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雨降り

幽霊について

リアリティのダンス、複製された男、アクト・オブ・キリング、ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅、コーヒーをめぐる冒険

8/2 @シネマカリテ

リアリティのダンス

リアリティのダンス

 
大人になって『ハムレット』を読みなおしたら、「ハムレットに対してかなり律儀な話だなあ」と思いました。
ハムレットのような人物が、父亡き後王位を継承した叔父に疑惑を抱いて、亡き父に復讐を誓う、といったことに追い込まれたときに、どう考えどう行動するかということについてかなり律儀な展開で、ちゃんと語り手が「ハムレット」につきあっているという印象を持ちました。
この「リアリティのダンス」でも、結局はそんなことを感じました。こういう人が、どう考えどう行動するかということに、とても律儀だなと。
 
8/2 @シネマカリテ 
後期芥川龍之介みたいな感じ。
自分がもう一人いる、っていう不安を自分はあまり理解できていないので、結構途中まで冷静に見てしまって、失敗だったなあ。「鍵」とか「蜘蛛」とか「母」とか、アイテム然としたものが出てくるのにも、うまくのれなかった。俳優の顔はみんな良かったです。
 
8/8 @川越 スカラ座
The Act of Killing [DVD] [Import]

The Act of Killing [DVD] [Import]

 
1965年、インドネシアで起きた、「共産党員狩り」と称した大虐殺の加害者にカメラを向けたドキュメンタリー。ちょうどこれを見る数日前、ストーカーのカウンセリングをしている方のドキュメンタリーを見たところで、加害者に語らせるのはほんとに難しいなと思っていました。誰かが釈明の機会を与えられたとして、その語りの型は基本的に「被害者として」語る以外に今のところないんだなあということを考えました。これは一連の裁判傍聴ものを読んでも感じることです。
自分と立場の違う相手がいて、その相手に非常な不愉快を覚えたり、怒りを覚えたとして、手を振り下ろすときにはすでに思考は飛躍していて、後で「なぜなぐった」とか聞かれても、その「なぜ」に対する直接的な答えはないので、「むかついたから」とか答える。暴力に至る空虚な穴には目をつぶって、「相手が悪い」と答える以外にない。そして「むかついたから」という言葉を聞いて、「それ、答えになってない。『むかついた』でいちいち暴力ふるってる場合か」と反応する人がいるのと同じ程度で「それは相手が悪いよね」と思う人もいる。そんでごちゃごちゃになっちゃう。
「なぜ」と問いかける限り、問われた方は被害者になってしまう。
カウンセリングを受けながらストーカーたちはどんどん「被害者」になっていって、それはそれでカウンセリングとしては遠回りでも意味のあることかもしれないけれど、ストーカー被害にあった人にとって聞きたいのはそこじゃない。でも多分、そこにおそらく、まとまった答えなんてない。暴力をふるう人はふるいたいからふるっていて、相手は誰でも良い。ふるわれた方としてはそこに気づくのが大事で、「この人は自身の問題で暴力をふるっているのであり、相手は誰もいいんだな」と問題を切り離して、徹底的に逃げるしかない。
アクト・オブ・キリング」は彼らに「共産党員刈り」の映画を撮らせ、当時の加害者と被害者を演じさせるという手法をとることを通じて、この点で成功していたように思う。「自分たちも被害者だ」というところに落とし込ませなかった。暴力は言葉ではないから、言葉で彼らを探るのではなく、身体を通じて探っていった結果、彼らの間でも変化が起こっていく。言葉ではなく、彼らの身体に(一番物分かりの良さそうな、弁の立つ人物は、うまくそこから逃げおおせる。そのことも象徴的)。すごいことだと思った。
 
8/20 @早稲田松竹 
家族の話なんだけど、きちっと個人の話になっていて、そこがおもしろかった。家族一人ひとりに了見があって、文化があって、相容れないということが当たり前のこととして描かれているのが良かった。
兄弟で「お父さんに迷惑をかけられた度合い」「お父さんに可愛がられた度合い」に結構差があるようなのに、特筆するほどは仲が悪くなくて、よーし、いっちょやるか! みたいなところですっと意気投合するのとか、常識家みたいにふるまってるけど実はすごい変わり者で、気の合う人がまったくいないお母さんが一箇所活躍するところがあって、このお母さんと暮らすのはほんと大変だけど、まあしょうがないっていう感じがひしひしと伝わるのとか、「親戚」が一部屋に集まった時の、明らかに「親戚」なんだけど、全然親密でもなんでもない感じとか、ちゃんと「ひとんちの話」としてリアルだというのがまずあって、その上でなにかを与えたり与えられたりすることでドラマの水準がふっと変わったりする「お話」でもあって、とても充実していました。
 
8/20 @早稲田松竹 
ばったり出くわした人と、さほどハートウォーミングでもないやりとりをする中で、最初は単に困惑してるだけなんだけど、そのうちふっと相手の言うことに耳を傾けている、という主人公の態度が、この映画を見ている自分と重なりました。とにかく、なんか、変だな、って思っていて、うまくいえないんだけど、違和感があって……といった違和感から脱出できない若い子が困りつつ、移動を続ける映画が昔はいっぱいあったよなあ、久しぶりだなあ、こういう映画、たまにあってもいいなあ、ていうかあってしかるべきだなあと思いつつ見ていました。こういう映画で、観客を最後まで飽きさせない話にするのは、今はとても難しいんじゃないかな。さりげなく、おもしろかった。
 
8/27 @自宅でDVD
人類滅亡計画書 DVD

人類滅亡計画書 DVD

 
三つの滅亡を撮った三本のオムニバス形式映画で、それぞれゾンビ、ロボット、隕石が滅亡のきっかけでした。
一つ一つ、「やりたいことをやりました」という感じがするのが良かったように思います。ゾンビは、冴えない主人公が一番最初にゾンビになっちゃうこととか、ラストがほのかに藤子不二雄チックなこととか、アイディアを出す段階での盛り上がりが見えるようでした。ロボットのも、ラスト、整備士が実は……みたいなところとか、悪くない感じ。ラスト、隕石の話だけはちょっと飲み込みづらくて、「こどもがうっかりネットで隕石を注文しちゃった」っていう発想にこだわるなら、やっぱり衝突を回避しないと、そのこども、「パパ、ママ、叔父さん、愛してる……」とか言えないでしょう。
そんなにおもしろくはなかったんですけど、ここから何かおもしろい発想も出てくるのかなあっていう雰囲気がありました。