プール雨

幽霊について

テキストとテキストとテキスト、そしてひとつの小説が


T2 – Official Teaser Trailer – At Cinemas 27 January – Sequel to Danny Boyle’s Trainspotting

原題:T2 Trainspotting

監督:ダニー・ボイル

2017年 イギリス

仲間の金を掠め取って逃げ出したマーク・レントンが帰ってきた。スコットランドのマークの部屋は 20 年前の子供部屋そのままだった。マークがまず訪ねたのはスパッドだった。

大事なのは、バスで、駅で、 往来で、どこかの部屋で、20 年振りに会った友人と何を話すかということで、もう少し言うなら、別に 20 年振りでなくとも友人とばったり出くわしたときに、あるいは今夜は少しゆっくりしようというときに、どんなことをどんな口調でどんな文体で話すかということだけが大事で、それ以外はさしたる問題ではないと思う。というか、それ以外のあれやこれやはどれもこれもさしたる問題ではないと信じさせてくれる、そのことが大事です。

という以上のことがどうしても書けません。

見ながらはははと笑ったシーンもあり、わっと泣いたシーンもあり、見終えてああ、この映画が好きだなあと思い、ぜひともこの気持ちをしたためたい……と気はたかぶったものの、なんだか書けない。「私が映画に求めているのは、こういうことだったんだ」といった直観があったのに。

唐突ですが、最近考えているのはこんなこと。

学校では様々な言葉(数学の言葉、化学の言葉、歴史の言葉……等々を含めて)の様々な文体を学んで、そのうちどれかひとつでも自分にとって苦にならないものがあって、自分の文体の獲得につながるきっかけがつかめれば、それでいいんじゃないかなあ、と思っていて(そして、学校というところは基本的にそうなっていると思う)、さらには、自分とは違う言葉、違う文体、違う声の中でそれらを受け入れつつ、時々喧嘩しつつ、自分の声も受け入れる、そういう人生を歩めれば、わりと幸せって言ってもいいんじゃないかなと思います。

同じ言葉で考えて同じ言葉で語れなんて、無理な話で。

レントンとサイモンは文体が違うから、互いの目を見て押し黙ることが多い。話し出す一瞬前、つばを飲み込むことすらある。ベグビーに至ってはおそらく本当のことをほとんど話していない。その前に手が出るから。そして、話すかわりに書くことにしたスパッド。彼が書き終えて、そのときそばにいた人に読んでもらってから、改めて誰に読んでほしかったのか考えて行動する姿は本当に勇敢で素敵。

20 年振りに撮られたこの映画が、こんな映画でほんとに良かった。