プール雨

幽霊について

伝統と私

 通った中学に「先輩に会ったら『おつかれさまです』と言っておじぎをする」という謎の風習がありました。

 「あいさつをする」くらいだったらやってみたかもしれませんが、「おつかれさまです」と言わなければいけないのが謎すぎて、私はそうしなかったのです。まわりにもそういう子たちがいて、特に話し合ったわけでもなくそうしていたら、なんとなくうやむやになっていきました。

 振り返ってみると、やけに体育会系というのか暴力団風というのか、そういう風習が残る学校で、「先輩」が威張り散らしていておっかなかった。それがばかみたいだったので、「私たちは学年が上がってもあんなのよそう」と友だちと話したりしていました。

 でも、友だちのうち何人かは学年が上がると威張り散らすようになって、心底ばかみたいだった。

 人生で最初の「支配と服従」のレッスンでした。

 高校は運動部が強くなく、あまりそういう「文化」はなかったのだけど、その分、体育の先生と一部の部活はやっきになって体育会風を吹かせており、ここぞというときに「全校一致で気合い」を要求してきた。特徴のある風習としては応援練習というのが年度の初めにあって、入学すると昼休みに応援団が各教室に回ってきて応援の練習をさせるのです。応援団の人はここぞとばかりに怒鳴り、弱そうなのを見つけると繰り返しやらせたりして、こわいし、泣き出す子はいるし、ほんとにイヤな「伝統」だったのですが、これがまた私たちが一年のときに廃止になりました。原因は、私のクラス担任だった先生が途中で「いいかげんにしなさい」と教室に入ってきて応援団を制したところ、激高した応援団に殴られそうになったことです。

 私は先生が割って入ってくれたことや、悪辣な応援練習が私たちの代で終わってくれたことにほっとしました。

 でも今思えば、このときただ「えええ」と思っているだけだった自分の無力さが、いかにも残念です。どこがどう問題か、明文化して問題にするくらいのことをできてもよかった。まあ、応援練習が一回だけ、それも途中で終わったので、話題にもならなかったのですが。

 その後、たとえば新入社員だけがお茶くみをするとか、そういった謎の風習のあるところには接点がなかったので、特にそうした「よくわからないが伝統ぽくなっていることが気持ち悪い」現場にはいませんでした。

 そんななかで、かなり年を取って、生家のある町から同窓会の知らせが来たときにはびっくりしました。それは、男性が厄年のときに大々的に行うもので、男性陣は厄払いを行い、その費用を女性も、出席しない人も負担するという謎の風習で、私は驚きまして、不参加のはがきだけ出して、振込用紙を捨てました。するとまもなく幹事から「払ってくれ」と催促の電話がかかってきて、自分はもうそこに住まないからいいけど、そこに住んでいる祖母や母が何か言われたら困るなと考えてしぶしぶ支払い、後に、同窓会名簿から削除してもらうよう手続きしました。

 払うべきでなかったと反省しています。

 中学校も高校も三年だけ、同窓会は一度だけで、当事者でいる期間が短いゆえに、不合理な風習が残ってしまうということは大いにありそうな話ではあります。当事者になったとき、自分が変えようとして苦労しても何にもならないかもしれないし、今このときだけ我慢していれば済む話なんだしと。でも、そういうことを続けていると全体的に愚かに見えるので、組織をクリーンかつオープンに保ちたいのならば都度都度変な風習には「NO」という率直さと小まめさをもちたいと思います。「その場にいる誰も、なぜそうなっているか答えられない」風習はそれゆえに、つまり理由がわからないからこそ、「もしかしたらすぐにはわからない深遠な理由があるのかもしれない」と保守的な人は考えるのかもしれませんが、私は理由が言えないなら、理由はないんだろうと思います。大体「伝統」なんて多くは無批判に受け継いでいって、その過程でちょこっとずつ変わっていって最終的にものすごく変な姿に変わってしまい、それゆえにこそ、変えられない、という程度のことではないかと思います。理由や事情が当事者に理解できるものは「伝統」なんて呼ばれないわけだし。

 

おわり