プール雨

幽霊について

テレビで『シンクロナイズドモンスター』

シンクロナイズドモンスター』をテレビで拝見しました。

シンクロナイズドモンスター(字幕版)

シンクロナイズドモンスター(字幕版)

  • 発売日: 2018/05/02
  • メディア: Prime Video
 

  見終えた後、このジャケットを見るとむかっとしてしまいます。

 グロリアは現在無職。お酒を飲んでは間違いを犯し、うんざりした恋人に別れを告げられて住むところまで失った。

 しぶしぶ生まれ故郷に帰ったところでばったり出くわしたのが、同じ小学校に通っていた幼なじみのオスカー。彼は父親のバーを継いでいて、グロリアは懐かしいその店で飲み明かす。

 一人の家で震えながら寝ていると、オスカーがテレビをもってやってきた。記憶は飛んでしまっているのだが、どうやらテレビをもらう約束をしたようだ。さらにオスカーは無職のグロリアを雇ってくれるという。オスカーの優しさに感激したグロリアはハグをして感謝を伝えた。

  そしてオスカーは次にはふかふかのマットレス付きのソファを持って来てくれ、なにかとグロリアに親切にし、過大な贈り物を繰り返すのでした。

 到底返せないような贈り物を平気で喜んで受け取るグロリア。一方的に贈られることを、重大なこととして捉える態度がないことが悲劇の始まり……

 と、思いきや、悲劇のスタートは 25 年前。彼女と彼が小学生だったときだったのです。どうもそのときになにかあって、時空上のなんらかがどうのこうのして、二人が公園の砂場にいると、ソウルに怪獣とロボットが現れて、グロリアの動いた通りに怪獣が動き、オスカーの動いた通りにロボットが動いて、街と人々が甚大な被害を受けてしまう……

 というお話で、「おもしろそうだなあ」と思いつつ見逃していたのですが、テレビで放送されて見ることができました。

 グロリアとオスカーの言動で世界が動く、いわゆる「セカイ系」で、かつ、中年(と呼ぶには若いのですが、青春というほど若くない)クライシスもの、帰省もののミックスです。ただし、公園とソウルの街がつながっていて、オスカーとグロリアが怪獣やロボットとして顕現してしまうメカニズムについてはばさっと分析も言及もなしで、二人が今抱えている問題の方に話題は集中しています。

 グロリアの側から見るとわりとシンプルな話で、主に自分のだらしなさのせいで居場所をすっかり失いつつある人が、自分の言動と世界が繋がっていて、その影響で人々が苦しんでいることを知って驚き反省し、すべて自分の責任とは言い切れないことからも逃げずに向き合って問題をひとつ解決するというもの。グロリアにフォーカスして見れば、気まずいところや受け入れがたい展開はあるものの、いちおうの決着を見せたといえます。

 でも、オスカーの側から見るととてもシビア。きつい話です。

 幼なじみたちが街から巣立っていくなか、故郷に残って父の経営しているバーを引き継ぎ、結婚直前だった彼女にはふられ、店を手伝ってくれる友人はヤク中(?)、かわりばえのしない客を相手に朝まで飲み続ける生活。おそらくはいつか、生活を立て直さなければ大変なことをになると、自身で自身を脅しているような気にもさいなまれつつ毎日をやりすごしていたところに突如帰ってきた幼なじみ。都会でライターをしているはずだったのに、職も金もない彼女。その彼女に手を差し伸べながら自分自身も、というか二人で立ち直っていこう、二人でまともになっていこうという期待がふくらむ。そして二人の行動が巨大怪獣とロボットとなって顕現しているというとてつもない繋がりを知るときがやってきます。そうだ、この二人でなんとかやっていくんだ。そういう夢が、物語が見えたところでグロリアが突然その道を断った。

 それでオスカーは完全にぐれてしまったのです。

 自分が、自分の人生でやっと主人公になれると思ったのに、やはり脇役だったと思い込んだ彼は、秘密を盾にグロリアや友人達を脅し、自分の思い通りに動かそうとします。

 ハラッサー、オスカーの誕生です。

 私がいちばん胸の痛い思いをしたのは、オスカーの家が映されたときです。

 グロリアがオスカーの家にいくと、そこにはいつから積みかさなっていたのかわからないくらいの物、物、物が溢れ、とても安心できない、荒れ果てた空間ができあがっていました。

 オスカーはこの街、この家から一度も出たことがありません。その家は親たちから継いだもので、彼がひとりになったときは、もうどこから手をつけたらいいのかわからないほどの堆積があったのだと思います。おそらくは学業を終えるやいなや親の店で働き出し、介護もあり、彼は自分の生活や人生を仕切り直す機会がなかったのでしょう。よどんだまま流れてきたこの生活を、ここでやっとやり直せると、どれほどの期待が膨らんでいたか、ショックなほど伝わる映像でした。

 そう考えると、もう何年も人が住んでいなくて、からっぽだったグロリアの家に、オスカーがせっせときれいなテレビや家具を運び込んだ理由も想像できます。何もない空間に、好みの家具を集め、快適な空間をつくり、そこでやり直す。そんな夢も見ていたんだと思います。

 もちろんこれはオスカーの勝手な夢で、相手が望んでいない贈り物をするのは、はっきり言って暴力です。オスカーのすべきことは、店を一週間ほど閉めて、家と店の大掃除をし、自分でコントロールできる空間と物を把握し、「オスカーの城」を創ることでした。持て余していた荷物をグロリアに押しつけるのではなく。持て余していた自分自身をグロリアに押しつけるのではなく、自分で自分を受け入れること。

 オスカーのことを考えると、この映画はとても酷薄で、まるで、ぐれてしまったら人間、もうやり直しは効かないと言っているように思えます。

 「羅生門」じゃあるまいし、一度太刀に手をかけ人を脅し暴力をふるった人間ならその「行方は、誰も知らない」で済ませてかまわないと主張するのが「物語」の所業としてありかなしかで言ったらなしだと思います。

 カギになったのは、グロリアとオスカーが雷に打たれて、妙な力を得てしまった瞬間の描写で、あそこで、「オスカーの性根はこどものときから腐っていた」と解釈できるようなエピソードが入ってしまったために、わけのわからないことになってしまったと思います。

 グロリアに一度謝ってほしかった。『テロ、ライブ』のハ・ジョンウのように、彼女と彼の間でどういうことがあって、彼がどう傷ついて、それについて彼女がどこまで責任があるのか、そして、ないのか、グロリアの口ではっきり言ったうえでラストがぐちゃぐちゃになるならそれはそれでかまわなかった。