前回までのあらすじ。
酔狂にも近所で観光をしようと思い立ち、落合周辺の行ってみたかった建物を探訪し、そういや考えたこともなかったが、この辺りには川が流れていて、それだから織物の町でもあったのだなあということに思い至ったのでした。
今回。
織物はさておき、ついに当初の目的であった坂の町、中井に辿りつきました。
四の坂のある中井地区は下落合から分かれた地域。都営大江戸線・西武新宿線中井駅付近から北側に広がる一帯には、東から順に一の坂、二の坂、三の坂…と約百メートルおきに坂が並び、八の坂まで続く。(「のぼりくだりの街 (7)」東京新聞より)
この四の坂の階段の途中に林芙美子記念館があります。
林芙美子・手塚緑敏が建てたこの家は、建築当初建坪制限があったため、芙美子名義の生活棟と緑敏名義の仕事場に分けて建て、あとで二つの棟をつないだのだそうです。
生活棟の茶の間は広々と開放的で、庭から人が「芙美子さーん、いる〜?」なんて言って入っていきそうでした。
この小間は通常は林芙美子のお母様が使ってらしたそうなのですが、書生がいるときはその人が寝起きする場所になったり、お客さん同士であまり顔を合わせたくない人たちがいる場合はその対策に用いられたりしたそうです。
そして、芙美子の書斎。
元々は納戸だったとか。
こっちの客間のようなお部屋も日当たりがよくて気持ちよさそうです。
この日はお天気がよくて、庭の木々の紅葉がよく映えていました。
奥にはアトリエがあります。
このアトリエでは、芙美子が急逝するわずか四日前に録画された映像が公開されています。女学生たちの質問に彼女が答えている、真剣で和やかな映像です。「美術の世界で女性がやっていくには様々な圧力があると思いますが、先生はどのようにしてやってこられたのですか」というような質問に、芙美子はきっぱりと「これからはそういうことはなくなると思いますよ」と答えていました。はっとするほど、きっぱりとしていました。1951 年のことです。その頃は、実際に様々な圧力、労苦のもとやってきた一人の人が、「これからはそういうことはなくなる」と断言できる雰囲気があったのだなと思いました。実際には、雇用の場から男女別といった言葉はなくなっても総合職と一般職といった区別は残るなど、「圧力」は構造として残っていき、よりわかりにくいかたちで社会を蝕んでいくことになったわけで、芙美子が急逝せず 60 年代を、70 年代を生きていたら、どんなものを書いていたのだろう、どこにパワーを注いでいただろうと考えてしまいます。
坂の中腹に建っているので、敷地内にも段差があり、高いところから屋根を見ることができます。
帰りに、タモリ倶楽部「ブックカバー選手権」で話題になった伊野尾書店によって本を買いました。
書店員さんのあざやかな手元をじっと見てしまいました。
📚 おしまい 🍁