プール雨

幽霊について

「わからせる」では相手の主体性が無視されている

「言ってもわからなかったら暴力をふるってもしかたがない」って言葉には倒錯を感じる。

「言ってわからせる」って表現はどこまで行っても「なぐってわからせる」って表現が前提となって出てくるもので、実際は「なぐってわからせる」の代わりに「言ってわからせる」って言っているにすぎない。「言ってわからせる」って表現のなかに強制や暴力の構造が隠しがたくある。だから「言ってわからせる」って言っている間は「言うか殴るか」の間をぐるぐるまわることになっちゃうんじゃないか。
よく聞く表現としてほかに「言って聞かせる」がある。言って、聞かせる。そこまでしか「言って」できることはなくて、例えば「そういうことをされると傷つくからしないで、約束して」って言って、相手が「うん、わかったよ、ごめんね」って聞いてくれたら、その話はそこでおしまいで、実際相手がそのあとどういう言動を取っていくかはいろんなことがからんでそうなっていくからわからないけど、言って、聞いてもらって、了解し合ったよというやりとりが成立したらそのことを喜び合っていけばいいし、そうするしかないんじゃないのかなあ。