プール雨

幽霊について

ざべす、ひつじを食べましたの

ざべすよ!

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ざべす昨日、雨子と映画に行きました。「キャプテン・マーベル」っていう、女の人がヒーローになる映画を見ました。女の人からぶわ〜〜っと炎みたいなのがあがって、彼女の目がぴかぴかにひかってとってもかっこよかったわ! それに女の人の上司と同僚で親友の人もとっても素敵でいい人たちだったわ。

それで、お話の中心なのですけど、ざべす、やっぱり猫ちゃんは油断ならないと思いました。

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雨子のお母さんとお父さんのいえのねこ

それから、ご近所のお友達のご案内でひつじを食べに行きました。

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あわあわのワイン

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ひつじ

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スペインの赤ワイン

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ひつじ

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やさい

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さかな

 

写真を撮ったのは雨子なのですが、だんだん酔っ払っていくのがおわかりいただけますでしょうか。でも、いい気持ちになっちゃうのしょうがないと思う。どれもとってもおいしくて、ひとくち食べる度に「おいしい!」って言わずにいられませんでした。最後のデザートまでおいしくて、ざべす感激。

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お店の人がフォースを使って見せてくれました

またつれてきてね、と雨子にお願いしました。雨子は「おそらく可能だと思う」と重々しく言いました。

有楽町にて

「あたくし、今度のサーヴィスデイは新宿とかいう大都会に行って『ねじれた家』を決めてこようかしら」

とつぶやいたら、優しい御方が

「もしもし、あなたの言っている角川シネマは有楽町の方ですよ」

と教えて下さり、あれよあれよと二人ででかけることになりました。

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有楽町は高架下が楽しいところです

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お昼時には高架下のお店に行列が

有楽町の角川シネマはビックカメラのビルに入っています。スクリーンはひとつだけですが、大きいし、すり鉢型の客席が美しいです。こじゃれたポップコーンを売っています。

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美しいカーブ

アガサ・クリスティーの『ねじれた家』は第二次世界大戦終戦後まもなくの刊行で、舞台もその辺り。ロンドンでレストラン業を営んでいたギリシャ人、アリスタイド・レオニデスが、戦中あやしいことをして莫大な資産を築き、レストラン業は次男に任せ、自分は若い後妻と結婚し、戦争も終わったしこれからは悠々自適に、ということろで何者かに殺害されてしまいます。容疑者は彼の建てた「ねじれた家」に住む家族全員。向かない会社経営を任され、資金繰りに苦しむフィリップか、長男であるにもかかわらず会社を任せてもらえなかったロジャーか、それとも 20 歳も年の離れた後妻か……というお話。

戦後ものです。戦後ものだっていうのが、原作よりぐっとくっきりとわかりやすくなっていました。主人公のチャールズとソフィアがなぜカイロで出会ったのか、そこでチャールズは何をしていたのか、殺害されたソフィアの祖父が戦時中そして戦後になってもおこなっていた汚い商売とはどういうものなのか、そうしたことはむしろ最近の方が「常識的に」はっきりと語られるようになったかもしれませんね。

また、戦時中にビジネスで成り上がった大富豪がその後どのように生き抜いているかを知っている現代の我々であれば、原作のような展開はちょっと飲み込みづらいものがあるかもしれません。

そうした、原作ではああだったけど、今だとあれはちょっとあのままだとあれだよなあ、どうするのかなあと思っていた様々なことが、かなり潔く脚本上でも映像上でも処理されていて、「なんか、キリッとした映画だな」って感じがしました。

 と、冷静なふうで書いていますが、結構、かなり、おもしろかったです。言葉はぎりぎりまで削られていて、各登場人物について(原作にあるような)釈明はないのですが、一言一言が効いて、いくつかのシーンで胸をかきむしられました。

印象的なダンスシーンが三回あって、そのどれもとても切なくて。いいダンスシーンでした。

そんなわけで短いエンディングが終わってぱっと灯りがつくと立ち上がり、前方に友人を見つけて手を振りました。彼女も感極まった表情で手を振り返してくれました。

そのあとは甘い物を食べて散歩して餃子食べてビール飲んで解散しました。

午後三時くらいから五時間ちかくしゃべっていたのですが、まだ話せる、いくらでもと思う私たちです。

これからだ!

