ところが、「変体漢文」の読解には、重大な障害がある。従来、その訓読のしかたは、主として教員が学生に口頭によって伝達していた。つまり、寺子屋のような読み聞かせのかたちで教授されてきたのである。しかし、これには大きな問題がある。
第一には、教授されている訓読法の適否について、点検する手段を欠くことである。そのため、東日本と西日本の大学で、訓読のしかたが異なるというような現象もおこっている。
日本史史料研究会監修、苅米一志著『日本史を学ぶための古文書・古記録訓読法』より。
そうなんだ〜。
びっくりした。
ということは、史学と語学と文学とで学ぶ手法が違うのか〜。それは共有すべきなんじゃないの。びっくりした。