プール雨

幽霊について

2017 年 10 月に見た映画メモ

10 月 1 日『スイス・アーミー・マン』@TOHO シネマズ川崎

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ハンクが無人島で一人、命を絶とうとしたその瞬間、波打ち際に倒れている男を発見する。はじめはそれが死体であることにうなだれたハンクだったが、死体はガスを発生させており、それを推進力にして無人島を脱出するのだった。

このあらすじを自分の指でまとめていながら覚える、「何を言っているんだ」感がすごいです。

日本版の予告とポスターに「大切な人が、待っているんだ」とあって、それが何らかの意味で嘘で。嘘というと語弊があるのかないのか、それすらも判然としないのですが、とにかく、メニー(死体)はハンクの携帯の待ち受け画像に写っている女性を自分の大切な人と思い込んで、それでハンクとともに帰ろうとする……。

と自分で書いておいて、一応間違いや嘘が上記の文章に含まれていないか読んでみて、さて、どうだったか自信が今ひとつありません。見て一ヶ月以上経って、あらすじを書いてみて、いまだに「……何の話!?」という感じ。どこから発想してどうやって作り上げていったのか今ひとつ想像つかない。

でも、ハンクとメニーが生き延びようとしたということだけはわかる。生き延びようとして、時には「お話」が必要になり、時には着飾って演技することが必要になり、そして時には「助けてやる」と伸ばされた手をはねのけることも必要になる。

とかなんとか言って、映画中はずっと笑っていました。とっても楽しい映画です。

 

10 月 1 日『ヴェンジェンス』@チネチッタ川崎

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相棒を亡くした刑事ジョンと、一人で娘を育てているティーナがバーで出会った。ティーナが話しかけると、ジョンはただ黙って彼女の話を聞いた。彼女は、ときおりうろたえたような表情を見せる優しいジョンに好感を抱き、電話番号のメモを残してバーを立ち去った。それからほどなくして、ティーナが暴行され瀕死の重傷を負う事件が起こった。犯人たちは逮捕されたが、裁判は二重三重にティーナを苦しめるものだった。

ニコラス・ケイジもの。きちきちっとした、まじめなつくりにびっくり。見ながら、「これ、ケヴィン・ベーコンだったらもう少し華やかな感じになったのかなあ」と思うようなシーンもあったことはあったものの、ラストまで見ると「この味はニコラスにしか出せない」と思う。

ジョンは必死に正気を保とうとしているのに、町のチンピラどもが着実にジョンの精神の留め金をはずしていく。ジョンは別に「ぎりぎりです」ということを隠してもいない。最初からずっと、「困ってます」という顔をしている。なのにチンピラどもは無目的に正気の人々を追い詰める。

このチンピラどもの悪さかげん、だめさかげんが現実にありそうで、嫌な雰囲気が着々と積もっていくのが映画の半分……もっとかな? ジョンが困った顔のまま、想像のつかない速度とぎくしゃくした動きで逆襲に出るのが後半。デンゼル・ワシントンとも、リーアム・ニーソンとも違う、困り顔の始末人がこれまたわりと「ありそう」な感じで動き出します。この「なさそう」だけど「ありそう」、でもやっぱり「なさそう」、いや「ありそう」という感じはニコラスならでは。原題 " Vengence : A Love Story " の意味がわかる瞬間のあたたかみもニコラスならでは。

 

10 月 20 日『新感染 ファイナル・エクスプレス』

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釜山行きの電車内で突如謎の病気が発生し、感染が拡大する。

「お父さん(だけ)がんばる」映画。ぱーんと窓が割れてそこからわらわらゾンビが落ちてくるとか、線路上で主人公を追いかけるゾンビの群れとか、そういった爆発がテンポよく起こるので、最後まで飽きずに見られるのだけど、ゾンビの関節が強くて足が速いのが好みじゃなかった。脚本にすごろく感が残っていて、あんまり集中して見られなかった。ゲームっぽかった。


10 月 24 日『20センチュリー・ウーマン』@早稲田松竹

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1979 年のこと。ドロシーは息子、ジェイミーのことが心配でたまらず、下宿人のアビーと近所に住む、ジェイミーの親友ジュリーに彼のめんどうを見てやってくれと頼む。それに反発したジェイミーは友人たちとロサンゼルスに出かけ、ライブに行き朝まで帰ってこなかった。ジュリーはジュリーで自分が妊娠しているかもしれないと悩み、それをジェイミーに打ち明ける。ジェイミーは妊娠検査薬を買って、ジュリーに付き添う。そして、アビーにはガンかもしれないという悩みがあった。

