プール雨

幽霊について

光をあてること自体の価値

 2022 年 1 月 15 日付け「東京新聞」に掲載されていた「3 冊の本棚」にちょっと考え込んでしまうような記述がありました。

 「東京新聞」は土曜日に書評を載せていて、「3冊の本棚」は「書く人」とともに書評コーナーの目玉になっています。中江有里酒井順子といった書き手が三冊の本を読んでそこにテーマを見出し、ひとつのコラムにまとめるという趣向のリレー式連載です。15 日は栗原裕一郎の番でした。

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 取り上げられたのは、カトリーン・マルサル『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?』、小島庸平『サラ金の歴史 消費者金融と日本社会』、松田青子『持続可能な魂の利用』の三冊。

 『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?』は今話題の一冊で、他媒体の書評でも取り上げられています。

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 私は先の東京新聞と同日に出た朝日の朝刊で藤原辰史「ケアを無価値とみなす男の倫理」を読みました。

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 上記によると、『アダム・スミス……』はまず、経済学が「合理的で利己的、社会にも環境にも依存せぬ『経済人(ホモ・エコノミクス)』を前提とした」こと自体を問題としているのがポイントだといいます。抽象的な「経済人」を前提にしているために、一人の人が食事をし、生活し、ケアを必要とする身心をもっているということを経済学の対象から排除してしまった。「そんな経済学が自己愛に陥ると、常軌を逸する」事態となり、たとえば有毒廃棄物を「所得水準のもっとも低い国に」移転することが「経済合理性」の名の下によしとされてしまう、そんなことが起こる。そんな「常軌を逸」した「経済合理性」を対象化し、そこから脱するために、著者マルサルは「ケア、自然、感情を中心に据え、人の不安をお金に換えない、シェアの経済学を訴える」。書評の最後は「日々のやり場のない鬱憤の理由が説明され、豊かな生を肯定する勇気が湧いてくる」と締めくくられています。

 おもしろそう!

 確かに、日々耳にする言葉に対して、「この人、相手に体や心があるってことを想定していないよな。この人の言う通りにしてたら、生きていけないでしょう」と思うことがあります。そういうときに感じる不可解さ、不安、それらが積み重なった「鬱憤」が解きほぐされるのではないかと期待が高まります。

 また、保育や教育、医療、介護などの労働環境の悪さがずっと問題になっているにもかかわらず、その現場の窮状を訴える声が政策に結びつくところまで、なかなかたどり着けません。まして、家事労働においては。ヤングケアラーの問題についても、それが問題だという共通理解形成の端緒についたばかりです。

 『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?』はそうした状況に光を当て、言葉を与えるものであるようです。

 読んでみたいと思います。

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 一方、東京新聞の書評でのこの本に対する視線は冷ややかです。

 『アダム・スミス……』はアダム・スミスの経済学に「水を差す」もので、経済学がケア労働を経済モデルに組み込めなかったのは「合理的『経済人』に原因があると睨んだ」著者が「経済人は『男』だと指弾し、近代経済学をバッサバッサと斬っていく」。そこでは「近代経済学はほぼ全否定に近い叩かれっぷり」で、「経済人は『人の身体や感情や依存や複雑さから全力で逃げだすための道具である』とまで言い出すのは、非科学的でちょっと悪乗りかな」といいます。そして、この本と似た構造があると取り上げられるのが『持続可能な魂の利用』で、『持続可能な……』は「問題提起の現実味に比して解決は幻想的で」、そこに『アダム・スミスの……』と「同質な困難」があるといいます。

 「水を差す」「……と睨んだ」「バッサバッサと斬っていく」「ほぼ全否定に近い叩かれっぷり」といった言葉がこの本の批評性を矮小化していないか気になるところですが、未読なのでそれは置いておくとして、この書評に対する違和感はふたつあって、小さい方から言うと、『持続可能な魂の利用』で示される「解決」って、「幻想的」かな? ということで、大きい方は、説得力のある「問題提起」にはそれ自体価値があるのではないか、「解決」は読んだ側の個々の水準で行うことではないか、ということです。

 『持続可能な魂の利用』はある人物が始めたちょっとした抵抗が、それを目にした人を勇気づけ連帯を生み、終盤、それが最初の人物にはおそらく想像し得なかったところまで届くところで終わります。それは栗原裕一郎の求める「解決」とはいえないかもしれません。状況や構造が変わったわけではないく、当人たちすら気づかないところで連帯が成立していくだけなので。でも、ある人が孤独と不安にさいなまれ、行き場がないと感じているようなときに、ふっと勇気づけられる、励まされるというのは大変な体験ではないでしょうか。

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 そもそも、『持続可能な魂の利用』で主人公たちが挑むのは負け試合だということが大事なポイントです。帝国主義と資本主義の悪魔合体のような、顔と倫理のない不気味な仕組みに翻弄され、消費の対象となるか、ただ働きかそれに近い状態で使役されながら、経済的にはいないことにされてきた人々の話で、そんな人たちが「勝つ」ことや「解決」なんかを目指していたら無力感で何もできなくなります。

 「解決」や「勝利」なんか視野に入らない人生を、「代替案を出せ、そうでなければ沈黙せよ」なんて言っている人たちは想像できないのではないでしょうか。

 マイナスからスタートして何かに抵抗しているとき、マイナスからのスタートであるということを明らかにするのは、それ自体とてもエネルギーと創造性を必要とする営みです。

 私は抵抗するジャーナリストや研究者、作家の仕事から多くの実りを受け取ってきたので、そこで声なき人々に光があたり、「私はあなた方を記憶しました」といえる事態が展開していることに、いつでも期待しています。

 

📚 おわり 📚