プール雨

幽霊について

すでに夏バテしているかもしれない

 夕べ、雨夫さんが帰宅したとき、私は眠りかけているところでした。寝なよ、寝てなよという声を聞きつつ、すいっと寝入ることができずにいた状況下、雨夫さんが「蟻がいるう!」と言いながらその蟻を窓から外に出してやるのが見えたので、「やさしーい。私なら即、ころ……」と応じつつ寝ました。

 起きてみて、さすがにころさないなと思いました。放置するかな。入ってきたところから出ていけばいいじゃん。

 季節の変わり目です、よろしくご自愛くださいませ……という定型文が定型に思えなくなる季節の変わり目の到来です。マジ変わり目しねとか言いたくなってしまう。「朝から遮光カーテンを閉めておく」という営みを思い出しました。

 眠れません。

 「じゃあ、ヤク1000 飲めば?」

 と雨夫さんは言いますが、私は腸内環境がナチュラルに完璧で、人工的に乳酸菌を植えると体調をくずすのです。

 つかれた。

 普段、ふとんに入って二秒で熟睡し朝まで目覚めない人間が二日寝入るのに苦労するともう、しおしおです。

 今日は無目的に日記を書きつけます。書きじゃくりたいと思います。

 最近お弁当の記録をつけていなかったのは、お弁当の見た目がリアリズム寄り過ぎて全世界に公開するのがためらわれたからです。

 こんな感じでした。

 途中から自分の分のお弁当をつくるのをやめているのは、なんか、暑いから、昼、冷やし中華的なものが食べたくて。でも自分の分を詰めないと味その他の確認ができなくて不便ではあるのです。今週最後のお弁当はこんな感じでした。

ロールキャベツ弁当

 ロールキャベツにはスープを与えず、自身の水分のみで火を通されてもらいました。蒸し煮みたいな状況です。下に経木シートを敷いたり、茗荷の酢漬けを添えたりしましたが、どうなんでしょう。無事なんですかね、この暑さで。

 突然ですが、忘れそうなのでメモしていいですか?

レイシズムはある集団(白人)が引き継いでいる文化、例えば芸術、工芸、伝統、言語、宗教、歴史や価値などが他のすべての集団のものよりも優れていると、私的あるいは制度的に表明することであると定義されてきた。

デラルド・ウィン・スー『日常生活に埋め込まれたマイクロアグレッション』 p.231

 この 10 年くらい、政府は外務省や文化庁文科省を中心に「クール・ジャパン」「歴史戦」と称して日本の価値を内外に表明(場合によっては「抗議」)してきたのですが、それは言い換えると、政治主導で日本文化が「他のすべての集団のものよりも優れていると」表明することでもあったわけで、あぶないなあ、まずいなあと思います。「日本すごい」って言葉は一見無邪気でバカみたいで罪がないようだけど、それを政治家主導で発したときに、聞いた人がどういう風に受けとめるかということについて、また、それを言い続けることによって、自分たちにどういうコスト(抑圧を正当化する世界観の強化や、他文化他地域の人たちに対する親しみや共感の喪失)がかかるかということについて、視点がなかったんだなあ。

 この 10 年ほどの間に二件、断った仕事があります。どちらも「日本に固有な文化の純粋性」をどうのこうのという文章のトリートメントが業務内容だったのですが、そういう、「ないもの」をどれほど論理的に書こうとしても無理なわけで。そして、そういう「日本固有の」って言い出す人はみんな「縄文」まで行ってしまうのですが、縄文時代に「日本」、ないわけで。

 と、これ以上何も考えられない。

 今読んでいるのはムーミンです。もう、ムーミン以上のことが考えられません。ムーミン、納得いかないことがなにひとつ出てこない。さすがだ。

あしゅら男爵状のあじさい

一枚一枚色鉛筆で描いたようです

 このままでは夏が乗り越えられないと思います。うーん、どうしようかなあ。

 

🎐 おわり 🌴