ここはざべす辺境伯領またの名をまのぬけ国と申しまして、今般めでたく建国 20 周年を迎えましたので、お祝いの宴を催しました。
祝いの宴は 3 月 28 日未明から始まり、31 日に一度胃を休めたのち、再び 4 月 1 日の盛大なフィナーレへと向かいました。
宴の主要な催しは、のちにざべすがていねいにしたためてくれるそうです。本日は私、雨子より、3 月 28 日の気まぐれ伊勢詣でについてご報告申し上げます。
伊勢には昔一度行ったことがあります。そのときは神宮があるにもかかわらず寂れていて、特に外宮の辺りが今にもつぶれそうなものとすでにつぶれたものしか目に入らず、かなり不安になりました。
それが、今回行ったらすっかりきれいになっており、古い建物もそのなかで一層大切にされているようで、町歩きにぴったりの場所になっていました。
伊勢市駅を降りるとすぐ目に入るのは、老舗の旅館、山田館です。
昔の伊勢の写真を見ると、同じ様式の建物がずらりと並んでいて、これがずっと維持できていれば大変な都市だったのになあと思います。戦災で多くが焼失してしまったそうです。
ここから外宮に向かっていくと、すてきな洋館が現れます。
1923 (大正 12)年に建てられた電話局で、現在はフランス料理のお店と、チョコレートのお店が入っています。
寄るつもりはなかったのですが、現場に立ってみると「ぜひとも中に入ってみなければ」という気持ちになりました。
いきなりフレンチという時間でもありませんので、チョコレートをいただくことにしました。
この日は朝 4:00 起きでしたので、ここでいただいたケーキとエスプレッソにより、かなりきっぱりはっきりと目が覚めました。
ふるえるほどおいしかったです。
そしてのっしのっしと外宮、豊受大神宮に参りました。
歩きながら、ここにお宮を構えた当時の人や、お宮を構える前から何となくここに集まっていた人たちのことをぼんやり考えようとしていました。古事記にまとめられた時点で相当ゆがんでいるはずで、その後色々あったので、当時の人たちからすれば思わぬことに利用されているということもあるかもしれません。
まあでも、私のこういう想像も多分に的はずれで、よく風が通り、木々が育ち、さらされと水が流れるところで目に見えないものやことがあるかも、と考えるのはそれなりにいい時間でした。
この外宮から内宮への移動は、徒歩、バス、タクシーの三つの方法があります。不慣れな私たちはあっさりタクシーに乗せてもらうことにしました。後で聞くと、以前は道路の渋滞や、タクシーに対する制限などがあって、うっかりすると外宮から内宮への移動に一時間要することもあったそうです。私たちを乗せてくださったタクシーの運転手さんは渋滞になっている箇所を巧みに避け、すいすいと運んでくださった上に 10 円おまけしてくれました。
五十鈴川の水に触れて、手を清めます。
これはいい所だな、という感じがします。
国や政治なんて、人間や信仰より後にやってきて偉そうにしているけど、信仰に比べればずっと新しい、頼りないものですよねえ。
なんてことを思いつつ、
おかげ横町入り口でいきなりささっと一杯飲むことにしました。
牡蠣ももちろんおいしかったのですが、この伊勢うどんがやわやわでたいへんにおいしく、すばらしいものだと思いました。
この後も飲んだり食べたりしながら、おかげ横町をずずずいっと歩きました。
赤福さんは混んでいてとても入れそうになかったので、小さいのを買って河原で食べることにしました。
ちなみに私は神道を信仰していないので、神社ではおとなしくしています。「よそさまの神様」ですから、礼は尽くします。そして「立派ですねえ」とか「いいところですね、初めて来ました」とか考えます。今回、最初のうちは「なんかややこしくてすみません」とか思っていたのですが、「こっちの事情なんか関係ないよなあ」と考え直して、いつも通り「いいところですね」と言葉にしました。そしてその後美食の限りを尽くして神宮を後にしたのでした。
帰りは伊勢市駅ではなく、駅舎が美しくて話題の宇治山田駅から。
ここから私たちがどこへ旅だったかは、また別のお話。
📚 おしまい 🌲