プール雨

幽霊について

藤田家

太宰治弘前高校時代に下宿していた藤田家に行ってきました。

当主、藤田豊三郎の妻が津島家の親戚だったとかでどえらいものを下宿させることになってしまった藤田家です。

津島修治がくぐったこの玄関を入ってみますと、

修治のパネル〜

そして注目はこの津島修治を預かっていた昭和 2 年 4 月から 5 年 3 月までの年譜。当時中学生だった藤田家の長男、本太郎の詳細な日記付き。「金木の修治さん」って呼ばれている。この修治さんが蛾が出たといっては大騒ぎし、ここんちのお母様と丹前のことで大激論を交わし、といったことが詳細に書かれていて、これが読めただけでも良かったっていうくらいです。

死後、ノートの落書きを公開される修治。

修治がいた部屋。なんだかんだ言って勉強もしたのでしょう。



先の年譜を見るとしみじみ、「これでよく高校卒業(今で言う大学三年に進級みたいなこと)できたなあ」と思うような不良なんですが(せっせと青森まで行って芸者遊びをし、進級試験の前日に自殺未遂などなさる)、なんかまあ、憎めない感じなんでしょうね。