早朝の都会は予感に満ちています。
ああ、お昼は何を食べようかしら?
おいしいコーヒーはあるかしら?
これから見る映画がとんでもない唐変木だったらどうしよう?
そんな予感と、実際の気温の低さに「寒い、寒い」と言いながら『シン・エヴァンゲリオン劇場版』を拝見してきました。
思い起こせばこいつを最初に見たとき、私は学生でした。
私が学生だったということはみなさんはこの世に生まれていなかったのではないでしょうか。それほど大昔からあって、映画館で見る度に「終わってない……!!」ともぞもぞするような気分にさせられてきたのです。
『破』だか『Q』だったかのとき(もう今更どっちでもいい)、終わって、むっつりした顔でお手洗いに行くと、若い女性が二人して手を洗いながら「1800 円か……」ってつぶやいていました。
1800 円だよ。
二時間だよ。
ていうか、このシリーズに通算いくらの……まあ、それは、もう、いいです。いいです、そんなことはとりあえず、もういいのです。
なぜなら終わったのだから!
ああ、終わった、終わった、今度こそ終わった。
映画館のシートに身を埋めて客電が落ちたとき、泣きそうになりました(映画好きの生理的な反応で、特に意味はない)。
そして冒頭、これまでを思い出して「ほんとに終わるのか……?」と不安になりました。
「長い」と噂を聞いた夫は、これまた噂で「餅を食べておくとお手洗いに行きたくならない」という未確認情報を得、始まる前に光速であんだんごを食べました。「こげたところがおいしかった」だそうです。
なのに、途中で一度お手洗いに立ち、気の毒でした。
私は長いのには慣れているので最初から最後までおとなしく座っていました。
終わりました。
こんだけべろべろと続いたものを終わらせるのは、それだけで、偉いことです。
未完結のお話がこの世にどれほどありますか? いっぱいあります。ひとつ例を挙げるたびにむかむかします。
私は、おわらないのはあまり好きではありません。私の中でずーーーーーーっと、登場人物が「待て」の姿勢でいるのは不快だし悲しいです。辛いです。
だから終わらせてくれただけで、よしとします。
ほんと、碇シンジは大変だった。どえらい目に遭いました。おつかれんこんです。
それに、登場人物の何人かが大人になっていて、「ああ、大人になるって、いいことだなあ」と素朴に思いました。
一言で言うと「親父、いいかげんにしてくれ」という、『仁義なき戦い』のような『 江分利満氏の優雅な生活』のような、戦後ものの定番というんでしょうか。そこでずっと自分たちがぐるぐるまわっていたかと思うとあーーーっとならないでもないですが、もう、いいです。
かように、終わってくれさえすれば、「お疲れさま」といって肩をたたくのもやぶさかではないという気持ちになります。
だから『ガラスの仮面』も終えてほしいです。
夢落ちでかまわないので、終えてくれさえしたら涙のひとつもこぼすでしょう。
今日、シンちゃんを見ていて、重大な学びがあり、それと『ガラスの仮面』も関係があるので、まことに簡単にではございますが、申し上げます。
それは、「カップリングを間違えると、話が長くなり、終えるのが難しくなり、作家も苦しむし、場合によっては食い詰める」ということであります。
上映中の映画のことなので具体的なことは省きますが、『ガラスの仮面』におきましては、なぜ、北島マヤの舞台上とはいえ相手役に桜小路優をもってきてしまったのか。ミスキャストと言わねばなりません。また、姫川亜弓の相手役がなぜにおじいさん?
交通整理をしましょう。姫川亜弓の相手を桜小路がやればいい。こっちはオンディーヌ絶賛バックアップで派手に美麗にやればいいでしょう。そして、マヤの相手は?
みなさんお忘れではないですかな。
あの、天才俳優を。
いっとき、紅天女の候補であったあの確かな批評眼に支えられた知性をもつ俳優のことを。
そうです。青木麗です。
これでやりなおそおう。そしてさっさと最終回に到達するんだ!
以上です。
これで終わるのも何なので、都会で食べたもの、美しい花などの写真をはっつけて終えます。
では、ごきげんよう。