プール雨

幽霊について

わかった

わかったな それが

納得したということだ

旗のようなもので

あるかもしれぬ

おしつめた息のようなもので

あるかもしれぬ

            石原吉郎「納得」より冒頭部分(『サンチョ・パンサの帰郷』)

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わかった。

弁明は乾いて風に巻き上げられる。

銃で脅されているかのような顔の群れが、たった一人の人に向かって腕を振り上げている。そんなのは、何年続こうが日常とは呼べない。

そして、次は私が刺されると思いながら閉じこもっているこの日々が何年続こうと、やっぱりそんなのは日常とは呼べない。

だとすれば、日常のただ中にあったことなど、これまでに一度もなかった。

暮らしや生活や日常といった言葉に魅せられて、いつもそこに向かっている気になっていたが、それは手に入らないのです。

わかった。

私の手に入るのは、スタイリッシュ体操やゾンビ体操、驚かせたいだけの弁当、月に一度買う『映画秘宝』、月に一枚買う新作の CD、週に一度の香港映画、100 年前の雑多な町並み、若い世代の二人に一人が結核であったころのストリート、無言の付箋の山、ほんとうは戦士なんてイヤだと言ったことにされる詩人、「黙って偉い人の言うことを聞いていればいいんだ」と言った祖母のかたい横顔、「おいしいインスタントコーヒーを淹れてあげる」と言った母の笑顔、目を閉じて歩いた吹雪の道、耳を塞いでも聞こえてくる林檎の音、ひとつだけ忘れなかった電話番号、道に落ちていた桃の実を拾ってみせる夫、その実を忘れたころに食べる夫、二人で桃を食べる朝、午前中はずっと薄暗い部屋、午後になるとまぶしすぎる部屋、そこからマスクをしてえいやっと外に出る毎日。