プール雨

幽霊について

下書きを片付けます

 下書きがたまってしまったので、公開して片付けます。基本的にそのまま上げるので読みにくいかと思います。(かっこ)内は公開するにあたって後から補った語句です。

 美容師さん、COVID-19 流行し始め当初は「ちょっときつい風邪くらいの感覚」って発言していたのです。その頃は、(客の)マスクは医療用テープで留めていました。耳にひっかけるところが濡れるので、そこを外して、テープで留めるのです。

 時は流れて今、(美容師さんは)マスクをしている人の髪を洗うのにすっかり慣れ、全然濡らさなくなり、万が一濡れた場合は替えのマスクを渡すという洗練された対応になりました。

 (2020 年の感染拡大)初期はマスクが品薄だったのですよね。だから、濡れたからといってひょいひょい交換という発想がなかったのですね。

 その美容師さんと(2022 年の)ゴールデン・ウィークはどうするかについて協議しました。あの 「ちょっときつい風邪くらいの感覚」といっていた人が今や「人混みは怖いんで、家でじっとしてると思う」という境地です。

 これ多分、ある程度外部からの(メディアを通した、陰謀論などの)情報を遮断できている状態だと、こういう境地に辿りつきやすいのではないかなと思います。美容師さんは朝早くて夜遅く、その間ずっと立ち仕事で、テレビやネットを見る時間はほとんどないそうです。

 私は、テレビはほとんど見ないんですけど、新聞を読んでネットのニュースも読んでいるので、そうするとこの感染症、おさえはあまり効いていないにもかかわらず、マスクなどはもういいか……みたいな抑制的な行動のたがが

 今年の春は感染対策的に外に出るのがとても億劫でした。それで書いたのですが、うまく書けなくて途中でやめていました。

 実際に日々暮らしている中、COVID-19 がどういうものか未だわからないうえに、身近なところで罹患して大変な目に遭われる方なんかもいて、自分自身いつかかってもおかしくないよなあと不安な状況下で、テレビや新聞では COVID-19 は抑制できないから抑制の努力など無駄、ノーマスク、ノー検査、ノーワクチンでいこう、みたいなメッセージが流れていて、実際マスクなしでバスや電車に乗る人も出て不可解でした。

 この感染症の問題が発生して以来、これはただの風邪だから、対策で経済活動を止めるのは無駄であるだけでなく有害だという論調があり、政府も PCR 検査を抑制する発言を公的にしていたこともあって、そうした論調に棹を差すようなところがありました。

 報道だけを見ていると、データは不足、そのために薬の治験もすすまない、でもこれ以上この病気に国はお金も人も出さない、行動抑制の要請をしないかわりに保障も支援もしないから自己責任で、って言われているような気がしてとにかくどうすればいいかわからなくなりそうでした。

 まあ、私はマスクして手洗いうがいする以外にどうしようもないのですけど。

今週のお題「好きな街」

 めずらしく「お題」に答えようとして答えられなかったケースです。タイトルだけ入れて放置していました。好きな街は松本と弘前かなあ。

『三姉妹』を見ました

 映画『三姉妹』を見たのです。映画館で。第六波と七波の間でひょいっと見たのか、もう第七波が来ていたのか。いずれにしろ、映画館に全然行っていないので、たまに行くと感無量になり、なにも書けませんでした。

 DV からのサバイバーたちが主人公で、DV から逃れた後、彼女達が大人になって送っている生活が描かれていました。人が暴力から逃れて何とか生き残るところまではこれまでも映画や小説になってきましたが、この映画はその後の話です。被害者が加害者に向かって謝罪を要求するシーンがクライマックスになっていて、その後の、解決したわけではないんだけどどこかほどけていくような主人公姉妹の行動がよかったです。今更ですが、ほんとにおすすめです。

 生きてきて何度か、「いじめが途中で止まる」という事態に出くわしたことがあります。

 最初のは小 4 のとき。ターゲットは私。男子に物を隠されたり、捨てられたりしていました。(中略)後から考えると、このときそもそもクラスの雰囲気が悪かった。私は幸運なことに、基本的に学校ではそれほど嫌な目には遭わずに生きてきたのですが、この年は違った。担任の先生が体育会系というのか、体育を重視する先生で、運動のできる男子をあからさまに優遇したため、運動のできない男子がぐれ、そいつらが私のような運動のできない女子をいじめた。悪いことに、私はその担任と相性が最悪で、よくみんなの前で叱られていたので、ターゲットとして確定したのだと思う。私の描いた絵がなくなり、それがぐしゃぐしゃに踏みつけられて捨てられていたところを見つかったのだが、皆の前で叱られたのは私だった。「自分の描いたものを大事にしないからこういうことになるんだ」と言われて、私は「よくわかんないけど、この人の言うことはあまり真剣に受け取らない方が良さそうだな」と思った。

 (中略)

 次は小 6 のときで、隣のクラスでいじめが発生し、私たちはその有様を批判した。クラスみんなで○○ちゃんをいじめているらしい、ああしてこうしてああしたらしい、ひどい! 理不尽だ! と言いつのり、○○ちゃんは私たちのクラスで遊ぶようになった。しばらくするとクラスの垣根が決壊してうやむやになった。

 (中略)

 次は中 2 のときで、転校生がやってきたら、男子の一部がいじめそうになった。しかしもう中 2 だったので、男子も男子だからという理由だけで一枚岩になれないわけですね。そのうちいじめっ子はすごすごと立ち去った……のかなあ? そいつの投げた雪玉が私に当たり、私は「何の用か」というようなことを言ったと思う。そいつは「なんでもない」と言ったと思う。あの辺がラストだったのではないか。

 残りは省略。

 そんでやっぱり、いじめのプレイヤーとして重要なのは、いじめっこ本人はさることながら、それをだまって見ている観客もまた、そうだよなあと思いました。

 黙って見ているはずの観客の「おいやめろ」の

 いじめが終了するケースを思い返してみると、傍観者の役割を振られた人たちの対応が肝心だなということに思い至り、それを書こうとして挫折しました。いじめというか、組織的暴力は規模いかんにかかわらず陰惨なものなので、話が入り組んでしまい、書きづらかったです。「シェルター」や「スイッチャー」といった基本的な言葉が出てくる前に手が止まってしまいました。

 自分で思い返しつつじわじわ書くよりも、本を一冊紹介した方がよさそうです。

 今日は暑かったです。

台風直前

 線路のきわのところに咲いているルリマツリがかわいかったです。

場所を間違って咲いた風情がまたいいです

 タマスダレも花盛りです。

この時期のお楽しみ

 久しぶりに花を買いました。

かわいい

📇 おしまい 📔