8 人組は 5 人になってからが本番説

こぶしファクトリー(MAGNOLIA FACTORY)はもともと 8 人組だったのですが、2017 年、一年かけて 5 人になりました。

が、その経過はこの際どうでもよいのです。大変だった(当人たちが)。大変だったけど、生きていればいろんなことがあるし、2017 年の詳細はどうでもいいです。

問題は、その後リリースされたシングル。

2018 年 3 月:「これからだ!」「明日天気になあれ」

「これからだ!」というのは傍から見てる人が言う言葉であって、本人たちが言うものではありません。それにあんまりその時点では「これからだ!」という感じは立ちこめておらず、強いて言えば「実力のある 5 人だから、こつこつやっていけば大丈夫だろうけど、こつこつやらせてくれるだろうか、このアイドルの世界がというかはっきり言って会社が……」という感じだったと思います。だからストレートにつらかった。「明日天気になあれ」のはまちゃんはかわいかった。

2018 年 8 月:「きっと私は」「ナセバナル」

ここにおよんで私は「いいかげんにしてくれ」という気持ちになりました。2017 年時点でも「いいかげんにしてくれ」とは思わず、「ううむ」という程度だった私がです。8 人組から 5 人組になって「大丈夫なのかな」という雰囲気をぱっと払拭してくれるような、「この 5 人はここから行くから!」というものが聞きたいと思っているところに「これからだ!」だの「ナセバナル」だの。3 月リリースの「これからだ!」はおそらく 3 回聞いて、「う〜ん、そりゃそうだろうけど」という気分になり、「ナセバナル」に至っては 1 回も通して聞いていない。でも「きっと私は」は和室でひらひらした服を着ておどりくるう 5 人がちょっとおもしろかったし、声がきれいだと思いました。はまちゃんがポニテだったらもっとよかった。

ここで突然ですが、4 月 24 日発売の新曲「Oh No 懊悩」の MV が公開になりましたので、拝見します。


こぶしファクトリー『Oh No 懊悩』(Magnolia Factory [Oh No The Torment])(Promotion Edit)

「Oh No 懊悩」MV、メンバー別特筆ポイント

広瀬彩海(ひろせあやか)様 
  • 0:44~ 懊悩〜ショットからの「ぜんぜん大丈夫じゃないくせ」のソロの涼しげなショット。
  • 3:16~ 「愛されたい?」の声とウィンク。
  • 美しい。
井上玲音(いのうえれい)様 
  • 0:56~「わたしばっかってわたしバカ?」の「カ?」の瞬間の解放感。
  • 1:59~「叫ばせて~」の「て〜」の瞬間。
  • 美しい。
浜浦彩乃(はまうらあやの)様
  • 1:37~「笑えません」のソロのときの冷たい目。
  • 2:30~ 間奏で真ん中に立ったときの余裕。
  • 2:05~「なれないわ~」で、小首をかしげて笑っている瞬間。
  • ポニテ
  • かわいい。
和田桜子(わださくらこ)様
  • 1:38~「喜ぶと思ったの?」のソロのときの涼やかな目。
  • 1:52 ~「いい度胸だね」の瞬間の強い目。
  • 2:56~「ごめんなさい」の直前に一瞬素になっているところ。
  • 3:06~「都合いいひとなんかになれないわ」のときの本気の表情。
  • とにかく目が美しい。
野村みな美(のむらみなみ)様
  • 2:09~「無茶苦茶来いよ」の瞬間のかっこいい目。
  • 2:15~ 間奏のダンス。かっこいい。
  • 3:14~「愛してたい?」のソロの最初から最後まで。特に歌い終わったあとの目。
  • 3:21~「どっちもほしいよ」のときに伸ばした腕からちらっと見える目。
  • シャープで素敵。

というわけで、何回見ても見飽きない、素敵なビデオです。全体的に上部が空いている構図も素敵だし、生き生きしていて楽しい。みんなきらきらしてるし、声もきれい。

おすすめです!

