プール雨

幽霊について

まとめの罪

 たとえば、朝の連ドラについて好きだ、おもしろいという人と、おもしろくないという人とがいてそれぞれに感想を言い合っている状況まではきわめて当然の経緯で、それらを読むことは特段不快なことではない。ドラマが放送されて、それを見た人がいて、そういう中で起こりうることとして受けとめることができる。

 しかし、それらを「今季の朝ドラで視聴者が大もめ」的な「まとめ」にされてしまうと自分が無関係でもむかっとする。そうした記事は記者がドラマを見ている人たちの感想を引用して編集し、(おそらく)ドラマを見ない人に向けて「こんなことになってますよ」と紹介するもので、その幾重にもはりめぐらされた現場からの遠さが気持ち悪い。現場から遠ざかりすぎだろと思うし、そういう記事を読んで予断をもってドラマの視聴を始めるのは不幸だ。

 私はつくづく思うのだが、ネットで見る「まとめ」記事的なものが好きではない。

 SNS上では日々もめごとが起こる。個々人が自分の置かれている文脈を常に常に明らかにできるわけではない状況の中で、衝突が起こる。当人同士でどうしても引けないものがある場合、長引く。それはしょうがないこと。

 そのときにどちらかが相手に対して強権的にふるまって沈黙を強いているような場合に第三者が「おいやめろ」と言うのは当然なされるべき介入だが、高所からまとめられると話がややこしくなるので、まとめがちな人は気をつけてほしい。

 これこれこういうもめごとが起きてますよ、と勝手にまとめて当の諍いや言い合いや譲り合いとは関係のない人たちと共有して「ああ、そういうことだったのか」と言い合ったって、そのまとめにはまとめた人の視点=偏りがあるし、その偏りのもとで取捨選択編集だってする。当人がとっくに「失言でした」と謝罪して問題になった投稿を削除した後で、まとめられてしまうということだってある。

 まとめがちな人は「何か書く前に自分の視点をできる限り合理化しておく必要がある」という視点がないと思う。そういう視点があったらできない営みが「まとめ」で、「まとめ」をもし読むのなら、そういうものだという構えが必要になる。事実からは遠く、遠く、遠く離れていて、それを読んだら二度と真実に肉薄できなくなるだろうが、それでもいいという覚悟をもってくぐるべき門、それがまとめサイト的なやつ。

 SNS をやっていると「知りたくない、だけど一言言いたい」「読みたくない、だけど書きたい」という人びとの気持ちをひしひしと感じる。最初はそれが嫌で距離を置いたこともあるけれど、だんだん「それもそうか」という気がしてきた。

 なんでも読むのは一苦労。うすらぼんやりとノーストレスで読めるようになるにはどうしたって段階を踏んだトレーニングが必要だし、知ろうとすればするほど労力はふえる。最終的にそれほどすっきりさっぱりすることもない。

 書くのだって一苦労だけど、書く方は「一苦労」じゃない書き方がある。コピペとか。でたらめとか。

 「まとめ」はそういう、「読みたくない、別に本当にわかりたいわけじゃない、だけど何か一言言いたい」という衝動に応じた形式で、これからもネットの中で生き続けるだろう。

 私のような、仕事で読み書きして休憩中も気分転換に読み書きしているような人間がこの状況下で注意すべきなのは、「読まずに書く」という営みがこの世界にはあるということ。「書きたい」という気持ちのスタートはそれがいかに「ぴろろーん」的なものであっても痛切なものであったはず。それに対して「読んでから書け」というのは乱暴で、人間、そういう態度を取ってはいけない。「書きたい」という気持ちを摘み取るのは暴力。手軽に読める人は自分のもっている荷物を意識して、それを振りかざさないことが大事。背中に隠す必要はないけれども、読むことと書くことは決して一様ではないと意識していく。だから「まとめ」滅びろとは言わないし、「自分が読んでいない本の感想にかみつく」ような営みもありうるとこととして受けとめます。

 しかし、この期に及んで「しかし」で恐縮なのですがしかし、いい加減な言葉のやりとりで人の心は壊れます。デマ、誹謗中傷はもちろんのこと、相矛盾する二つのメッセージを短期間の間に発し、それを繰り返していると相手の心は壊れるし、そこにある言語体系も壊れて荒野になります。荒野なんていう情緒すらなく、ただのでたらめだけが残る。言葉を発することは強力で、だからこそそこには責任が伴うと私は思うけど、多くの人はそう思わないみたいだ。でも私はそう思う。でたらめは強いです。でたらめ自体には論理も倫理もなく、それを書く人は自分自身で何ひとつ証明せずに済みます。気が楽で、最強の気持ちで痛快でしょう。でも、ひとつのでたらめで人の心は傷つくし、公共は消える。「善意のまとめ」にもその毒は潜んでいて、それを読む人と書く人の心を壊すことだってある。

 インターネットは三宅乱上三宅乱丈*1『pet』『fish』で言うところの、「鍵」のゆるい世界で、陰謀論やデマ、誹謗中傷が行き交う「谷」が優勢です。自分の「山」を守るには、やはり事実を大事にするしかなく、「まとめ」程度でも私は距離を取りたいと思うのです。

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🌹おしまい🌹

*1:2023 年 1 月 14 日、間違いに気がつき訂正しました。間違えてしまった!