中年刑事であるところの主人公(スン・ホンレイ)が、自分より 20 歳くらい年齢が若い女性ジャーナリストに接近して、彼女から情報を得なければなりません。刑事とは知らせず、自然と仲良くなる必要があります。
スン・ホンレイ(下のジャケット写真の向かって左の方)は、彼女がある作家の熱烈ファンだという情報を得、その文庫本を片手に彼女行きつけのバーに向かいます。
さて、この文庫本。どんなのがよろしいでしょうか。
(これは、Amazon の広告画像です)
以前、あるドラマの似たようなシチュエーションで、本がガルシア・マルケス『エレンディラ』だったことがあります。
私の周り半径数キロ圏内で見た人で、それを「よし」と言った人はいませんでした。
私もなんか違うなと思いました。
ガルシア・マルケスのファンが、バーで他の人がちくま文庫のマルケスを持っていたくらいで心を開き、「マルケス、お好きなんですか?」などと話しかけるでしょうか。
話しかけないと思います。
そうするにはマルケスはあまりにメジャーだからです。
メジャーかつ個人的だからです。
これは、「マルケス」部分がトマス・ピンチョンでもミラン・クンデラでもだれでもいいんですが、ファン同士が道端でばったり会って「!」となって「きゃー」となってぴょんぴょん飛び跳ねる感じがしないのです。それが宮本常一でも樋口一葉でも。
いや、宮本常一だったらどうだろう……。
とにかく、これは再考すべき案件です。スン・ホンレイや香川照之や私やあなたがその文庫本を持って、バーでなにかを飲んでいるときに、年下の人が「!」となって、酒の勢いもあってうっかり話しかけてしまう。それがリアルに感じられる文庫本とは一体何でしょうか。
1. メジャーのなかのマイナーで、仲間がいそうでいない本
文庫本というしばりがあるので、基本的にメジャーでなければなりません。
まず、こちらはどうでしょう。
『歳時記』。俳句好きな人ならうっかり反射的に話しかけてもおかしくありません。そこから話も広がるでしょう。「鮫の句って詠んだことあります?」とか言って。
ちょっと難しいのは、あまり人は『歳時記』を一時に通読しないと思うので、バーで読んでいるのがやや不自然だということです。
あとほんのすこ〜し、すこしだけ、マイナーなものはないでしょうか。
さいきん、久生十蘭の話って、だれかとしましたか?
学生時代にはまわりにいっぱいいた、久生十蘭ファン、どこに行ったんでしょうね。私は最近声に出して「久生十蘭」って言っていないような気がします。
まあでもこれを言い出したら里見弴でも仁木悦子でもいいのですが。
うーん、この線はやっぱりちょっと難しいですね。本てどれだけ売れている本でも、基本的にひとりで読みますからね。
2. つくりのめずらしい本
視点を変えて、こんなのはどうでしょう。
尾崎翠が脚本の公募に出した探偵ものの脚本を小説化したものです。ほんの一時期、ちょっとだけで話題になった謎の多い作家の、公募に通らなかった脚本を、今をときめく津原泰水が小説化。どうしてこういう企画が実現したのかちょっと不思議なほどです。これなら対象が尾崎翠ファンでも津原泰水ファンでも、とりあえず「あっ」と言うのが自然というものです。「あっ」って言われたらあとはスン・ホンレイあるいは香川照之または私の腕の見せ所です。
これは読んでいると、カウンターのなかから声がかかると思うんです。まず、お店の人が「おもしろそうですね」って言ってくれるので、「楽しいですよ」と言って、適当なところを朗読する。それで二人で盛り上がる。このときちょっと、誤解を生むような表現をしているところを読み上げて対象が口だししたくなるような雰囲気をつくるというのもありだと思います。
あと、こういうのとか。
こんなのもなかなか。
それでは、決定的なアイデアが出ないまま、終了。