プール雨

幽霊について

日本語の辞書とわたし

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三省堂で大修館をはさんでみました

 家に国語辞典がないという人に「どれを買えばいいの?」と尋ねられるたび、『三省堂国語辞典』と答えてきました。たくさん載っているし、ちょっとした連語なども独立した項目で立っていてひょいっと調べやすいし、なにより軽いからです。

 辞書は物理的に軽いのが望ましい。片手で持ち上げられて、ひょいっとめくれてひょいっと棚にもどせるとうれしい。

 午前中なら耐えられる広辞苑の重みも夕方となると手が震えます。片手で持ち上げられない。

 そんなわけでこの通称『三国』をおすすめしてきましたが、よく考えると物理的に重いか軽いかは複数の辞書を所有する場合にだけ重要なことであって、「一冊だけ持つなら」という需要にとってはさしたる問題ではなかったのではないかと突然反省しました。

 2020 年は身近なところだと、『新明解国語辞典』と『明鏡国語辞典』の新しいのが出ました。『三国』は最新が 2014 年版なので来年辺り新しいのが出るのではないでしょうか。そしたら多分、「映(ば)える」が立項されているのだと思います。「忖度」には〔誤って〕と但し書きで最近の用いられ方が載っているのでしょう。

 今日、朝の情報番組でアナウンサーが「すべからく」を「すべて」の意味で用いたので、訂正が入るだろうと思ってちょっと見ていたのですが、すぐには入らなかったです。番組の終わりの方で訂正したかもしれません。この語について、『新明解』は次のように語釈しています。

すべからく【《須(ら)(く)】(副)〔漢文訓読に由来する語。多く「ー…べし」の形で〕ぜひとも(次の事をすべきだ)。「青年はー勉学に励むべし」 (第八版 p.821 引用するにあたって、アクセント記号は省略しました。以下同様です)

 これが、『三国』『明鏡』だと以下のようになります。

すべからく[(▽須らく)] (副)〔文〕①当然(すべきことには)。「ー奮起すべきだ」②〔あやまって〕すべて。「ー正直を旨(ムネ)としている」(三国第七版 p.775)

すべから-く【▽須く】[副]〔古風〕当然なすべきこととして。ぜひとも。‖「学生はー勉学に励むべきだ」▶漢文訓読から。多く下に「べし」や「べきだ」を伴う。注意 「落ち武者たちはすべからく討ち死にした」など、「すべて」の意に解するのは誤り。 (明鏡第三版 p.860)

  『三国』『明鏡』には誤用が載っていますが、『新明解』にはありません。語釈がえぐい、しつこいと人気の『新明解』ですが、わりと誤用や誤用と呼べないまでも変な流行に対しては容赦なく、さっぱりと斬り捨てるのが特徴です。

 「……させていただく」という謙譲表現の多用に不快感をおぼえる人は意外と多いのではないかと思います。これは別に誤用ではないのですが、「申し上げる」を「言わせていただく」、「拝見する」を「見させていただく」、「いただく」を「食べさせていただく」など、一語で言えることをわざわざ分割して言う点が耳障りだし、あらゆる動詞に「……(さ)せていただく」をつけて何でもへりくだった感じにするのは粗野にすぎるのではないかと思っています。

 個人的な経験としては、好きなフィギュアスケーターたちがある時期から突如「すべら(さ)せていただく」と発言するようになり、「許可されなければ滑ることはできない自分がみなさんのおかげで滑っています」との表明に聞こえ、「なんでそんなにへりくだるの」と非常に不快に感じたことがあります。

 この表現は、あるとき突如として爆発的に広まって、今ではみんながあらゆることを「……(さ)せていただ」いており、一体だれに許可/使役/命令されているんだろう、一度そのあたりをはっきりさせて、その後でもう一度言ってみてほしいと都度都度思っています。

 この「させていただく」、『三国』と『明鏡』には独立した項目があります。

させていただく(連語)〔連語または助動詞「させる」の連用形+助詞「て」+補助動詞「いただく」〕①許しをもらってするときの、けんそんした言い方。「先生の本をコピーー」②許しをもらってするかのように、自分の動作をけんそんする言い方。「せんえつ(僭越)ながら私が司会をさせていただきます・〔ばかていねいな表現で〕反省させていただきます」〔五段活用の動詞には「読ませていただく」のように「せていただく」をつける。「読まさせていただく」は標準的ではない〕  (三国 p.571)

させてーいただ・く【させて頂く】[連語]「(Aに)させてもらう」の謙譲語。自分の行為について、Aに…させてもらうのだというとらえ方をし、さらに「いただく」と謙譲語を用いてAを高める言い方。Aの許可を得て行う場面や、Aの意向によって行うと見なせる関係の場合に使う。‖「〔説明してご覧、と上司に言われ〕それでは、説明ー・きます」「〔先生のご厚意によって〕出席ー・きます」使い方(中略)注意(1)許可を得なければならない相手がいない、またそのような相手が漠然としていて特定されない場合に使うのは、慇懃無礼な表現となって不適切。‖「×今日は感動させていただきました(○感動いたしました)」(中略)(2)「…ていただく」は、〈相手のことは考えず、自分の都合でそうする〉という含みを持つため、お願いの意を示す場合には「…ください」を使う方が適切。‖「〔上司に向かって〕×帰らせていただきます/○帰らせてください」 (明鏡 p.641)

  『明鏡』の方がはっきりと「俳優をさせていただいております」のような、「許可を得なければならない相手」が「特定されない場合」にこの表現を用いることを「慇懃無礼」で「不適切」なことだとの判断を示しています。

 さて、この「させていただく」、『新明解』では独立した項目がありません。多分、岩波なんかも立てないんじゃないでしょうか*1。こうした辞書で連語を調べるには、この場合だとまず謙譲の補助動詞「いただく」をチェックします。すると「せる」の「運用」という項目を見よという指示が出ています。そこにこうあります。

(前略)「…せてもらう(いただく)」などの形で、相手の許可を得て何かをする意を表す。例、「課長に断って先に帰らせてもらう」また、相手の許可を必要としない場合にも、謙譲表現として用いられる傾向があるが、使用場面によっては聞き手に卑屈(不遜)な表現だと受けとめられることがある。  (新明解 p.862)

 ふむ。

 多少、手数が増えたとしても、 私はこの項目に限っては語の構成と接続がよくわかる『新明解』が好みです。ただ、「さ」を何にでも入れがちな人にとっては、『三国』や『明鏡』が親切だし、何よりささっと引けて便利です。

 お仕事で、言葉遣いの適切さや誤用の有無をチェックをする人は『明鏡』が便利かもしれません。私はこの第三版を買って、「これ一冊あればほかはいらない……」と一瞬思ってしまいました。

 でも『明鏡』は重いのです。丁寧なだけあって、重い。三省堂の辞書は軽くて、何ならふとんで読めます。『明鏡』は寝っ転がっては読めないし、夕方、疲れているときに引いたら、その重さでくじけてしまうかもしれません。

 話はこれ以上どこにも展開しません。

 最後に、眠れない夜のあなたに私からおすすめしたいことがあります。そんな夜は、国語辞書のうしろについている「付録」をぜひ読んで。各社気合いの入った付録がついています。『新明解』は何と言ってもアクセントと数字の読み方について解説があるのが魅力。『三国』は難読語一覧で必ずや熟睡できます。『明鏡』の「敬語のまとめ」もおすすめです。

 

おしまい

*1:少なくとも、第七版、2011 年版にはありません