牡蠣、酒、そして美姫

友人達とつれだって牡蠣小屋にでかけて、シーズン終了直前の、ふっくらと大きな牡蠣をたくさんいただきました。二時間食べ放題で、お皿の牡蠣がなくなったらどんどん自分たちで補充するスタイル。二時間経つころには、ある人は牡蠣を焼くことに習熟し、ある人は牡蠣を剝くことに才能を見せ、そして私はひたすら食べました。

お酒が持ち込み可のお店で、スパークリングワインを一本、日本酒(南部美人!)を一升、チェコのビール、ブドヴァイゼル、それにシャンディ・ガフのためのビールとジンジャーエール、シナモンなどを用意万端で乗り込み、きっちりすべておいしくいただきました。

おいしかった!

牡蠣をあんなにたくさん食べたのは初めてです。食べても食べてもおいしくて、うまみでちょっと箍が外れているなと頭のすみで思いました。

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酔っ払っていたのでピントがどうしても合いませんでした。

おなかいっぱい。そしてよっぱらい。でも二日酔いにならなかったし、胃もたれもしませんでした。牡蠣&日本酒パワーを感じます。

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イカー恒例の足写真!

その次の日は、安藤美姫ファンの集いにおでかけ。

ハイクでは穏やかに安藤美姫の応援ができた思い出があります。彼女がいなければ、こうしてネットで遊ぶこともなかったでしょうし、この日会った皆さんとも会えなかったわけで、世界がとんでもなく広がりました。

初対面の方もいらっしゃったので、目印に安藤美姫本を持って行って、久しぶりに彼女の競技生活を振り返りました。考えてみればほんと、驚くような名作ぞろい。腕が長くて、リンクの上にすっと立っただけで絵になる、素敵な方です。

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目印がわりに持って行った美姫グッズ

サンドイッチ食べて、コーヒー飲んで、ケーキ食べて、書店に行ってスケート本を眺めてきゃあきゃあいって楽しかったです。

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なにもかも☆型の 80 年代風カフェにて

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伯爵という名の喫茶店にて

 (4/21 追記)はてなハイクを通じたオフ会では、上記の美姫オフのような少人数(4人)の場合も、牡蠣オフのようなまあまあな人数(8 人)の場合も、10 人を超える人数になる場合も、同様に穏やかに楽しく過ごせました。人数で自分の構えやテンションを変える必要がなく、また、どれほど大人数でも、お互いに相手を気遣っていることが伝わり、それが重く感じられないというのは稀有な体験だと思っています。

 平素は人数が増えると気が散って楽しめないことが多いのですが、ハイクオフだと、集まる前にあらかじめ場があったまっていたということなのかなあとか考えていました。初めてお目にかかります、という状況でも驚くほど初めての気がしなかったのも印象的です。まあ、お互いの「おはよう」から「おやすみ」までを日々読んでいればそうなって当然という気もしますし、なかにはオフをきっかけにして来なくなってしまった方もいらっしゃって、苦い思い出もあるのですが、私にとってはいつもどきどきするような素敵な場であり、同時に「いま、憩ってるなあ」と思える稀有な場です。

師岡カリーマ「謙遜は自分だけで」(2019 年 4 月 13 日 東京新聞朝刊「本音のコラム」)より

どこの国にも組織にも、無理して維持する必要のない、あるいはなくなった方がいい習慣や伝統がある。たとえば日本の場合、親が子の代わりに謙遜する文化はなくなってもいいと思う。

 子は親の所有物ではない。小学生でも幼稚園児でも、独立した人格と自尊心を持っている。それを人前で親がけなしたり軽んじたりするのを見るといつも気の毒で胸が痛む。

親が「いえ、うちの子、ほんとに、なにをやらせても今ひとつで」なんて言って、相手が「そんなことないですよ、立派ですよ、(子にむかって)ね」と応じるといったことはほんとに日々、よくあることです。 

