プール雨

幽霊について

川添愛・花松あゆみ『働きたくないイタチと言葉がわかるロボット 人工知能から考える「人と言葉」』を読みました

読んで

考えて

読み終えました


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 もう働きたくない。そう思ったイタチたちは自分たちの言うことを何でも聞いてくれるロボットをつくって、ロボットたちに働いてもらうことにしました。そのロボットをつくるため研究の旅に出たイタチたちが出会ったのは「言葉がわかるとはどういうことか」という問いでした。

 イタチがロボットに求めることは以下の通りです。それぞれ、各章のタイトルです。

  1. 言葉が聞き取れること
  2. おしゃべりができること
  3. 質問に正しく答えること
  4. 言葉と外の世界を関係づけられること
  5. 文と文の論理的関係がわかること
  6. 単語の意味についての知識を持っていること
  7. 話し手の意図を推測すること

 イタチはロボットを自分たちの代わりに働かせようとしているので、ここに描かれているのはあくまでも「誰かと働く上で必要となる言語観」だと思います。「働く」は人間の活動において小さくない割合を占めますが、すべてではありません。「働く」にフォーカスしたら言語観はかなりシンプルになるはずで、実際ここには「詠む」「連想する」のようなことは含まれていません。それでも「おしゃべりができること」が欠かせないのがおもしろいと思いました。

 おそらくこれは、私たちが一緒に働く相手に期待する言語能力でもあるのでしょう。項目をざっと眺めると、その期待はまず、こちら側の言葉を言葉として聞き取れること、応答できること、記憶と記録ができること、論理性をもっていることなどに分けられるようです。さらにそうした言葉の指示機能だけでなく、言葉が発された現場においてそれが行為としてどのような意味をもつか、何を目的としているかまで理解し、それに応じることを求めています。なかなか高度な言語能力です。

 ロボットは「窓を開けて」という指示で窓を開けられるだけでなく、「暑いね」と言われたときに、そこから「窓を開ける」または「エアコンをつける」などの動作に結びつけることが期待されているわけです。

 これだけでも「求めすぎ」「人間側の指示方法をロボットの機能に合わせればいい」と言いたくなります。さらにこのとき相づちを打てることも求められるとなれば、ロボットに対する権利侵害ではという気すらしてきます。

 1、3 〜 7 は言葉がそこで発されたとき、発された音声や文字を言葉として認識でき、言葉とそれが指示するものとの関係を理解・記憶し、求めに応じて反応し、また、その語がそこで発された目的を推測するという、あくまでも言葉の理解に関する問題です。

 「2. おしゃべりができること」はそうではありません。おしゃべりとは、おしゃべりすること自体が目的であるような、明確な意味や目的のない雑談のことです。そこでは意味や論理性、真偽があいまいなまま発された言葉があいまいに受け取られ、あるいは受けとめられず流れていきます。そんな雑談を機械にまで求めるのはなぜなのでしょうか。

雑談には実用上の重要性があります。対話システム研究の第一人者である東中竜一郎氏は、たとえ情報を与えることが目的のシステムであっても、雑談がまったくできないと人は機械と長く話そうとせず、本題にたどり着く前に利用をやめてしまう傾向があることを指摘しています。また、人が一日にする会話の 6 割が「雑談」であるという調査結果もあり、人と関わる機械を開発する上で、雑談は軽視できない要素であると言えます。(『働きたくないイタチと言葉がわかるロボット』p.46 より)

 なるほど、雑談ゼロで正確な情報のやりとりだけを延々続けるのは人間には難しいか、もしかしたら不可能だということなのかもしれません。

 診察室でまったく雑談なしで正確な情報のみを伝えてくる医師に対して私たちは「人間味がない」と捉えがちです。全然雑談をしない先生の授業は評判が悪いでしょうし、会議を休憩なしで四時間続けたら続々人が倒れるでしょう。落語には「枕」が必要で、仕事上の報告書や研究論文、事実報告の記事などを除いてあらゆる文章に同様のものが必要です。

 また、情報のやりとりという点から言えば、あいまいさ、不正確さ、間違い、逸脱といったものが私たちのイメージする「人間性」の中核をなしているというのが興味深いと思いました。「人間だもの」と言ったとき、前提にあるのは「人間は間違うもの、愚かなもの」という人間観で、そういうところがなければ「人間味がなくて付き合いづらい」という評価に繫がってしまいます。

