プール雨

幽霊について

藤棚の下で、水辺にて

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池がきれいです

そろそろ梅の実の季節です。梅ジュースに梅酒、梅干しや梅ジャムを作ることで頭がいっぱいになる季節がもうすぐそこまでやってきています。私は梅ジュースだけです。かんたんでおいしいから。いっそ梅、covid-19 に効いてくれないか。

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梅ちゃん

ところで、うっかり藤の盛りを逃しました。

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でもきれいよ〜

毎年、気づくと終わっている藤の花。今年はいちおう、ぎりぎりセーフで眺めることができました。満開のときは花の下を蜂がぶんぶん飛びます。

近頃は水辺の景色がきれいです。

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いろんな生き物がいます

あっ、鴨。

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お食事中です

突然ですが、ここんとこ『紫式部日記』を読んでいました。生まれて初めて通読しました。 

新潮日本古典集成〈新装版〉 紫式部日記 紫式部集

新潮日本古典集成〈新装版〉 紫式部日記 紫式部集

  • 発売日: 2016/01/29
  • メディア: 単行本
 

紫式部さんが、池に集まる水鳥を見て、「あー、楽しそう。でもあたしの暮らしだって傍から見たらあんな感じの浮き浮きよね。でも水鳥同様、不安定な浮き草稼業なの。笑ってはいるけど、不安なのよ」とかなんとか言っている日記です。

基本的に彼女の内心は、「楽しい・美しい・めでたい」から、「辛い・不安・やだやだ」への急降下の繰り返しで、読んでいるとくらくらします。

でもまあ、日記だからな。そんなもんかな、と半ば受け入れを覚悟しつつ、ちょっとびっくりするのは次のようなくだりです。

上よりおるる道に、弁の宰相の君の戸口をさしのぞきたれば、昼寝したまへるほどなりけり。萩、紫苑、いろいろの衣に、濃きが打ち目心ことなるを上に着て、顔は引き入れて、硯の箱に枕してふしたまへる額づき、いとらうたげになまめかし。絵にかきたる物の姫君のここちすれば、口おほひを引きやりて、「物語の女のここちもしたまへるかな」といふに、見上げて、「もの狂ほしの御さまや。寝たる人を心なくおどろかすものか」とて少し起き上がりたまへる顔のうち赤みたまへるなど、こまかにをかしうこそはべりしか。おほかたもよき人の、をりからに、またこよなくまさるわざなりけり。

中宮のところから退出して自分の局に向かう途中で、弁の宰相の君の部屋にちょっと顔を出したら、彼女は昼寝していた。その、昼寝をしている姿がまるで物語の姫君のように美しかった。「うわあ、きれい」と紫式部は思った。それで、その横で自分も昼寝したとか、その寝姿を見ていたとか、「寝てるな」と思って通り過ぎたとか、そういうんじゃなく、「絵に描いた姫城のようだったので、口をおおっていた衣をぱっと取って『物語に出てくる姫君の気分なの?』と」言った……。起こされた方は「ちょ、頭おかしいの? 人が寝てるのに起こすなんて!」とちょっとお怒りなのに、その「少し起き上がりなさった顔のちょっと赤らんでいらっしゃるところなんか、繊細に美しゅうございまして見ざるをえず」とか言っていて、なんだろなあ、この人は。「絵にかきたる物の姫君のここちすれば、口おほひを引きやりて」の「すれば」の部分が個性的すぎてしげしげと眺めてしまいます。

上記ほどではないにしても、同僚の女房とは仲良しで、里に下がっているときに「いっしょに寝たあなたがいないから、里での独り寝はさみしい」という手紙を送って、「こっちもよ。いつもいっしょにいたあながたいないのは寂しいし、第一、寒いわ! 早く帰ってきて」などとお返事をもらっています。

そして、そういう風に今いっしょにいる人と仲良くやれてしまう自分もまたたよりない……とかすぐ言う紫式部ちゃんです。

彼女が清少納言を悪し様に罵っていたというのは有名です。

人にことならむと思ひこのめる人は、かならず見劣りし、行くすゑうたてのみはべれば、艶になりぬる人は、いとすごうすずろなるをりも、もののあはれにすすみ、をかしきことも見過さぬほどに、おのづから、さるまじくあだなるさまにもなるにはべるべし。そのあだになりぬる人の果て、いかでかはよくはべらむ。

要約すると「いつもちょっとした楽しみを探して、すてきなことを見逃さない人は、そのときはふわふわと楽しいかもしれないけど、傍から見たらひくわよ。それに将来はきついわよ」 ということで、何なんだよ、その一手間かかった悪口はと思います。

紫式部という人は、知的で、美しいものやおもしろいものが大好きなのに、子どものころから「女だからおとなしくしとけ」と言われて、それに従って「女はおとなしい方がいい」と自分でも書いてしまうような人なのです。ここが不幸だなあと思います。

「人にことならむと思ひこのめる人」どころか、自然と人とことなってしまう性向がもともとありながら、そういう人のことは大嫌いというそのしんどい性格。でもそれも、彼女の頼りない境遇を思えば……さらに、清少納言道長道長一族ディスとかしなかったわけで、あれから千年経っても「友だちになるなら清少納言の方がいいよなあ、紫式部はちょっとなあ」と言われてしまうこの事態を思えば……。

それはともかく、『紫式部日記』は自身のうだうだを書き抜いていて、表現が個性的で、今読んでもおもしろいことはおもしろいです。それはすごいと思いました。和歌の世界で型をきっちりおさえつつ、でも型にはまらないものをめざしたところは好きだなと思います。

常々、「ストイックに、創造的に、享楽的に」というのが、すべての作家に通じる基本的な構えなんだろうと思っています。この三つの構えのうち、「享楽的に」というところで紫式部は立ち止まっているようです。楽しみきれないところが苦しかったのかな、だから『源氏物語』はほの暗いのかなとか新緑の季節に考えました。

仕事でたまに、『源氏物語』や『紫式部日記』を部分的に読まなければならないときがあって、そのたびに「うわーっ、ひどいっ嫌いっ」といやいや読んできました。それで、一生このままというのも何だしなと思って、ちょっと時間のあるこの機会に通読してみました。苦手意識がそれで解消されたわけではないものの、ほかならぬ紫式部の個性を感じることができてよかったです。

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鴨が遊んでいた池

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水面がきれいです

おしまい