プール雨

幽霊について

「歌って踊るカワイイ女の子がいる限り、世界は楽しい」かどうか。

日々へとへとで疲労回復の機会もないと、人はアイドルにはまりやすい状態になるといいます。もしそうなら今、日本全国でアイドルにはまりやすい状態がきわまっていると考えられ、誰もが「一歩先は沼」なのかもしれません。

私はこどものころからアイドル歌謡に親しんでおりまして、人生の岐路において突然はまったということはないのですが、この 15 年くらいはももちと Perfume がアイドル生活の中心にあります。ももちは史上初おばあちゃんアイドルになってくれると思っていたので、実はここだけの話、彼女の引退から何一つ立ち直っていません。と、同時に、テレビをつけると「こんな世界にももちはもったいない。引退してくれて良かった」とも思え、乱れるファン心です。

今年二月に解散したアイドルネッサンスは CD を買った途端解散だったので、びっくりしたのですが、この「途上にある人」というモチーフだと続けてあと一年くらいなのかなあとも思っていました。

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こんな作品がひとつでも出来れば十分成功だよなあとも思っていました。癖のない歌い方で、この歌なら未来があるんじゃないかなあ、アイドルグループとしては解散してボーカルグループとして再出発すればいいんじゃないかなあとか妄想しているうちに石野理子赤い公園のフロントに収まっていてこれまたびっくり。この数年アイドルポップスの周辺で起きた事件としては最高の部類に属す素敵なニュースでした。

Perfume の「If you wanna」は思いのほか胸の高まりが持続していて、発売後すぐに買ってしばらくはリピートが止まらず、それが若干治まった今でも「朝の一曲」に選ぶことが多いです。朝一はこれか、「ドリーム(Hidden Figures)」のサントラで元気出します。

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Perfume は顔が重くて好きです。芸能界以外で働いている、同じような年齢の女の子たちと変わらない重みのある顔で、かつ麗しい、理想のポップスターです。

私立恵比寿中学のこの『感情電車』もしょっちゅう聴きます。これで一本映画ができそうなスケールの大きさがあって、MV も映画のような雰囲気でとても素敵です。

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「歌いたいと思ってる人が歌いたいと心から思えることを歌っていける状況」が続くこと。それがアイドル歌謡に関して私の望んでいることで、Perfume みたいな特殊な状況を除けば、作詞作曲も自分でできるようにならない限りはそれは非常に難しいというのが現状なんだろうと思います。

たとえば、〈暴力に際して最初にノーって言わないならそれだって同罪だ、一旦受け入れたのなら自己責任だぞ〉というような歌詞を渡されてそれを歌わなければいけないとしたら、じゃあ、「ノー」です、私この歌詞に対して確信が持てない、この歌をリリースすることが良いことだと思えない、と若い人が毅然と言えるか、そしてそれが意見として受け入れられるかっていうとどうなのか。そんな歌詞を書いて、そんな歌詞のリリースを決定した以上は受け入れないと理屈が合わないんじゃないの。

このポイントでこういうリスクがあって、こっち行くとこういうリスクがあって、そっち行くとリスクどころの話じゃなくデンジャーがあって、というような話ばかりしているところに若い人をしばりつけておくのは酷だし、ましてや「自己責任」という加害者側に都合のいい言葉を歌い手にも聞き手にも飲み込ませるなんて、誰にもどこにもいいことがない。

モーニング娘。の話ですけど。若い人の無理や自己犠牲をあてにしたシステムなら今すぐ店じまいにした方がましだと思うほど、時々、ひどい曲をリリースする。「歌わされている」と解釈するのがベストであるようなひどい曲。作家(この場合はつんく)はメディアがあるんだから、自分の意見としてツイッターやなんかで発信する限りは自由だけど、例えば「A gonna」を今、このタイミングで若い人たちに歌わせているという事態を甘く考えすぎている。

トニー・スタークはピーター・パーカーをそんな風には扱わない。トニーがピーターの顔を見る度「家に帰れ」「学校に行け」というのは「安全を確保しろ」「力を蓄えろ」ということで、さらに言うと、「矢面には私が立っているし、責任は私が取るから、心配なんかしないで君はそこで力を蓄えていなさい。助けてほしいときは言いなさい。私もそうするから」と言っているわけで、そのトニーがいてこそ、アベンジャーズチームの中でスパイダーマンはアイドルとして輝くわけで、ついでにいうとロケットがいるからグルートはかわいいわけで。

竹中夏海先生の名著『IDOL DANCE !!! 歌って踊るカワイイ女の子がいる限り、世界は楽しい』のタイトルは「歌いたい、踊りたいという女の子が歌って踊っていられる世界なら、その世界は間違いなく楽しい」という意味であって、「歌って踊るカワイイ女の子」が「楽しい世界」を創るわけではないと思う。女の子は世界の部品じゃない。「歌って踊るカワイイ女の子」がいるためには、先に世界が楽しくならなきゃいけないし、世界が楽しく、優雅に、静かに維持されて初めて、「歌って踊りたい」っていう夢が現実になるんだと思います。若い子に奉仕を求めないで。

 

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