このとき、親側は「そうは言っても私はあなたのことが大事だよ」というメッセージこみで子のことを軽んじて見せるふるまいをしているし、聞かされている相手も「そうは言っても、自分の子が世界でいちばんかわいいですよね」という言外のメッセージを送りつつ応答するのですが、これを子が受け入れていくのは二重三重にハードです。親が自分のことを恥ずかしく感じているという言葉を耳にするだけでなく、そういう言葉が交わされる世間というものを知っていかなければならないからです。この子が、自分もその場所で生きていくとすれば、まずは自分と身内を恥じるポーズをとることにまつわる仕組みを学ばなければいけないことになります。また、そのとき世間に向かって言う言葉自体は単なるポーズであって、親の言葉の裏にある真意こそを選択的に受けとめ(ひどい言葉は意味がないものとして聞き流し)、最終的には親と同様のふるまいを身につけ世間からうまく受け入れられていくことに感謝しなければならない。

そうしたことが「当たり前」と認識されている社会で生きるのは大変です。

 

子にとってみれば、やはり親の言葉は重く、「親が自分を恥じている」とつきつけられる経験は強烈で、後で「ほんとはそんなこと思ってないよ」と言われても、そのとき傷ついたことは印象として、あるいは身体感覚として残ります。

また、たとえば自分で「ばか」とか「なにひとつまともにできない」とか、そういった言葉を虚空に向かってでもつぶやいてみると、その瞬間「むかっ」としていることがわかると思いますが、人を傷つける言葉はやはり口にしただけで、書いただけで、語り手をも傷つけるもので、たとえば「うちの子はどうしようもない」と口にすることの不快感はばかにできないものがあります。そう繰り返しているうちにほんとに子のことを軽んじるようになる、そういうこともあるんじゃないでしょうか。

これは自分自身に関しても言えることで、「私ばかだから」と言いながら相手を攻撃するという行動を時々見かけますが、「私ばかだから」と繰り返し言っているとその瞬間その言葉に傷つくのは自分なわけで、そのうち心底自分が嫌になってくる、そういうこともあると思います。

話を元にもどすと、ややこしいコミュニケーションを自分より立場などが弱い人に対して強要するのは、ひたすら事態がややこしく、そこにいる人全員が不快に、そして不幸になるだけなので、その仕組みにはまらないようにし、仕組み自体を解体していくのがいい。叔母は孫たちのことを人前で大絶賛して幸せそうだし誇らしげ。孫たちも褒められて幸せそうです。それに実際いい子たちだし。幸せでいてほしい。

 

ハイクのデータがブログにインポートできなくてつらかった。

ハイクのデータがブログにインポートできなくてつらかったです。

はてなさんに問い合わせたところ、はてなではハイクの後継サーヴィスの用意がないので、ハイクのデータをそのままインポートする受け皿はないということでした。

自分で何らかの加工をしないと、どうにもならないのかあと、一時期はひとつひとつコピペしようかと考えていました。

そこで id:screwflysolver さんに手取り足取り教えていただいて、「マック 右クリック」「オートフィル 時間がかかる」「正規表現とは」など検索しつつなんとかかんとかデータと格闘すること 10 日。

できそう、できるかもしれない……っていうところまでは行きました。

なんとなく、作業の方向性がうっすらわかるところまでは行きました。

でもそこから先に進めなくて。

 

ここで一旦休憩にします。

ネットを検索すればデータの形式をインポートできるものに変えるツールがたくさん公開されているので使ってください、とはてなの方には言われたのですが、データが大きすぎてそのままだと無理なんですよね。

今回 screwflysolver さんに教えていただいて、そのデータ自体を分割しても別にいいのかもしれない……という発想も持てました。もしかしてその線から攻めるかもしれません。

とりあえず、一旦休憩します。

そして、ハイク(の、特に id ページ)で書いていたようなことを今後はこのブログに書いていっちゃおうという、そういうつもりです。

 

