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雨降り

幽霊について

散文化をこばむ

ニシノユキヒコの恋と冒険 (新潮文庫)

ニシノユキヒコの恋と冒険 (新潮文庫)

 
ちょっと前、井口奈己監督による、「ニシノユキヒコの恋と冒険」を見ました。
ちぐはぐだけど、魅力的な、だけど、すっごくちぐはぐな映画でした。
原作は川上弘美による連作短編で、10 人の女性がそれぞれに「西野幸彦」の来し方を語るというもの。ティーンの西野くん、サラリーマンの幸彦、50代のユキヒコと、様々な像が浮かんでは消え、ぱたんと本を閉じたときは「あの人、ほんとにいた……?」みたいな読後感。まさに大きな象をあっちからこっちから触ってみたという感じ。
映画化するとしたら、いかにも大変そうだ。
散文化されることを拒んだ、小説ならではの楽しみに満ちたこの小説を、時間芸術である映画でやるのはいかにも難しそう。
どうするのかな、と思っていたら、井口奈己監督はかなり思い切った改変をしていた。
まず、ニシノユキヒコの過去と未来をばっさり削除していた。
小説では、彼の過去とその空虚の種が語られ、そのことから仄見える、彼が切望するもの=未来への視線も控えめに語られる。
映画ではここのところをばっさり切って、あくまでも彼を「現在の人」にしたて上げた。
かわりに、ある年若い登場人物に物語を背負わせていた。
恋によって母をうばわれた少女が、恋に生きた死神を通じて愛を知るという物語になっていて、ここの改変は、好み。
「物語」は少年少女のものだという主張があって良い。
もうひとつ、大きな改変があって、「ニシノユキヒコの恋はなぜ、誰に向かって語られたのか」という問題。
映画ではこの点も、先に書いた、軸となる少女に、一人の登場人物が語って聞かせるという形式をとっている。
少女の物語を思えばこれは必然的なこと。知りたいと切望している人物に、ニシノユキヒコの物語は、思わぬ人物を通じて語られる。
こうした改変の結果、「物語」としては、この映画はきちっと整っている。
その意味では敢て散文化される方向をとったわけで、この点が井口奈己監督にとっては大きな冒険だったのではないかと思われる。
彼女はそもそもそういう作家ではないので。
その証拠に、この物語のために、登場人物たちがちゃんと動いてくれない。
まずニシノユキヒコだけど、この人が単に空虚な人物に見えるのが物語にとってまずかった。「何を考えているかわからない」ということと「空虚に見える」こととは全然違う。飢えが感じられないから、恋の匂いも薄い。「こだわりのない人物」として描かれている割には名画座に出かけたり、コーヒーをネルでドリップしたりする。ネルはまっしろ。お湯の注ぎ方は適当。ちぐはぐだ。飢えがあるから映画やコーヒーにこだわり、恋を求めてそれが得られないんじゃないのかな。これは多分に演出の問題で、井口奈己メソッドがこの俳優には通じなかったということなんだと思う。
また、少女に彼の物語を伝えるある人物だけれども、彼女が出る場面には少なとも2シーン、撮り直してほしいと思うような、見づらいところがあった。ひとつは彼女が少女にニシノユキヒコの話をし始める場面。あまりに不自然だし、どう見ても言いよどんでいて、台詞を忘れたか間違えたかしたようにしか見えなかった。もうひとつは彼女がニシノくんと喫茶店で映画の話をする場面。あれではニシノくんが単に軽薄なナンパ師だ。
ちぐはぐだった。
なのに、素敵なシーンは、このうえなく素敵だった。
お葬式で少女の視界に一瞬入る母親の横顔は透けてしまいそうに、美しかった。美しいのに、しっかり年数分、年をとっているように見えた。
少女がその母に、ニシノくんの声を伝えるシーンはとても映画的だったし、ラスト15分は印象的だった。
俳優陣は誰も、このうえなく魅力的に映っていた。
もっと見ていたい、この場面だけで二時間撮っちゃえばいいのに、と思うシーンもあった。
あの小説を映像化するにあたって、この映画スタッフが行った改変は、とても合理的だし、知的なもの。正しくもある。でもそれが、演出とうまく噛み合ってなかった。
この監督には、次々と映画を撮って欲しい。
彼女に次、撮って欲しいのは、例えばこんな小説。
 
どうでもいい歌

どうでもいい歌

 
その道で成功しているわけでもなければ、困窮しているわけでもない、人からしたらふけば飛ぶように見えるかもしれないような仕事をきちきちこなす毎日を送る人々の、ちょっとした(日常の)冒険小説。こんな映画があったらいいなあと思いながら読んだ。上手い監督に撮ってほしいなあ。あまりケレン味がなくて、どっちかっていうと画面が渋くて、あ、この場面、もっと見ていたい、ああ、見えなくなっちゃうよ〜と思うようなシーンの連続で映画を成り立たせちゃうような監督、つまり、井口奈己が撮ったらいい。そう思って読みました。
ああ、そういうことになんないかなあ。