「セッション」も「ラ・ラ・ランド」もこれまでの映画にはなかった夢追い人の描き方をしていると思う。とても変わった作劇方法で、夢を追う人が何かを選んで邁進しているのと同時に捨てているものを映していく。彼ら彼女らが何を捨てているかというと「喝采」風に「故郷」とか「愛」とか、そういうものじゃなくて、人としての「いい感じ」とか、「友情」とか、「行儀」とか「節度」とかそういうもの。そういったものを捨てて、夢を追うってことが、はっきりと「あれかこれか」という感じで問題化されているのではなく、夢を追う中に織り込まれて描かれていくので、見ながらちょこちょこつまずいていく。
週刊文春では絶賛なのに、週刊プレイボーイではそうでもないという具合に媒体で評価が割れるのは、この「ちょこちょこつまずいていく感じ」に対する反応の差なのではないかなと思う。
多分、監督には、私たちの生きているこの世界も、私たちも、全然素晴らしくない、なにもかもみんな、だらしない、醜いっていう主張がある。
そのだらしない人々がだらしない世界で音楽を奏でる。大体は失敗するけど、ごくまれに成功する。それでいいでしょっていう主張がある。
そう考えるとおもしろいなあ、おもしろい映画見たなあっていう気になるんだけど、見ている間は主人公たちと一緒にけつまずいているから、後味が苦い……っていうより、後味がみっともない。何だか恥をかかされたような気分になる。意外と他のどんな映画よりうんざりした気分になるし、自己嫌悪に陥る。
そんなわけで、私にとってはこれからもちょっと要注意の監督で、見る場合は誰かと見に行くようにしようと決心しました。
見る/見ないの二択だったら、見た方がいいと思います!