プール雨

幽霊について

いろんなものをフィギュアスケートのように見る

「MOZU」っていうドラマを見た。おもしろかった。セリフ一個一個がアクロバットで、フィギュアスケートで言うと4回転ジャンプとか、危ないリフトみたいではらはらした。とくに蒼井優西島秀俊の会話は量も多くて大変そうで、技術要素とつなぎのステップでぎっちぎちのフィギュアスケートを見ているようだった。
なんと言っても、若手の中では比較的芸達者とされてきた西島秀俊が言わされている不自然なセリフの充満感、たまらない。「(ひどく力んで)ほんとうの真実……」といった音声を耳にするときのフレッシュな感じ、たまらない。熟練した、ある程度以上に評価されてきたフィギュアスケート選手が、ルール変更で苦しむ様を見ているようだ。
というわけで、フィギュアスケートの技術要素と、プログラム全体の統一感とか構成自体にそれぞれ加点していくというルールのあり方は、身についてみると大変に生活を豊かにしてくれるものなのだなあと最近思うのだった。
これのおかげで、前なら目の前を素通りしてしまっていたものがどんどんひっかかる。琴線にふれる。「難しいことをしている」ことに対する感度がよくなったし、そのこと自体を評価できるようにもなった。以前なら完成品として出されたものが仕上がっていなかったらその時点で素通りしていたが、「ああ、なるほど……ということをやりたいのだな。がんば!」という気持ちが芽生えた。
買った CD がそのとき今ひとつでも、「聴きこんでいけばよくなるだろう」という構えが強くなったし、いつかどこかで、たった一度完成形が聞けたらいいという気すらする。そして完成形が聞けなかったとしても、「完成形を予期させる」こと自体を評価できるようになった。これは、受け手側としても「一度や二度や三度の転倒であきらめない」イズムが身についたといか、「くじけても、あきらめないで」イズムが定着した証拠とも考えられる。
またその逆に、隅から隅までぴっっっっっしり「うまい」ものを見ると、以前以上に感動にふるえるようになった。「うまい」って思わせてくれるって、すばらしい……!