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雨降り

幽霊について

(メモ)

フィギュアスケート(ファン)って何でめんどくさいの? という質問に答えるとすれば、ひとつには「テレビで見てるから」じゃないかなあ。
テレビでスポーツを見るとすごく頭を使う。
もともとスポーツが好きという人には想像しづらい感覚だと思うんですが、普段スポーツを見ない人がテレビでそれを見ると、記録や順位といった数字が(文字なので)目立つし、編集のされ方やカメラの向けられ方などが気になって、「あっ、多分間違った仕方で今これを見ているんだろうな」ということをつい意識してしまうのです。
フィギュアスケートって、基本的には音楽を聞きながら、目の前ですべっている人と一緒にすべっている気になる、きわめて生理的、身体的な見方をするものだと思う。それがテレビで見るとまず、フレームが切り取られているし、解説が入るし、どの選手を放送してどの選手をしないかということから始まって様々なレベルで情報の取捨選択があるし、どうしても「メッセージ」だとか「物語」だとか、何らかの「言葉」が想定されてしまって、それに無反応でいられない。
テレビで放送されると、どうしても間に入る自分とは違う視線、それを分析させられる。そのときに「間に別の視点が入っている」っていうことに対してどこまで意識的かということで、反応が全然違ってきてしまう。
よくあるのは、そのメディアによる切り取り方自体に批判が行くことで、物語化の度合いなどに応じて時に激しくなる。そして、それに対して「うるさいよ」という反応が起きるので、傍から見ると「めんどくさい集団だな」ってことになるのだと思います。
それから、フィギュアスケートのルールも「テレビで見る」ことを大いに想定しているなあと思うこともある。頭でフィギュアスケートを見ることを誘っているというか、想定しているというか。回転不足の細かい規定であるとか、スピンの各ポジションでの回転数、レベルアップの要件など、そういったことを頭に入れて見ることを誘うので、どうしても見るとき擬似ジャッジ目線になることはある。
この度合いもまた人によってばらばらなので、中には「ファンももっとルールを知るべき」という言い方も出てくる。そうすると、「ちょっと待てよ、そんなに息苦しいことなのか?」という反応も出てくる。
云々。
それで自分は「ファンが知識を身に付けるべき」という考え方と「ファンは何も知らなくていい」という考え方とでは、「知るべき」側に寄った考えではあったんですが、「知る/知らない」とはまた別に、見るときにどこで反応すると最もスケートが楽しいかとかんがえると、やはり頭ではなくて、足で、身体で反応すると最高に楽しいわけです。
テレビからはどうしても「頭で考えろ」っていうことをつきつけられるので(テレビでスポーツを見る場合、これはいたしかたないと思うけれど)、それを意識すると勢い、「テレビじゃなくて現場に」っていう話になるのですが、そんなの土台無理なわけで、そしたら自分は「意識的に考えない」構えで見るっていうのが、合っているかなあと思います。簡単に言うと、「知った上で考えない」ようにするということ。
「身体で見る」ことができさえすれば、もしかしたら知識もいらないのかもしれない、と思うくらい、今自分にとってはテレビでフィギュアを見るときに「頭を使わない」っていうことが重要になってきてる。
ただそれは、「テレビとはこういうもの」ということをわかった上で、「あえて」それを無視するという、気持ちの上でかなり具体的な手続きを踏まないといけないわけで、自然にはできない。だからこれを「標準的な見方」として提示するのはちょっと難しいと思うし、自分でもできるかどうか果たしてわからない。
スポーツを見るということは、ドラマや映画を見ることとは全然違って、やっぱり自分の身体の問題だと思うんです。滑っている人を見ながら足がぴくぴくしたり、腰が浮いたり、風を感じたり。そこをテレビを通じて維持するにはある程度意識的な操作をしないと難しいかな。
でもフィギュアスケートは音楽が流れるので、やろうと思えばできるんじゃないかという気もする。