プール雨

幽霊について

音読と黙読について考えたこと

 仕事で校閲をしているんですけど、この仕事では音読の過程をふむっていうか、音読寄りの黙読で作業を進めます。完全な黙読だと読み流してしまうので、音読に近い感じで読みます。文節に区切ったり、たとえば「音読」をあえて「ねよみ」と読んだり、そうした不自然な行程をふんでぎくしゃくと読みます。そのときは声を出しているのにかなり近いです。書く仕事のときも、私は同じ傾向にあります。

 それで、読んでいる時に声が聞こえる人がいるそうですが、それは「不完全な黙読」だと思います。こどものときに、音読から始まった読書で黙読方法を獲得した後、黙読と音読のあいだで、一番頭に入るところを個々に調整するということがあるんじゃないでしょうか。大人は一応みんな、黙読をしているけど、人によって場合によって「黙読具合」が違うのではないかと思います。目だけでぱっぱっぱと読みたい人は常に黙読で、ぎくしゃくしたい人は音読方向へもどしているのではないだろうか。

 読むものの種類や文体でも違うだろうし。