夏だからスペイン映画を見ようと、楳図かずおのお膝元、吉祥寺に出かけました。
私はスペイン映画を見ると寝る傾向があります。
念のため断りを入れますと、映画を見て「寝た」ということで「つまらなかった」ということの表明になるという風潮がありますが、私はそれを真っ向から否定します。生き物だもの、睡眠欲と酸欠にはあらがえない。私は比較的、脈絡なく眠くなる方で、今は家で仕事をしておりますので、そういうときは逆らうことなくひょいっと寝ておりますが、会社勤めのときはいろんなものを注入してこらえていました。だが寝るにしくはなし。
私がスペイン映画で寝る傾向にあるのは、そのような私の「座ってると眠くなる」という信じられない体質と、ストイックなリアリズム、あの風景、あの温度、フラメンコギターにぐらんぐらんして、かくーとなるという、そういう生理的な問題によります。
しょうがない。
でも映画館で寝ると(居眠りしない人はご存じないと思います)、信じられないほどショックを受けますので、居眠りしないためにあらゆる方策を講じております。いちばんいいのは幕間に一眠りしておくこと。予告を見てひと泣きしたり笑ったりしていてはいけない。体力を温存しなければ。そして、映画が始まった後はハッカ油、目薬、コーヒーの三点セットで対応します。
この映画館はワインやビールもありますし、ハードなジンジャーシロップもあるそうなので、今後どしどし飲んでいくつもりです。
が、まずは、コーヒー。
そして、じゃじゃん! かわいい壁にかわいい椅子。スペイン映画にふさわしい状況がそろいました。
このかわいい壁を背にしてお洒落な椅子に埋まって見た映画が、「誰もがそれを知っている」 です。
アルゼンチンで富豪の夫と暮らしているラウラ(ペネロペ・クルス)が妹の結婚式のためにスペインに帰ってきた。彼女の二人の子どもはスペインの町並みに目を輝かせ、これからの数日に期待する。夫は急な仕事でどうしても来られないのだという。
結婚式の夜、ラウラの娘、イレーネが誘拐された。
そもそも、結婚して外国にいるペネロペ・クルスが夫を伴わずに帰省するという、その状況だけでくらっとします。なにも起こらずに帰れるはずがありません。
そのペネロペの幼なじみがハビエル・バルデム。このキャスティングを聞いただけで「イレーネの父親、ほんとはバルデムなのだな」と想像してしまいます。実際、予告にもそのシーンが流れています。そのイレーネの出生の秘密を知っているものが犯人だと、探偵役の元刑事は言うのですが、そんなことハビエル・バルデム以外、みんな知ってるよ! という展開になります。
ここまでのところで映画の半分くらいだったのでしょうか。私はこの辺りは予告でも見たし、これがミステリの中核なら話が終わってしまうから、もうひとひねりあるのだろうなという構えが半分、スペインのリアリズムをもってすれば、そんなひねりはないかもしれないという構えが半分でコーヒーをぐびぐびっと飲みました。
ひねりはありました。
しかもそれをヤスの××××××××××。
あ〜〜〜〜こわかった……!
こわかった〜〜〜。
こわいよ〜〜〜。
どうこわいか事細かには言えないので、この点以外で「誰もが知っている」のこわいポイント。
- ハビエル・バルデムが唯一のまともな男として登場(だがペネロペの前ででろでろになる)。
- 時折はさまるドキュメンタリーチックな目線。この家族にいろんなところから集まる視線。
- 日差しが本気でまぶしい。
- 暗闇が本気で真っ暗。
- 「見えたり見えなかったり」が繰り返し映されて、くらくらする。
- 娘が誘拐されて右往左往のペネロペ、警察に通報しようと何度か考えたりやめたり、じたばたするが、そのじたばたがリアル。
- 真ん中でミステリをほどく人も俯瞰して見る人もいない中、犯人が我慢しきれず行動するという経緯。
「いちばんこわかったポイント」は秘密にしておきますので、お近くにお寄りの際にはぜひどうぞ。夏はやっぱりペネロペ・クルスです。
そして、間隔 15 分でもう一本見ました。「ペトラは静かに対峙する」です。
著名な彫刻家ジャウメの元に、画家のペトラがやってくる。これから数週間ここでジャウメと作品をつくるのだという。家政婦テレサはお客様はうれしい、長くいてくれるの大歓迎よといい、ジャウメの息子、ルカスもペトラを歓迎する。ペトラは周囲の人々と徐々に親しくなるが、なにごとか考え込んでいるようもである。実は彼女はジャウメ氏が自分の父親なのではないかと考え、それを確かめにやってきたのだが……
というところまでが予告の範囲。
このあとほんとに、ほんと〜〜〜に、大変なことになります。
公式サイトには「逃れられない悲劇の連鎖」とあります。
「悲劇の連鎖」はほんとにそうなのです。悲劇、連鎖しまして、たいへんなことになります。
でも逃れられなかったかというと……
まあ、この先は劇場で、ということで。
2019 年悪人大賞はこの映画のあいつに決定。あいつ、ほんと、悪くて……あいつに比べればサノスは嘘がつけないいい奴だし、新作のスパイダーマンのあいつなんか、単に気の毒な人です。
ミステリやアクション、ホラーばかり見ているような人間には想像もできない悪いやつが出てきまして、「ひええええ」となります。
暑いカタルーニャの風景を見ながら足先から冷えました。
この悪人といい勝負になるのは私の手札だと「悪いやつら」のチェ・ミンシクくらいかなあ。
トニー・スタークなんか無表情に後ずさりしそうなこの事態に、ペトラがほんとうに静かにじっと立ち向かいます。友だちに「カウンセリングとか受けてみたら?」とすすめられるんですけど、「うーん……自分でのりこえる」っていう。そして働いて、畑を耕して野菜をつくって、ごはんつくって娘ときちきちっと暮らして、最終的に大決断をする。静かに、悲劇じゃないところに向かっていく。
ふう。
おもしろかった。
カタルーニャの乾いた風に吹かれているつもりで映画館の外に出たら、しっとりとした吉祥寺の街でした。
そこをぼんやり歩いていると、向こうから明らかに私めがけて歩いてくる人がいて、「あ、道に迷ったんだな」と彼女の早口に耳を傾けると、
「すっごくよいお顔の相をされていますね! もしかしたらご先祖に立派な方がいらしたのではありませんか?」
とぎらっぎらした目でおっしゃるのです。
私はなにか明確な返事をする元気が出ず、「いえ……」と手で彼女を遮りつつ、青信号が点灯する横断歩道をダッシュで渡りました。
おしまい