プール雨

幽霊について

道理が通らなくて無理

 6 月 12 日(土)、朝日新聞社会学佐藤俊樹さんのインタビューが掲載されていました。

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 新聞の見出しは「科学生かせぬ政府/開催リスク示さず/感情的な反対呼ぶ」です。「すでに、五輪中止より緊急事態宣言による経済的損失の方が大きいという試算が示され、感染拡大によりお祭り騒ぎができないことは明らか」なのに、そうした知見を政府が生かさないので、市民からは、政府が科学的な知見を「理解できていない」ように見え、市民は政府に「対応能力がないことを見せつけられ」続け、それが感情的な反対も呼んでいる、ということです。インタビューはここまでで三分の一くらいで、後半に山場があるので、機会があったら読んでみてください。

 日々、医療者から「無理」という悲鳴が上がり、感染症の専門家からはオリンピックを強行すると感染が拡大する可能性が高いという分析が出ているにもかかわらず、政府からは「安全・安心な大会にする」という反応しか出てこないところを見ると、「もしかしたらほんとうに、状況を理解できていないのではないか」という気がしてきます。

 理解できていないように見えるのは、科学的な知見や専門家からの提言だけでなく、たとえば、いつどこにどのような人員を何人配置して、その人たちのワクチン接種とPCR検査に何をどう配備して、というような具体的な運営にまつわるもろもろのことと、働く私たちの現実です。

 経済大国で、公共部門が充実していて平素から余裕があれば、トップが「やるからやるのだ」でも現場が何とかしてしまうかもしれませんが、現状もう、日本は大国とは言えず、現場は普段からかつかつです。中抜きが多くて末端まで費用や時間がまわらない。ひいひいのふうふうで仕上げたものをみんなで使っている。ひいひいのふうふうで仕上げた人たちには利益も時間もまわらなくて、なんかよくわからない、「間にいる人」がのうのうとして「何でできないの?」とか言っている。

 COVID-19 がなくても、私は「ほんとにオリンピックやるの?」と実施に半信半疑でした。東京駅の周辺だけすごくぴかぴかにきれいになったけど、東京全体で見ると結局バリアフリーは大して進まず、酷暑対策に関しては打ち水レベルのことしかできず、お台場の水質問題もあり、たとえばトライアスロンなんて、やっていい環境なのかと懐疑的でした。旭日旗持ち込み可という信じられない問題もあります。そこにこのパンデミックで、開催は「普通はない」わけで、それでも「やるのだからやる」と強行する姿に、もしかしてこの 30 年せっせとつくってきた社会をほんとに知らないのかなとすら思ってしまいます。自分たちが積極的に公共部門を削って、小さくしてきて、でも「やれるはず」と思うのは一体何なのだろう。ちょっと前、経団連の人が、日本人の実質賃金がすごく下がったことに驚きを示していましたが、それも同じで、何なんだろう、「賃金を下げる施策を展開してきたら、賃金水準が相当低くなっていた、びっくり」って表明するのすごすぎる。

 話がずれましたが、要するに、官民トップが「せっせと自分が斬り捨ててきたものがほんとうになくなっていると気づいていない」ように見えるのがこわい。自分たちが何をしてきたかわかっていないというか。せっせと「大国」から自らおりて、それをおおむね実現しておいて、だが「大国である」と宣言している。そんな異様な姿に見える。

 そんなわけで、オリンピックは中止してほしいんですが、より実感に近い表現としては「とてもオリンピックができるとは思えない」ということです。