プール雨

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マフィアは夏にしか殺らない(字幕版)

マフィアは夏にしか殺らない(字幕版)

  • 発売日: 2018/12/16
  • メディア: Prime Video
 

  1969 年 12 月 10 日、有名なマフィアのボス、通称「コブラ」の事務所が急襲され、彼は惨殺される。命じたのはやはりマフィアのトト・リイナだった。

 この日、コブラが急襲された同じアパートの上階で、アルトゥーロの両親が結婚した。その、夫婦の大事な子、小さなアルトゥーロ洗礼の日、司祭は儀式もそこそこに駆け足で教会を後にする。マフィアの息がかかった市長の誕生を祝うためだ。

 1982 年 4 月 30 日、政治家ピオ・ラ・トッレが暗殺された。そのニュースが新聞社各社に打電されるころ、小学生のアルトゥーロが新聞社主催の作文コンクールで最優秀賞を取り、初恋の相手、フローラの前でそのレポートを読み上げようとしていた。ピオ・ラ・トッレは反マフィアの政治家だった。

 訃報により最優秀賞の作文を披露できなかったアルトゥーロは家に帰ると、同じアパートの階下に住む新聞記者に自分も記者になりたいと相談する。彼は、記者の個性はインタビュー記事に表れる、アルトゥーロはだれにインタビューしたい? と尋ねた。アルトゥーロの頭に思い浮かんだのはカルロ・アルベルト・ダッラ・キエーザ将軍だった。テロ集団「赤い旅団」撲滅に功績があり、パレルモにはマフィア掃討のためやってきた将軍だ。アルトゥーロが敬愛するアンドレオッティ首相は、このパレルモに犯罪組織などないと言っていた。では、キエーザ将軍は何のために来たのだろう? アルトゥーロは警備の目をかいくぐりキエーザ将軍のオフィスにたどり着き、尋ねる。彼は将軍に話を聞いてもらい、すっかり満足する。やはりパレルモにマフィアなどいないのだと。しかし、それからまもなく、キエーザ将軍は暗殺されてしまった。思い惑うアルトゥーロに友人の新聞記者は「情報源が大事だ。アンドレオッティは情報源として、不適切だったんだ」と教えた。

 と、ここまでが前半です。

 映画はほんの 90 分。1970 年から 90 年代にかけて、マフィアの抗争が続くパレルモで生きるアルトゥーロたちを追います。

 1970 年代はパレルモのマフィアたちがマンダリンの木々の奥で麻薬を精製、販売し、いよいよ莫大な富をなし、政財界への影響力を増していった時期のようです。

 映画は基本的に、1970 年生まれのアルトゥーロの一人称が軸になって進むので、そうしたシチリアマフィアの歴史を知らなくても、彼と一緒に知っていくことができます。

 もちろん、見ているこっちは大人なので、たまたまテレビから市民に向けて話しかけていた首相にアルトゥーロが情熱的に愛情を抱いてしまうくだりを見ると、「やっかいなことになってしまったのだ」とはらはらします。

 それは、ある種の愛国少年誕生の瞬間です。

 日本でいうと、安倍さんや麻生さんに心酔して彼らの大ファンになってしまう小学生男子みたいな感じでしょうか。

 お父さんが聞いてくれない話を、首相が聞き、テレビを通して語りかけてくれる、見てくれる、そんな気がしてしまったのです。それになんといっても相手は首相なので、日々、新聞やテレビに出てくれてとても親しみがわきます。

 アンドレオッティ首相はこの映画の冒頭でコブラ急襲を命じているトト・リイナととても親しく、マフィアとの蜜月関係は公然になっていたようです。

 映画の前半部分で興味深いのは、ちょくちょく殺人事件が起こり、それがマフィアの仕業だと報道ないし噂されると、「マフィアなんかいないよ。女がらみだろ?」と一般市民がせっせと疑惑を打ち消しにかかることです。そして、首相も「シチリアには犯罪組織はない」、したがって、問題もない、と演説し、アルトゥーロ少年は「そうなんだあ」と思う。

 でも、パレルモで反マフィアを掲げて活動する法律家や政治家、警察関係者が現れると、彼らは遠からず不審死を遂げることになります。

 物語前半で、アルトゥーロにイリス(菓子パン)をごちそうしてあげる警部さんも、アルトゥーロの恋心を応援する判事さんも暗殺されて、その判事さんが暗殺された現場にはアルトゥーロが恋するフローラもいました。

 フローラはその後、マフィアが暗殺を繰り返すパレルモからスイスに引っ越し、大人になって、政治家の秘書として帰ってきます。彼女は反マフィアの第一線に立つ政治家、リーマを支えています。

 一方、アルトゥーロは就職先がなかなか見つからなかったところ、コメディアンに助手として雇われ、彼の番組にリーマが出たことでフローラと再会します。

 ずっとマフィアのいる街でマフィアがいるということからは目をそらして生きてきたアルトゥーロは青年になっても子どものときの面影を残しています。でも、フローラの方にはもうあの、小学生だったフローラの面影がありません。彼女が判事殺害現場に居合わせたあの日から、今までどんな思いで生きてきたか、そのことを考えると胸が痛みます。

 スイスとパレルモで離れて暮らしている間にこの二人の距離はとんでもなく離れてしまっていたのです。なのに、お互いがお互いを好きなままで、それだけが変わらないのです。

 リーマのスピーチ原稿をフローラは書きます。そして、その原稿にアルトゥーロは首をふります。選挙で反マフィアなんて言っても、市民は投票しないよと。マフィアに政治家や警察が勝てるわけがないんだと。フローラがここで受けたショックは、この映画における「マフィア」という言葉を「差別」に置き換えるとわかりやすくなります。アルトゥーロは「差別はなくならないよ」「みんな諦めてる、それが現実」「反差別なんてかかげて選挙に出たって、勝てるわけがないよ」と言うわけです。「君たちの闘いは無駄だ」と言う人と、何を話せというのでしょう。しかも、相手は初恋の幼なじみなのです。

 さて、ここまでで映画の四分の三くらいです。時間的には五分の四くらいかもしれません。

 でも、物語的にはここからが大勝負です。

 このあと何が起こるかは、ぜひご覧頂くとして、振り返ってみると、短さと、偽装された素朴さがすごいです。うすらぼんやりしてはいるが必死な少年が、やはりうすらぼんやりしてはいるが必死な青年になり、このままうすらぼんやりと差別する側にまわるのかと思いきや、彼がはっきりとは拒否してこなかった、その構造のようなものを降りはらう瞬間がやってきます。そこでがらっと彼の見ている風景が変わる。

 おすすめです。

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