『ヒットマン』という全然、そそらないタイトル。Wikipedia で試しに「タイトルにヒットマンを含む記事」を検索すると、す……っごいたくさん記事が上がってきてしまうからもう読む気がしない……。
そんなヒットマン界に燦然と登場した、「ザ」も「・」もつかない、潔いタイトル『ヒットマン』。
あらすじは以下の予告で大体わかります。
本編を見た後でこの予告を見ると「あっ、起承転結の転のその後くらいまで出てくる」と驚きます。自信たっぷりです。映画の肝が太い。せせこましくない。ためらいも感じない。堂々たる自信作です。
ちなみに映画の中で私が一番笑ったシーンもこの予告で出てきます。思い出してまた笑ってしまいました。
大学で哲学を教えているゲイリーは、副業で警察の潜入捜査もしています。主に盗聴を担当していたようです。このところの作戦は、殺し屋への殺し依頼の現場を押さえて逮捕、というもの。その殺し屋役がひょんなことからゲイリーに回ってきたのです。最初は戸惑っていた彼ですが、変装をし、冷酷な殺し屋を演じることがだんだん快感になってきます。あるとき、夫を殺してほしいという依頼者と出会い……。
基本はラブコメというのかロマコメというのか、とにかく、最近私が見てなかったジャンルです。避けたわけではなかったのですが、サスペンスやミステリばかり見てると、サスペンスやミステリの情報ばかりが集まってきて、ほかのジャンルにたどりつけないのです。たまには映画の王道、ラブコメを見て、はらはらして、笑って、で、「映画ってほんとにおもしろいものですね」と思いながら夜の街に出る。そんなのもいいじゃありませんか。
この映画には特大のおまけがついていて、それがいわゆる原典の、現実に起こったことの奇想天外さです。映画冒頭で、実話から着想を得ているけど、あんまり現実に即していませんというようなクレジットが出るんですが、その実話がどうも、話としては映画本編よりさらにおもしろそうなのです。いえ、「おもしろそう」って、現実の人の話に言っていいことではないのです……何と言ったらいいのでしょう……その実話をちらっと聞いて、「すてき!!」って思ってしまったのです。「いいじゃない!」って。
映画の方は物語なので、始まりがあって、終わりがあります。始まりがあって終わりがあると、主人公がいくら中年でも成長したように見えてしまいます。ゲイリーの場合は、結構明確に変化するので、それが成長のように見えます。成長っていうか、解決っていうか、アウフヘーベン?
(いよいよ結末に触れます)
冒頭、二匹の猫と静かに暮らすゲイリー・ジョンソンは哲学の先生です。この先生がじつはおとり捜査官で、殺し屋を演じては殺人事件を未然に防いでいます。そのうち、依頼者と恋に落ち、殺し屋ロンとして彼女とつきあうことに。哲学の先生、ゲイリーではなく、彼女が恋したのは殺し屋のロンだから。で、まあ、途中で大変なことが色々とあって、それはも〜〜〜〜大変なことになるんですが、最終的にゲイリーとロンはいい感じに落としどころを見つけて合体。今では美しい妻と二人の子ども、そして犬……
犬!?
そうなのです。ゲイリーは妻子と犬さんとともに暮らす。それがこの映画のラストなのです。
まあ、その辺は縁というものですから、ゲイリーが幸せならば私はそれでいいです。
でも、私は頭の隅で、「冒頭の、二匹の猫と暮らすゲイリー、完璧だったし、ゲイリー自身もその生活に満足してるって言ってたのになあ」とちょっぴり残念に思っています。
結婚して子どもを育てて犬を飼うのが……まあいいです。ひとの人生ですから。
そんなとき、小耳にいい情報。現実のゲイリー・ジョンソンさんは、実際、猫ちゃんと暮らし続けたようなのです。
おお。
おまけに、ボーイフレンドからの暴力に怯える依頼者を、きわめて社会人としてまっとうな態度、手法で助けもしたそうです。
すてき。
映画本編もとっても楽しく、きらきらわくわくはらはらするものであったのに、それだけにおさまらず、それをくるんでいる現実がさらにもっとスケールの大きなものであったのです。
映画が参考にしたというゲイリー・ジョンソンさんの記事があるそうで、それを読んでみなくちゃいけません。
こうした、現実にモデルがある映画やドラマで、妙なところがきっちり現実準拠だったりすると、燃え上がりますよね。
燃え上がりませんか?
今気がついたんですが、パンフレットを買うべきだったんですね。
まあいいでしょう。
🐈🐈 おしまい 🐕