『真実』の通常版と特別編集版を一回ずつ拝見しました。どちらも劇場ではくすくす笑いが漏れる、楽しい映画体験でした。フランス語に堪能らしい方々が激しく笑うシーンなどもあって、「なになに? 教えて!」ということもありました。
ファビエンヌ(カトリーヌ・ドヌーブ)が自邸でインタビューを受けている。若いインタビュアーがメモを繰りながらが質問をひねり出すと、ファビエンヌは「それ、アクターズ・スクールで最後にされる質問ね。今してどうするの?」と彼と目を合わせて言う。話は彼女の代表作のことへと移り、「あの役を取れるなら魂を売ってもかまわないと思ったの」と言う。そして、インタビュアーが、では、今撮っている映画について……と言いかけるとファビエンヌは「たいした映画じゃないわよ」と短く言い切ってしまう。言い切った後で視線を泳がせ、煙草を弄び、インタビュアーの方を心配そうに見るのだった。そこに、彼女の娘リュミエール(ジュリエット・ビノシュ)とその夫のハンク(イーサン・ホーク)と娘、シャルロットがやってくる。ファビエンヌの自伝『真実』の出版を祝うためだった。
原題:La verite
監督・脚本:是枝裕和
2019 年、日本・フランス
字幕に出るファビエンヌの台詞は皮肉屋でわがままだが、その声音や表情は決してそうではない。きつい言葉を放った後、ちらっと相手を見て、目をそらして自分自身のことを考えて、何か言いかけては飲み込む、その繰り返しに、迷いや揺れに当たり前に対峙するひとりの人の姿が映し出される。
自伝本『真実』には二つのことを書かなかった。娘が慕い、自身が嫉妬しながら愛した妹(義妹?)サラのことと、40 年間そばに付き添い、献身的に働いてくれたリュックのことだ。
リュミエールとリュックはそのことに腹を立てる。叔母のことを「ないことにされた」リュミエールは、自身の苦しみもないことにされたと感じ、「嘘ばかりじゃない!」となじる。リュックは突然、ファビエンヌの元を去る。
見終えた後になってみれば、ファビエンヌにそれを書くのは無理だろうなと思える。ある夜、彼女に夫は優しく、「あなたのおかげだ」とか「あなたのためにこれをやった」とか、そういうことをこれからは言わなきゃと諭す。彼女はそんなこと言ったことないし、言えないと思う。ありがとうとか、ごめんなさいとか、大好きよとか、ずっと思っていたわとか、そんな言葉、口にできるわけないと思う。
口にできない言葉がたくさんあって、その中にこそ彼女の思いはあって、それらが彼女の身体の中をかけめぐり、彼女を輝かせている。
リュックはそんな、光り輝くファビエンヌを 40 年もそばで見てきて、今はその輝きも失せた、とリュミエールに言う。しかし、レストランでファビエンヌと向かい合い、彼女が言うべき言葉を探しながら横顔を見せたとき、やはりその美しい横顔に魅了されるのだった。
娘と相対するこの短い時期、ファビエンヌは二つの冒険をしている。一つは若い監督と、若い主演女優の野心的な SF 映画に出演し、若い後輩の娘役、エイミーを演じること。もう一つはリュック、そしてリュミエールと和解すること。
自分に嘘をつかずにこれら二つのことを同時にやりおおせるのは大冒険です。
ファビエンヌはその映画の脚本と静かに苦闘し、撮影が始まってからもエイミーに近づくために誰にも相談せずに考え込んでいる。監督は若いし、リュックはいないし、リュミエールはすぐ怒るし。一度たりとも、エイミーについて誰にも打ち明けたりせず、時には撮影現場から逃走を試みたりもしつつ、ある朝、彼女はエイミーになる。
このシーンに立ちこめる穏やかさと静けさ。
バックステージものとしては破格の静けさ。この無言の苦闘と献身によって、すべてのバックステージものが古いものになってしまったのではないかと一瞬杞憂に走ったほど。ファビエンヌ、付き合いづらい人かもしれないけど、すてきでした。そばにいたら一生離れられなくなりそう。
この時期、彼女のそばにいたのは娘リュミエールだけではありませんでした。リュミエールの夫ハンクと、かわいいシャルロットもいました。この二人がまるで妖精のようにどばたばうろちょろする。シャルロットはフランス語もできるけど、ハンクは英語だけなので、人々の話していることはよくわからない。でも、ジャックがその夜のデザートを教わった相手が母親ではないことや、自身の演技が義母から「イミテーション」だと批判されたことくらいはわかる。夫の演技を「ものまね」とみんなの前でこきおろされたリュミエールは激怒し、たまりたまった怒りを母にぶつけるけれど、ハンクはその間、義母の寂しそうな横顔を見ている。
観客はリュミエールやリュックの視点だけでなく、このハンクの視点も経験することになるので、ファビエンヌに何が起こっているか、わかる。
言葉が真実から人々をとおくへ連れ去り、言葉がまたそこに人々をつれてくる。その間の行ったり来たりを味わえる、豊かな二時間でした。
おすすめです!
ファビエンヌが一人で冬のパリを散歩したのを真似て、私も有楽町を散歩してみました。
日比谷公園をうろちょろしたり、
東京交通会館でソフトクリームを食べたりして、帰ってきました。のんびりとした一日でした。