成長しつつある男の子が、幼なじみや、ちょっと年上の下宿人や、さらにうんと年上の下宿人、母親といった自分の先を行く人々の間を行ったり来たりする。最初はジェイミーが一人で右往左往しているかに見えて、右往左往しているのは全員なのだなとわかっていく。特にドロシー。自分の息子の世話を友人たちに頼む母なんて、そこだけ聞いたらうんざりするような話だけど、実際見ていると、ただ息子(たち)を理解したいだけなんだとわかる。息子、ジェイミーが自分にはわからなくなってきたな、というところから始まり、アビー、ジュリーといった女性たちにジェイミーをよろしくと頼みながら、アビーの苦しみ、ジュリーの苦しみにも触れていく。自分とはいろんな部分で違う彼女たちの話に耳を傾け、時に拒否し、時に受け入れ、そして自分のこともじっくりと考えてみる。それだけの話なのに、うずうずするような魅力にあふれていました。たばこをふかしながら、外に内に耳を傾けるドロシー、自分が何を求めているか理解しはじめているアビー、自分が何に腹を立てているか探しあぐねているジュリー、そんな彼女たちの打ち明け話を受け止めたいと願いながら、まだ何もできないジェイミー。スクリーンからいつも風が吹いているようで、楽しい映画体験でした。

 

10 月 24 日『カフェ・ソサエティ』@早稲田松竹

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ボビーはハリウッドで仕事を得るため、映画界で地位を築いている叔父、フィルに相談し、雑用係として雇ってもらう。そして、叔父のもとに足繁く通ううち、秘書を務めるヴォニーに恋をしてしまう。しかしヴォニーにはなかなか会ってくれない恋人がいるらしく……

ハリウッドの大物フィルを演じるのがスティーブ・カレルで甥がジェシー・アイゼンバーグ。もててもてて困るスティーブ・カレル。もててもてて困るジェシー・アイゼンバーグ。このキャスティング自体がちょっとしたギャグ、というと語弊があろうかと思われますが、冗談というのかなあ。おもしろみ。絵面が変。フィル(スティーヴ・カレル)がハリウッドの大物として登場する冒頭から妙な磁場が発生してしまい、あははは、ははははと笑いながら一瞬、ぐー。すぐ、むくり、と起きて、あっ寝ちゃったと思うものの、別にそれもまた良しと思えるお大尽映画。

ちなみに、映画後半でボビー(ジェシー・アイゼンバーグ)が結婚する相手を演じるのがブレイク・ライブリーで、素晴らしかった。夫の心にはだれかいるみたい……と思っている彼女の美声にくらくら。あの声を映画館で聞けただけでも満足。でもこのヴェロニカは以前、夫を友人に奪われて離婚した経緯があるから、ボビーがいい加減な態度でいると大変なことになるんだけどな。

 

10 月 29 日『ブレードランナー 2049』@ 109 シネマズ川崎

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 2020 年、反乱を起こしたネクサス 6 型のレプリカントが寿命を迎えて死滅した後、レプリカントに対する差別は苛烈なものとなり、虐殺される事件が相次いだ。そこに、2022 年の大停電の影響も重なり、タイレル社は倒産した。このタイレル社の資産を手に入れ、レプリカント禁止法を廃止させ、「ネクサス 9 型」の製造に乗り出したのが科学者、ニアンダー・ウォレスだった。ウォレスには環境破壊が深刻化する中、合成食料の技術を無料公開し、食糧危機を救ったという実績があった。

2049 年 6 月、雪が降るロサンゼルス上空で、旧型レプリカント解体の職にある K は合成食糧の工場を目指していた。

一回しか見られず残念。できればもう一度スクリーンで見たいです。

例えば、今自分が生きている現実は誰かの夢かもしれないとか、誰かの決めたルート通りに自分は進んでいるに過ぎないのかもしれないとか、あるいは、自分は偽物で、本物の自分はどこか別にいるのかもしれないとか、そういうことに関して、私はあまり不安に思わない質で、五億歩譲って、自分が誰かの夢の登場人物だとして、それが、一体、どうした、と思っている方なので、よくよく考えればそもそも「ブレードランナー」の観客としてちょっとはずれているのかもしれない。

でも「ブレードランナー」は大好き。今でも時々見ます。劇場版、ディレクターズカット版とそれぞれ一長一短ありますが、自らの意志を信じたいと願う人々が暗闇の中を、雨が降る中を駆ける姿はそれだけでどうしても見逃せないものがあります。

どこまでがプログラムされたもので、どこからが自らの意志なのかとレプリカントたちは問うわけですが、人間だってそれは同じで、意志を認められる、尊厳を与えられることを切望してきた歴史と今があって、いくらシニカルに決め込んでもそこからは逃げられない。

だからこそ、ある人物が『2049』で「本物か偽物か」と口にした瞬間、「この期に及んでまだそんなことを言うなんて!」と怒りに近い感情がわいてしまいました。

K が差別に耐えて働き、物語を追い求めて敗北し、そしてふっと自由を手にする。そのとき雪が降っていて、そのことに意味はないものの、雪が降っていて良かったような気がしてしまう。

とても静かな映画で、人々はじっと何かに耐えていて、何かを待っているけれども、その最中にふっとそれまでの思考の枠組みから飛び出す。この飛び出し方があまりに静かで、見ながら自分の呼吸にさえ注意深くなってしまった。

映画館では緊張しているような、はらはらするような、それでいて頭のすみがしーんとしているような不思議な感覚を味わいました。長くは感じなかったけれど、言われてみれば短くなかった。次は家でゆっくり見て途中で居眠りしたりしたいです。