プール雨

幽霊について

泣くな、風呂入って寝ろ、そして元気出せ

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人として、記事に花や実を添えてみます

『毒戦 BELIEVER』(原題:"BELIEVER")を一体いつから楽しみにしていたことでしょう。ジョニー・トーの『ドラッグ・ウォー 毒戦』のリメイク。『ドラッグ・ウォー 毒戦』は当然見ました。公開初日かけつけたら満席で入れなかった。そのため、日を改めて見に行った……あれは確か『ドラッグ・ウォー 毒戦』ではなかっただろうか。 

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「初日に行って満席だった『ドラッグ・ウォー 毒戦』に再挑戦してきました!」って書いているから間違いないようです。そして自分の書いた感想を自分で読んでも内容が今ひとつはっきりしません。でも、めちゃくちゃおもしろいらしいです。ばっちり思いだせるのは、麻薬製造を営む兄弟の華麗なアクションと、ルイス・クーの不気味なヤク中表現です。

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あっ、やっぱりおもしろそうだなあ! 

こうして、改めて原典映像を見てみると『毒戦 BELIEVER』は全然雰囲気が違うことがわかります。このハードさと不穏さは香港ノワールならでは。『毒戦 BELIEVER』はきーんとしていました。

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見て見て、おもしろそうでしょ

雪壁の間、雪の谷間を行く一題の車から映画はスタート。この雪原はどこ? 雪の、ほそい谷間を渡ってこの人はどこに行くの? 行く先があるようには見えない……と雪で頭のねじが抜かれ、ぼんやりしてしまいました。おそらくこのシーンの後、タイトルが入った……のだと思いますが、タイトル、もしかして最後に出たかなあ?

とにかく。

横長の雪景色がとてもきれいで不安。ここがどこだかわからない。

そんな風に始まって、完全に引き込まれました。

「イ先生」と呼ばれる謎の人物がコントロールする麻薬組織があって、しかし、組織の人間でもそのイ先生にほとんど会えず、本名すら知られていない。主人公はこの組織とイ先生を追う刑事、ウォノ。ウォノが未成年のスジョンに捜査協力させたあげく、彼女を死なせてしまうところから話は始まります。

ウォノがスジュン死亡の責任を追及されていたころ、山間で工場が爆破事故を起こします。麻薬製造工場でした。全員死亡か、というところで発見されたひとりの青年、ラク。彼がもうひとりの主人公で、ラクは工場爆破により自分の母が死んでしまったこと、飼い犬が大やけどを負ってしまったことを知り、組織への忠誠を翻し、情報を提供します。このラクとウォノが潜入捜査で協力しあうなかで、いつしか友情を育て……

というわけではないところが魅力。

ラクとウォノはあらゆる意味で非対称で、互いのことを信じるかどうかという議論の俎上にものれません。

ウォノという人はかっとしやすく、捜査ではつっぱしってしまうところもありますが、基本的に嘘をつく能力がなく、口にする言葉には確信が宿る人で、そのため、打ち明け話に弱く、すぐ涙ぐんでしまいます。

ラクにはそういう彼のことは理解できなかっただろうと思います。麻薬製造工場育ちで、選択肢もなく麻薬組織の下っ端で、当然、意志や意見を尊重される機会などなく、ひとつ、イレギュラーな言動を取っただけで殴り飛ばされる日々です。ラクの、身の上を語る短い言葉に目を潤ませるウォノを見て、彼は大きくため息をつきます。驚きにも似た生体反応としてのため息が印象的です。

しかし、「信じる」という言葉を口にするのは、ウォノではなくラクの方だというのが、また「信じる」という言葉の不思議さだなあと思います。

私は「信じる」ということがよくわかりません。

と、書いてみて、あっ、そうでもないなと思いました。

私はおそらく、誰かの言うことは信じ、別の誰かの言うことは疑ってかかり、そして、大抵のことは(かっこ)にくくって、わかるまで置いておくという、ごくごく標準的な仕方で「信じる」という言葉のまわりにいると思います。

めったやたらに「信じる」とは口にしていないと思います。

「わかった/わからない」とは言っていると思う。

これは、ウォノの言語体系に近いと感じる。あえて言うなら、ふつうの人の言葉。誰かと誰かと誰か……の間で働いて生きていくうちにできあがり、更新されていく、自分が所有しているわけではない言葉。その体系のなかでは「信じる」は論理的に、そしてときに倫理的に飛躍が要求される分、分が悪く、登場回数は「疑う」より断然すくない。決断、勇気、あるいは盲信や狂気のそばにある言葉です。

ラクはこの「信じる」という言葉をよく口にしました。これが後から振り返ってみると切ない。

彼があることに関して言った「信じる」という言葉には嘘がなかったということは、その後の経緯が証明している。それはほとんど信仰だったと思う。

彼が何を待ち望み、期待し、そしてそのとき、何が起こったのか、ということが映画のすべてになります。

というわけで、話をもどして、とにかくこの映画、風景がきれいでした。とくに、冒頭の雪原と、塩田のなかにぽつんとたたずむ通称「塩工場」の風景。塩田に映る青空、夕映え、そして夜空。そのなかで、ラクは仲間に母親が死んだことを伝え、仲間達はささやかな葬儀をあげてくれます。ラクは線香代わりの煙草をあげたあと、額ずいて、長いこと顔をあげませんでした。そのとき、彼が何をどう思っていたのか、わからないのに、ウォノは涙ぐんでしまいます。でも、額を床に押しつけたままじっとしているラクの姿をただ黙って見ているウォノと、ラクの横顔を交互に見ながら、私もまた、何も考えられませんでした。

というわけで、おすすめです!

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ひゃ〜〜かっこい〜〜〜〜!

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満を持してメインのポスターを撮ります

 それでこの感想文のタイトルなのですが、どこがどうしてそうなるのかわからないものの、見ている間中、映画からそう言われているような気がしたので、こう書きました。私はたまに夜中、死んでしまいたいなと思うことがあって、その気持ちが 10 数えても続いたら、隣で寝ている夫を起こして、打ち明けようと覚悟して、深呼吸しながら 1、2 と数えて、数えているうちに寝てしまいます。そしてさっぱりと目覚めます。だから、「死んでしまいたいな」は多分、「疲れた」と「死にたくない」と「こわい」とその他いろいろが混ざった結果、間違って出てくる言葉なのでしょう。だから今は大丈夫。でもこの先、自分が疲れ切ってしまうようなことがもしあったら、そのとき自分は、自分の言葉はどうなってしまうんだろう。ラクのように、「信じる」と言ったりするんでしょうか。

この映画は「疲れ切ってしまう」ということについて描いている部分もあって、あらためて、私たちの誰もがそうなってしまうことをこわいと切実に感じました。それで繰り返しなのですが、どこがどうしてそうなるのかわからないものの、この『BELIEVER』を見ていたら、泣くな、風呂入って寝ろ、元気出せ、と言われているような気になった、という不思議な映画体験だったのです。