プール雨

幽霊について

70 年前の夢が今

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原題:智取威虎山 The Taking of Tiger Mountain

監督:ツイ・ハーク

原作:曲波「林海雪原」

2014 年 中国

第二次世界大戦終結後、国共内戦時代の中国東北地方では、日本軍が放棄していった武器で匪賊たちが武装していた。共産党人民解放軍は土地と農民たちを守るために匪賊征伐に乗り出す。しかし、「ハゲワシ」と呼ばれる威虎山を拠点とする匪賊は300人もの部隊で、解放軍は30人程度しかいない。スパイの訓練を受けたヤンは単身、威虎山に潜入し、攻撃の機会を狙う。そして……。

おもしろかったです!

「1946 年、匪賊討伐に向かった人民解放軍をモデルにした英雄譚」と聞くと、いかにもプロパガンダに終わってしまいそうですが、とんでもない。「歴史」から「お話」が立ち上がる現場を堂々と映した、めっぽうおもしろい活劇でした。

 冒頭は、これから巣立っていくであろう学生たちのパーティー場面。この席に遅れてきた青年が、会場で流れている京劇の映像に目を留め、微笑みます。このときに流れているのがおそらく原作の「林海雪原」を京劇にしたもの。どうやら彼は学業を終え、仕事が始まる前の一時、里帰りをするという状況のようで、パーティーから一転、次の場面は山中を行く汽車の中で古い日記帳のようなものを慎重に開き、読み始めます。そこから物語は 1946 年へ。

そもそも、実話を元に描かれた「林海雪原」があって、これが京劇になって、人々の間で楽しまれながら一時禁止され、また楽しまれるようになった歴史があり、さらには映画にも影響を与えて……という背景があります。創造され再現され受容されてきた経緯にそのまま、この 70 年の中国の一端が映されています。これを今、映画にしようというときに、どう切り込んで行ったらいいか、私ならさっぱり想像がつきません。

今このときに、「国共内戦時代、共産党のある部隊の活躍」を映画にするとなると、市場に対しても、政治状況に対しても非常に難しい判断が迫られるわけで、一体、どういう視点でどう作りこんでいけば良いのか。

そう考えたとき、この映画は一つの結論を出しているし、その結論は見事なまでに映画的に昇華されていて、おもしろいだけでなく、高潔でした。

冒頭で示されるのは、「物語を読む人物=物語を語る人物」という枠組みで、私たちは、この、第二次世界大戦、それに続く国共内戦時代、さらには文化大革命など、この大陸を襲った 20 世紀の悲劇を体験はしていないけれども、常に歴史認識について考えさせられてきたであろう、若い人物の目線を通して 1946 年に飛ぶことになります。

そこは、一面の雪原で、虎が人を襲い、ハゲワシが舞う世界。300人いるという匪賊たちはどの顔も戯画化されていて、一度見れば覚えられる。彼らを追う軍人の方も、同じ軍服で身を包みながら、一度見れば覚えられる個性的な面々。どちらの組織にも共通なのはそれだけではなく、「統制のとれた組織」としてではなく「有能な個人の集まり」として描写されていること。自分で考え、自分の仕事に集中し、そして自分たちがそういう人間の集まりだという確信があり、互いに信頼しあっている。そこには恐怖で統制される組織にあるような息苦しさがない。

まさに「近代」が夢見たものの一翼がここにあります。方や匪賊、方や軍人。だが彼らには根本的に自由が許されている。それぞれに個人の権利を尊重されている人物の集まりこそが実は最も有能であるという主張があって、とても挑戦的だった。

なかなかこの世では実現が難しいかもしれないけれど、もしかしたら映画の現場にはそんな雰囲気があるのかもしれない。そんなことを想像してしまうくらい、わくわくしました。

歴史をどう記述するかという議論が大きく後退してしまっている現在にあって、資料を読み、想像し、語る人物を可視化して、「彼の物語」であることを明示しておきながら、登場人物たちに対する敬意にあふれたこの映画の主張はとても明るいし、それでいて圧倒的に正しい。正しさと楽しさの同居の実現に大満足しました。