プール雨

幽霊について

落ちた後でうっかり立ち直る

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原題:Centaur

監督:アクタン・アリム・クバト

2017 年 キルギス、フランス、ドイツ、オランダ、日本

馬の神話を信じる男が、馬で財を築く男の家に忍び込んで馬を野に放つ。

予告と違って、主人公には秘密といえるような秘密はないし(村中が知っている)、信念といえるほどの強固な思いもありません。

ただ、馬が好きで、女性が好きで、映画がちょっと好き。馬は度を超して好き。野を駆ける馬の背で両手を広げる彼は空を駆けるような解放感を見せてくれます。でもその馬、この後どうするのかな? と思って見ていると……

出来事だけ追っていけば、村をめぐる情勢の変化についていけなかった男が、ちょいちょい逸脱した行動をしてしまい、なんとか彼に共同体の中で居場所をもってほしいと人々が尽力するものの、男は神の領域に足の小指の先の爪くらいはつっこんでいたので、供物になるしかなかった、と、とてもシンプルなお話だということになります。

ひとつの文化が失われていくなか、その変化についていく人々と、ついていけない男がいて、という対立に着目すれば、単純ですし、あらすじだけ追うと、ドラマの起点には必ずこの男の逸脱行為があるわけですから、そういう話に見えなくもない。

でも、そんな風に明確に対立しているわけではないのです。村の他の人々がグローバリゼーションにぐいぐい対応して、自分たちの文化をどんどん手放しているなんてことはなく、イスラム教とロシア正教の他に、昔からこの地に伝わっている信仰を大切にし、女たちが守ってきたというこの地の歴史に耳を傾け、伝統食を食べて、飲んで、働いて暮らしています。

それで「ケンタウロス」と呼ばれることもあるこの男が、じゃあ、どうかって言うと、家業とは全然関係のない映像技師の仕事をしていたこともあるし、妻子がいながら、とうに夫を亡くしたという美女の前でかっこつけてくどかんばかりのことをしている。

別に、全然状況の変化についていけていないわけではなく、どうもただちょっと、欲望に忠実なだけなような気がするケンタウロスさんです。

このケンタウロスさんが終盤、ある奇跡にかかわるのですが、そこのつながりはあるようなないような、まあ、多分、全然ないのだろうけど、あるということにしてもかまわないというのが村の総意です、という展開を見せます(「あるということにしてもかまわないというのが村の総意です」の部分は私の想像)。

特に高潔でもなければ純粋でもないダメ人間が右往左往している間に、ひっそりと奇跡が起こっていました。それがおもしろくて、見終わってちょっと経つのですがちょいちょい思い出してしまいます。

また、この映画を見たとき、私にもちょっとした奇跡が起こっていました。

この二年ほど、悩み事があって、どうにもならなくなったら病院に行くことも視野に入れなきゃなあ、というくらいのところにいました。その苦しみの原因は自分の考え方の誤りにあるということはわかっていたので、ずっと頭の中でそれをただすよう、「これとこれは別問題、つなげて考えない」「私ができるのはここまで」「やれることを一所懸命やる」「自分の能力をこえたことにかんしては考えない」といったことを呪文のように日々言い聞かせていました。でもその言葉が体から浮いたような状態が続いて、どうもうまくいかない日々を送っていたところ、この映画を見て、友人とお茶をして、彼女の話を聞きながら、その指先を見ているうちに、す〜〜〜っと、腑に落ちたのです。それでぱっと目の前が開けたような感じになってしまいました。

ケンタウロスさんはわりと最後、大変なことになるんですけど、でも、映画が終わったあと、新しく展開があるんじゃないかな、って未来を思わせるような鷹揚さと豊かさが『馬を放つ』にはあって、その雰囲気の中で友人が話して聞かせてくれた言葉が、ちょうど『スリー・ビルボード』でディクソンが遅れて届いた手紙を読んだときのような奇跡を私に起こしました。

 

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原題:Three Billboards Outside Ebbing, Missouri

監督:マーティン・マクドナー

2017 年 イギリス

ミルドレッドは娘を殺されて 7 ヶ月、進展しない捜査に業を煮やし、行動に出た。

これはほんとに最高でした。

今、予告を改めて見て、また見たくなってしまいました。

主人公ミルドレッドに、レイシストコップ、ディクソンがくってかかります。このディクソンがほんとにダメで情けなくて、出てきて即観客に伝わる「つける薬がない」感じ……。

ところがこのディクソンに、そしてミルドレッドに、それぞれひとつの奇跡が起きるのです。

ディクソンのところに遅れて届いた手紙。ミルドレッドの耳に届いた、思いがけない人物による思いがけない言葉。長く苦しんできた二人に起きたちょっとした奇跡がひらかれたラストにつながります。

ディクソンの中で苦しみと愛情が結びついて、未来がひらかれた瞬間、「ああ、こんなことが、あの人にも起きたらいいのにな」なんて、ある人のことを思っていました。なのに、奇跡は自分の身に起こってしまいました。うまく行かないものです。

ディクソンもミルドレッドも私も、この先どうなるかわからないけど、今は以前よりずっとずっと、ましな気分です。二人が運転している車に、今も自分が乗っているような気がしています。