プール雨

幽霊について

マツコの道

昨夜、私はなぜマツコ有吉の新番組についてあれほどまでに思い詰めていたのだろう。今朝起きた時まだ「毒舌とはなにか…」とか考えていた。

こんだけ嘘やでたらめ、脅しなどが公共空間で横行してしまうと、作家の毒舌なんかじゃ手も足も出ない。じゃあどうしようかと考えると「嘘つかない」「事実にもとづいているか常にチェックする」「まめに働く」「論理的に」「理性的に」「正気を保って」「機嫌よく」といったことしか思いつかないため、マツコ有吉がああなっていることにはある程度納得がいく。でも自分のことを考えてもわかるけど、板についてないから不気味になっちゃうんだよね。態度として選択的に楽しむ、ということになると。

それに、怒っている人に対して「怒ることないですよ」っていう、そういう言動には、やはりちょっと不気味さがつきまとう。「問題がある」という告発に対して、「いや、ない」と言うことになってしまうし、「いや、ない」という態度を取った瞬間「問題」の一部になってしまうわけだし。

そもそも、態度として性急でもあるし。

性急さが積み重なると、印象として拙くなるし。

つまり、怒っている人や泣いている人に対して、「まあまあ」っていう態度を取る人は多いし、マツコ有吉もそっちに行くってことだけど、でもそれやっちゃうと「この人に何言っても無駄」ってことになるわけで、いくら多くても、「無駄」である以上、話しかけてもしょうもない、だってなんも考えてないんでしょってことになっていくわけで。

結局、「都度都度個別に聞いて、考える」あるいは「単に聞く」ということになるのではないかなあと思うのだけど。

どうなることやら。