 これで思い起こしたのが、極右政治家を「会えばいい人」「愛敬がある」「かわいげがある」と言って受け入れる性向が多くの人にあることです。陰謀論やデマを口にし、めちゃくちゃな言葉で差別を煽動する政治家の多くは「会えばいい人」で、愛敬があって、「地元」で圧倒的な支持を集めています。同時に、左派の政治家は「地味だ」とか「気難しい」とか言われることが多いようです。

 実際にはほとんど質問にまともに答えることのない人を「会えばいい人」「愛敬がある」といって支持する人がいるのは、私には不可解なのですが、多くの人が正確な情報や知識よりも「人間性」のようなものを重視しているとすれば、そしてその「人間性」の中核にむしろ間違うことや不正確さ、愚かさがあるなら、ありうる話です。

 おしゃべりや雑談、自然な会話ができることは人間関係を円滑にし、社会をスムーズに動かすことに繫がります。そのとき「真偽」や「正確さ」は重要ではなく、あくまでもその場の流れを壊さないことが重視されます。例えば、盛り上がる営業トークさしすせそ:「さすがですね」「知らなかったです」「すごいですね」「センスがありますね」「そうなんですね」的なノウハウはたくさんあって、そうした相づちは相手の言っていることを正確に理解しなくても、また、そもそも相手が正確なことを言う人でなくてもその場の会話と関係の維持に貢献します。

 「家や友だちとの集まりでは話せるけど、会社ではうまく話せない人」もいれば、逆に「仕事上では問題なく話せるが、家族や友だちとはうまく話せない人」もいて、また、「大勢の前でスピーチするのは問題ないが、一対一だとうまく話せない人」などなど、人間の側の言語能力は人により様々です。でも多分、自分自身のことはさておき、「仕事相手」みたいなものには漠然と上記の 1 から 7 までのすべて、とりわけ 2 と 7 を期待してしまっていて、それがハラスメントに繫がったりしてるのかもしれません。

 私は「ぼんやりした言葉を、ぼんやりと理解する、または理解せずとも平気でいる」状況があんまり長時間続くのは苦手で、正確さや真偽にこだわるので、生まれた家では「神経質」といつも言われていました。愛敬やかわいげで支持される政治家は信用できませんし、むしろデマや陰謀論で攻撃され続けてきた人がそれに応じたデマ返しのようなことをせず、徹頭徹尾事実と法に則り正確な言葉遣いをしているところを見ると、素朴に「すごい」と感じます。政治や法律の領域では何より「真偽」が大事なはずなのに、「自然さ」や「愛敬」が求められてしまう状況には納得いきません。

 「自然さ」や「愛敬」が重要なのは家族や友人などの親密な者同士の関係でのことで、それを政治や仕事に利用されると穢い手で首をしめられているような感じが、私はします。「正確さ」や「真偽」が重要なところではそのように振る舞うのが当たり前の(今はそうすると仕事上でも「そっけない」とか「冷たい」とか言われてしまうので)状況に近づいていけたらなと思います。

 というわけで『働きたくないイタチと言葉がわかるロボット 人工知能から考える「人と言葉」』、高校生くらいでも読めるように専門語を排して注意深く書かれた本で、読んでいて広がりがあるのでおすすめです。よく、喧嘩になると「言ってること、わかる?」と相手を問い詰める人がいますが、そういうときは自分が「言っていること」をどのレベルでわかってほしいと思っているのか、そこを明確にする努力をしてみてもいいんじゃないかな、なんて色々考えることができました。

 特にまとめらしいものがありませんので、最後に私が考えた「さしすせそ」を披露して終わります。ぜひ、会話の間に洒落た「さしすせそ」を紛れ込ませ、けむにまいてみてください。

中森明菜さしすせそ

さ さあ欲しいのなら愛を見せてごらん

し 真珠じゃないのよ涙は

す 救いのない人ね 悲しくなるのよ

せ せつない恋 さきみだれてく

そ そう みんな堕天使ね

嗣永桃子さしすせそ

さ 「さよなら」なんて苦手だよ

し シャイなDandy 特殊な眼鏡

す 好きなんだ 好きだっけ? 好きか聞かせて

せ せつない詞をつけたんだ どうかな?

そ そんな作戦 らしくない

💻 おしまい 📚