プール雨

幽霊について

この登り坂を誰と

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老いることを想像すると怖い。体が老いて言うことをきかなくなっていく、その苦痛を想像すると怖い。
逆も怖い。身体の方は何ともないのに意識がはっきしりなくなること。忘れること。
もちろんその両方が一度にやってくるのも怖いし、経済的に困窮するのも怖い。失うのも失わせるのも怖い。
病気にならないようにと気を使った暮らしをしてもかかるときはかかるし、事故に遭う場合もある。それは自分では選べない。誰にとっても老境は上り坂で、それもとびきりにきつい坂なのだろう。
 
自分はその上り坂をどう登るんだろう。それとももう初老と言える坂にいるのだろうか。
 
今年は、その坂を登る人と、そのそばに寄り添う人についての映画を続けて三本見た。
愛、アムール」では仲の良い老夫婦の、女性の方が先に登りはじめた。夫は後ろから必死で追いかけた。
「拝啓、愛してます」では上り坂の中途で出会った 4 人が互いに支えあった。
「桃さんのしあわせ」では家政婦として長年勤めた桃さんに、その家の末っ子が寄り添った。
どの映画も、他人には到底口出しできない切実さと重みと、そこにしか発生しない優しさに溢れていた。
共通点は、看取ったのが血縁の者ではないこと。
愛、アムール」では、娘に「口出しするな」と言うどころか、部屋に鍵までかけて彼女を立ち入らせないようにする。ラストの、娘が夫婦の部屋で佇むショットはあまりに印象的だ。
「拝啓、愛してます」でも、子どもたちは立ち入れない領域に老人たちはいる。特に主人公に関して、孫は関わってくるものの、子ども夫婦がほとんど関係しないことが印象に残る。
「桃さんのしあわせ」は、この点に関してもっとはっきりしていて、アンディ・ラウ演じる主人公は、祖母や母といった、血縁にある人と縁が薄い人物として描かれている。祖母が脳梗塞にかかり闘病していたとき、彼は留学中で、ほとんどそばにいられなかったようだし、母とも、特に問題があるわけではないのだろうが、家政婦である桃さんとの関わりの強さに比べると、実に薄い関係だ。
苦境で優しくしあえるのは他人なのかもしれない。
あるいは、相手は他人だという、一人の他者なんだという意識だけが優しくなることを可能にするのかもしれない。

自分は、その上り坂をどう登るんだろうか。
それを考えると足がすくむ。
このきつい上り坂を、アンヌのように、ソンさんのように、桃さんのように笑いながら登れるだろうか。
ジョルジュのように、マンソクさんのように、登らせてやれるだろうか。
がんばらないと、難しいなあ。

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