朝、駅でドラえもん電車に会いました。
この日は友人のお誘いがあって、「アニメージュとジブリ展」に行ってきました。
銀座なんてほんとうに久しぶりです。
待ち合わせの 30 分くらい前に着いたので、松屋界隈をお散歩しました。すごくぴかぴかの、きれいな街なのですが、ホームレスらしき方も散見され、ぎくしゃくしたものを感じました。個々の生活と福祉がスムーズにつながっていないために、色々と立ちゆかなくなっていることが事実として目の前にあります。
特にそんな気持ちを切り替えることもなく、神妙な気持ちで二年ぶりに彼女と再会しました。互いに『風の谷のナウシカ』体験を話しながら会場入りしまして、入り口そばの表紙ディスプレイで「うわあ」と楽しくなりました。
開場は入り口付近と出口付近に撮影可のエリアがあって、まんなか辺は撮影禁止です。車内吊り広告(今見るとシンプルで、自信たっぷりに見えます)や、付録(充実。楽しんで作っていたんだなあという感じがします)、それに「マクロス」や「ガンダム」、「じゃりン子チエ」、「天使のたまご」などなど、当時話題だった作品の展示エリアも個別にあって、それぞれに企画段階の素描や映画館で売られたグッズ、前売りの半券(!)などなど、「よくこれがきれいに保管されていたなあ」と思うようなものが一堂に会していました。
「アニメージュ」は 1978 年創刊。創刊に至る経緯、創刊当初の企画や、鈴木敏夫による校正方針一覧など、手書きのものが見られて感激しました。あの校正方針一覧、絵はがきかなんかで、グッズ化されていないのかなあと期待しましたが、ありませんでした。残念。
この「アニメージュ」の歩みと、大塚康生、宮崎駿、高畑勲の出会いとが絡んで絡んで『風の谷のナウシカ』に結実するのですが、その道の曲がりくねり具合にほんの少し触れることができました。ごうごうと風の吹く、けわしいけれど歩きがいのある道です。
特に宮崎駿の、「高畑さんと仕事をしたい」という要望がかないそうでかなわないことに対するうずうずとした、焦れる気持ちがナウシカでぱっと花開いたように思われ、感動してしまいました。
出口付近には、竹谷隆之「風使いの腐海装束」の展示があって、そこで雰囲気が変わります。
ぜひ現地で本物をご覧いただきたいと思います。
ナウシカを最初に見たのは 12 歳か 13 歳くらいのときでした。彼女がピアスをしていることがすごく胸に響いたのを覚えています。シンプルな雫形の石で、その造形がどうということ以上に「ナウシカがピアスをしている」ということがなんだかすごく好きでした。ナウシカなりに「何かを美しいと思い、選んで、それを身につける」ということをしているのが伝わってきて、そのように見ると、彼女の身につけているものすべてが大事にされている、愛されているものだと感じられて、とにかく、好きでした。
そして、秋田県大館市にある名画座、御成座に掲げられた手描き看板も大公開です。
市内にお住まいの介護福祉士、中谷さんがボランティアで描いた看板だそうです。この、中谷さんの道もすばらしいです。
www.asahi.com
雑誌と映画と映画館と映画館の手描き看板。
手描きのイメージラフが集まって、そこに人々が合流して、映画になって、映画館でかかって、今もまだ映画館でかけられることがあって、最初の公開時に劇場に何度も何度も通った人がめぐりめぐってその看板を描くことになり、そしてそれが公開される。
大冒険です!
あらためて、この日銀座を案内してくださった友人にもお礼申し上げます。楽しかった。
グッズ売り場で王蟲のぬいぐるみやナウシカのピアスに我を忘れる人々を見ました。王蟲、家にいると「王蟲、ありがとう」と言いたくなるので、ぬいぐるみ界ではかなり実用性の高い方だ、つまり「買う」という営みを後押しする合理的な理由があるとは、私も思いました。そう言いつつ、私はカオナシのぬいぐるみに我を忘れるところでした。今でも頭のすみで「買ってもよかったのではないか」との思いが立派にうごめいています。あぶないところだった。
しかし、このグッズ売り場でぐいぐいとしめた箍が、その後行った月光荘でぱーん! とはずれ、「かわいいクリップと月光荘マークのついたボタン」という、実用性の点からいえば果てしなくどうでもよいものをついうっかり買ってしまいました。
そんな銀座散歩の余韻を、二日経ってからも味わっています。私も曲がり角をおそれずにてけてけと歩いて行きます。
🎥おしまい🎦