「魂のゆくえ」

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原題:First Reformed

監督:ポール・シュレイダー

2018 年

小さな教会、日曜日、まばらな人々、牧師トラーの堅実な説教。礼拝が終わると、一人の女性、メアリーが牧師に「夫に会って、話を聞いてやってほしい」と依頼する。彼女の夫、マイケルは「こんな世界で子どもを産んではいけない」と、妻に中絶をすすめるのだという。トラーはマイケルに懸命に話しかけるが、逆にマイケルから教会の環境保護に対する態度をなじられ、かわりに、イラク戦争に息子を従軍させ、死なせてしまった経験を話すことになってしまう。

 

いま、イーサン・ホークのうまいんだか下手なんだかわからない歌を聴きながらこれを書いています。

まず、カメラがフィックス。

カットは割れていくんですが、基本的に一旦画角が決まってしまうとそこから動かない。

「当たり前だろう」

と思われる方に弁解しますと、私はふだん映画を見ると、その中に入り込んだような気になっているのです。だから思い出すと実際の画角と別の角度、アングルの絵を思い出してしまい、何度も思い出しているうちに結構なちがいが生じてきてしまうのです。

でも大抵の映画はいろんな角度から見るよう、誘惑していると思います。フィリップ・シーモア・ホフマン(兄)がイーサン・ホーク(弟)を怒鳴っているとき、兄の目から見た怯える鹿のような弟を想像しないでいるのはちょっと難しい。

「魂のゆくえ」はまず、がっちりこちら側の視線が固まるところから全シーンが始まって、そこから動けないのです。目が動かせない。なにかで頭を固定されて見るような感じです。

そこに来て、ドア越し、壁越し、窓越しの映像が多いため、のぞき見をさせられているような感じすらあります。

イーサン・ホーク演じるトラー牧師がジェファーズ牧師から「君はひとりでずっと苦闘している。イエスですらそうなことはなかった。休息が必要だ」というようなことを言われてしまうシーンが終盤あるのですが、トラー牧師は「よりそうこと」を拒む人物として描かれていて、そのことと彼がマイケルからあるものを受け取って、それを自身の義務として生きようと決断する展開が結びついています。

つまり、彼は「世界」と対決しようとするのですが、その「世界」には今現に見ている私も含まれるわけで、見ながら何度か「今、強烈に拒まれた」と感じることがありました。

はっきりとそれを感じたのは、彼が夜通し車を運転し、歩き、そして別の祈り方を発見したとひとりごちる瞬間です。画面の右隅に立ち、向こう側を向いている男が私たちをまるごと憎んでいるのがわかりました。

そのことと比べれば終盤の展開はむしろ優しいというか、「ま、よかったナ」って感じがするほどです。

とにかく、スクリーンからあれほど強く、はっきりと表現として拒絶されたのは初めてのことで、そのことが強く印象に残りました。

私は憎まれていると思いました。

同時に、「私、『世界』じゃないよ」とも思いました。

ざべす・イン・ワンダーランド 最終回

ざべすよ!

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お楽しみいただきました「ざべすの京都ほっこりダイアリー」も今日で最終回です。

いろいろありましたが、4 月 3 日の午後は、東福寺に参りました。

臨済宗東福寺派の総本山だそうです。

ここもなんでもすっごく大きかったです。雨子たちが「自分の世界観の間尺に合わない」ってずっと言っていました。

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大きさがすこしわかるでしょうか。全部が巨大です。

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本堂と開山堂をつなぐ通天橋をわたります。

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広大なお庭のなかを行きます。秋になると紅葉でたいへんだそうです。

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お庭がおしゃれでかわいいです。

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鳥さんもいました。

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ここから帰りました。

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京都駅から新幹線に乗りました。とってもさみしかったです。また来るからねって京都に話しかけました。ばいばい。

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長谷寺も天理も伏見稲荷東福寺も、この世にひとつの別世界をつくりあげていて、ワンダーだなあと思いました。宗教というのは、そういうものなのだなと思いました。世界をつくるのですね。だから静かできれいで、間尺に合わないんだなと思いました。

迎え入れてもらって、うれしかったです。

おじゃましました。

ざべす・イン・ワンダーランド 最終日前半

ざべすよ!

