プール雨

幽霊について

GPS @ テレ朝のふしぎさ

今年もフィギュアスケートGPSの放送はひどかった。

まだ完了してはいないけど、これから挽回するのは不可能だと思うから「ひどかった」と言う。

まず、前提として「世界一決定戦」ではない大会のことをそう言い続けていること、対戦競技ではないものをまるでそうであるかのように報じ続けていること、これらが何年も何年も変わらず続いていることに驚く。

スタッフの代替わりみたいなもののサイクルが早いのではないか。そうでないとちょっと考えられない事態だ。新人がフォーマットを踏襲して作る際、「どうしてそうなっているかわからないもの」を変えるのは手間がかかるし場合によっては勇気がいる。だからとりあえず、前例を踏襲する。ふつうなら、作業を繰り返す過程でだんだんその間違いに気づく。そして徐々に変わっていって、以前よりはましなものに近づいていく。フジのフィギュアスケート放送はそのように変化していっている。テレ朝の放送は間違いの内容、その度合い、結果としてのみっともなさがずっと変わらない。言いたくないが、かっぺ感がすごい。「おらが村が世界一だ」感がすごい。だから多分、ちょくちょくスタッフが変わるというか、新人スタッフがフォーマット通りに作らされて、すぐ異動になっているんだと想像する。そうとしか考えられない。そのようにして間違った形式が受け継がれてテンプレとして強固なものとなっているのではないかと想像する。「伝統」が生じる最もあほらしい過程を見せられているのだと思う。勉強になる。「伝統」なんて多分、こんな程度のものなんだ。なぜそうなっているかわからないから変更できない。その繰り返しにより、ますます変えられなくなる。

それからファクトチェックが非常に甘いのも特徴。事実と違うことをばしばし言うのは、ほんとにひどい。今回、GPF では「荒川静香から羽生結弦への継承」という物語補強のために 2010 年のトリノワールドのことを棚上げというか、昨日(男子シングル SP)見ていた感じでは、スキップしていた(荒川さん自身は日本人選手に力を与えてくれることの多い会場というような表現)。歴史の捏造が行われている過程をこれまた見せられているわけで、本当に勉強になる。「お話」を先に作ってそれから現実に臨むやり方はこれほど醜く、間違いを多く生み、かつ後戻りが効かない、罪深いものなのだ。

仕事としてやってはいけないことの詰め合わせの様相を呈しているので、勉強のつもりで拝見していますが、やはり「見ない」という選択肢もあるなあと毎年思います。
おととしくらいに、「もうテレ朝でスケートを見るのは金輪際やめよう」と決心しました。が、つい競技自体がおもしろいので、見てしまうわけです。ロシアなんかは選手の層が厚くて、世界選手権だけを見ていたのでは見られない実力者がたくさんいますし。私の感覚ではテレ朝に「人質を取られている」のに近いです。