 2020 年、反乱を起こしたネクサス 6 型のレプリカントが寿命を迎えて死滅した後、レプリカントに対する差別は苛烈なものとなり、虐殺される事件が相次いだ。そこに、2022 年の大停電の影響も重なり、タイレル社は倒産した。このタイレル社の資産を手に入れ、レプリカント禁止法を廃止させ、「ネクサス 9 型」の製造に乗り出したのが科学者、ニアンダー・ウォレスだった。ウォレスには環境破壊が深刻化する中、合成食料の技術を無料公開し、食糧危機を救ったという実績があった。

2049 年 6 月、雪が降るロサンゼルス上空で、旧型レプリカント解体の職にある K は合成食糧の工場を目指していた。

一回しか見られず残念。できればもう一度スクリーンで見たいです。

例えば、今自分が生きている現実は誰かの夢かもしれないとか、誰かの決めたルート通りに自分は進んでいるに過ぎないのかもしれないとか、あるいは、自分は偽物で、本物の自分はどこか別にいるのかもしれないとか、そういうことに関して、私はあまり不安に思わない質で、五億歩譲って、自分が誰かの夢の登場人物だとして、それが、一体、どうした、と思っている方なので、よくよく考えればそもそも「ブレードランナー」の観客としてちょっとはずれているのかもしれない。

でも「ブレードランナー」は大好き。今でも時々見ます。劇場版、ディレクターズカット版とそれぞれ一長一短ありますが、自らの意志を信じたいと願う人々が暗闇の中を、雨が降る中を駆ける姿はそれだけでどうしても見逃せないものがあります。

どこまでがプログラムされたもので、どこからが自らの意志なのかとレプリカントたちは問うわけですが、人間だってそれは同じで、意志を認められる、尊厳を与えられることを切望してきた歴史と今があって、いくらシニカルに決め込んでもそこからは逃げられない。

だからこそ、ある人物が『2049』で「本物か偽物か」と口にした瞬間、「この期に及んでまだそんなことを言うなんて!」と怒りに近い感情がわいてしまいました。

K が差別に耐えて働き、物語を追い求めて敗北し、そしてふっと自由を手にする。そのとき雪が降っていて、そのことに意味はないものの、雪が降っていて良かったような気がしてしまう。

とても静かな映画で、人々はじっと何かに耐えていて、何かを待っているけれども、その最中にふっとそれまでの思考の枠組みから飛び出す。この飛び出し方があまりに静かで、見ながら自分の呼吸にさえ注意深くなってしまった。

映画館では緊張しているような、はらはらするような、それでいて頭のすみがしーんとしているような不思議な感覚を味わいました。長くは感じなかったけれど、言われてみれば短くなかった。次は家でゆっくり見て途中で居眠りしたりしたいです。