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「ざべすの京都ほっこりダイアリー」も今回を入れてのこすところ二回です。

4 月 3 日のことでした。

前の晩泊まったところは、ふつうの一軒家の二階で、暗証番号を入れて中に入るシステムで不思議でした。キッチンとお風呂、お手洗い、それに洗濯機や食器などがあって、おうちみたいだったので、ざべすあそこを京都の別荘にしようと思います。

三角形のいなりずしを食べてから、伏見稲荷大社に行きました。

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お山のなかにずーっと、ずーっと鳥居が続いていて、おもしろかったです。お山をひとつ、ワンダーランドにつくりあげたようでした。

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蛭子能収さんが寄進していました。

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ここでお神楽をやったりするそうです。本堂にはカメラを向けられないのですが、このとき、写真を撮っている雨子の背後に本堂があって、そこでなにか祝詞をあげたり、楽器を演奏したりしていました。

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そのあとは、伏見の街の酒蔵めぐりをしました。

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お昼は焼き鳥食べました。

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伏見って、のんびりして静かでいいところでした。焼き鳥もおいしかったです。

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 伏見ではたくさんの新婚さんが記念写真を撮っていました。川沿いの桜の下や酒蔵の古い町並みを背にして、ドレスの花嫁さんとタキシードの花婿さんがとっても幸せそうでした。

ざべす・イン・ワンダーランド 二日目の昼と夜

ざべすよ!

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「ざべすの奈良まったり紀行」も終盤です。

4 月 2 日朝、長谷寺で勤行を済ませ、おごそかな気持ちで初瀬を旅立ちました。

初瀬の駅です。ざべすこのときはすこしさみしい気持ちになりました。

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でも、このあと行ったのが天理市だったので、わけがわからなくなりました。天理教のことは今回すこし勉強しました。天啓を受けた教祖が開いた、「陽気ぐらし」を実現するための宗教だそうです。

神殿は、だれでも見学できますが、とてもおごそかなところなので、おごそかな気持ちで、息を止めて歩きました。そんなところに、いつでもだれでも入れるというのはすごいと思いました。

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 そして、すっごくなにもかがもおっきくて、びっくりしました。神殿の写真、人間のみなさんと比較してください。柱も大きいし、天井も高いし、窓が全部開け放たれていて、びゅお〜と風が行き来して、ちりひとつおちてない、とってもきれいなことろでした。

 大きさときれいさが伝わるでしょうか。雨子が「写真には写らない大きさがある」って言っていましたが、伝わるといいなあと思います。

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なにかこの世とは別に、ひとつ、おおきな世界をつくりあげているんだなと思いました。きれいで、しずかで、大きくて、変わった映画の中に入りこんだような気がしました。雨子は「これがほんとの 4D」って、よくわかんないこと言ってました。

ここからすこし行くと石上なのですけど、ちょっぴりくたびれたので駅前でお昼ごはんにたこ焼きを食べて天理を後にしました。たこやき、おいしかったです。やきそばも食べました。

宇治に移動して、抹茶とさくらもちをいただきました。ここから「ざべすの京都ほっこりダイアリー」です。抹茶、おいしかったです。疲れが取れました。雨子と雨夫がお店の人に「おいしいお茶って、出汁みたいな味がしますよね。そうじゃないお茶ください」とか言ったので、ちょっぴり恥ずかしかったです。もう!

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平等院鳳凰堂に行きました。

藤原道長さんの別荘的なところを息子さんの頼道さんが寺に改めて創ったのだそうです。ここで雲中供養菩薩像っていうのを見ました。仏様やお坊様がひらひらと雲にのって楽器を演奏している像がいっぱいあって、とっても素敵でした! ふわふわ、ひらひら、ぴーひゃらひゃらとしていて、うわあと思いました。うちにもほしいです。

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雨子が撮ったなぞの看板。

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この日はこのあと伏見に移動して、肉食べて熟睡しました。

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(元がどこに行ったかわからなくなったので、自分のツイッターをスクショした写真)


(三日目につづく)