プール雨

幽霊について

「魂のゆくえ」

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原題:First Reformed

監督:ポール・シュレイダー

2018 年

小さな教会、日曜日、まばらな人々、牧師トラーの堅実な説教。礼拝が終わると、一人の女性、メアリーが牧師に「夫に会って、話を聞いてやってほしい」と依頼する。彼女の夫、マイケルは「こんな世界で子どもを産んではいけない」と、妻に中絶をすすめるのだという。トラーはマイケルに懸命に話しかけるが、逆にマイケルから教会の環境保護に対する態度をなじられ、かわりに、イラク戦争に息子を従軍させ、死なせてしまった経験を話すことになってしまう。

 

いま、イーサン・ホークのうまいんだか下手なんだかわからない歌を聴きながらこれを書いています。

まず、カメラがフィックス。

カットは割れていくんですが、基本的に一旦画角が決まってしまうとそこから動かない。

「当たり前だろう」

と思われる方に弁解しますと、私はふだん映画を見ると、その中に入り込んだような気になっているのです。だから思い出すと実際の画角と別の角度、アングルの絵を思い出してしまい、何度も思い出しているうちに結構なちがいが生じてきてしまうのです。

でも大抵の映画はいろんな角度から見るよう、誘惑していると思います。フィリップ・シーモア・ホフマン(兄)がイーサン・ホーク(弟)を怒鳴っているとき、兄の目から見た怯える鹿のような弟を想像しないでいるのはちょっと難しい。

「魂のゆくえ」はまず、がっちりこちら側の視線が固まるところから全シーンが始まって、そこから動けないのです。目が動かせない。なにかで頭を固定されて見るような感じです。

そこに来て、ドア越し、壁越し、窓越しの映像が多いため、のぞき見をさせられているような感じすらあります。

イーサン・ホーク演じるトラー牧師がジェファーズ牧師から「君はひとりでずっと苦闘している。イエスですらそうなことはなかった。休息が必要だ」というようなことを言われてしまうシーンが終盤あるのですが、トラー牧師は「よりそうこと」を拒む人物として描かれていて、そのことと彼がマイケルからあるものを受け取って、それを自身の義務として生きようと決断する展開が結びついています。

つまり、彼は「世界」と対決しようとするのですが、その「世界」には今現に見ている私も含まれるわけで、見ながら何度か「今、強烈に拒まれた」と感じることがありました。

はっきりとそれを感じたのは、彼が夜通し車を運転し、歩き、そして別の祈り方を発見したとひとりごちる瞬間です。画面の右隅に立ち、向こう側を向いている男が私たちをまるごと憎んでいるのがわかりました。

そのことと比べれば終盤の展開はむしろ優しいというか、「ま、よかったナ」って感じがするほどです。

とにかく、スクリーンからあれほど強く、はっきりと表現として拒絶されたのは初めてのことで、そのことが強く印象に残りました。

私は憎まれていると思いました。

同時に、「私、『世界』じゃないよ」とも思いました。