プール雨

幽霊について

わからないように書くということ

【悪文が生み出される過程について考えてみたこと】
1.「ある件について某がほにゃららと言っていたこと」について、どうにも気になるので、ネット上で何か表明したい。
2. だが、騒ぎになるのはイヤだから「ある件について某がほにゃららと言っていたこと」を具体的には書かず、各項目の抽象度を上げて、すでに問題点を共有している(と思われる)人にだけわかるように表現する。
3. さらに、抽象度を上げたことによって、関係のない人からつっこみが入るのもイヤなので、これこれこういう話ではないですよ、という断りを入れる。

というような独特な手続きを経て書かれたことにより、不思議なまでにわかりにくくなった文章がネット上では観測できる。紙の上では読んだことがないタイプの新しい悪文。徒花っぽい。何か書いて、編集などを経ないでぱっと世界に向けてリリースするということに私たちが慣れていくにしたがって消えていくものかしらん。

ということを、2017 年 8 月 17 日 20:45:45 にはてなハイクで書いていたようです。

たとえば、ピエール瀧が逮捕された件で、自分はファンなので何も言いたくないのですが、あまりに執拗にたたかれると反論したくなり、しかし、会ったこともない相手のことを悪し様にたたくような人々に見つかるのは怖いから、すべての固有名詞をふせて書く……といった事態が考えられます。

ここでその例文を書いてみようかとも思ったのですが、あまりにめんどくさいのでよします。

「関係ない人に見つかりたくないから固有名等をふせて主題を隠し、文章の構造の後ろ半分だけ残して言いたいことを言う」という行動に走りたくなる気持ちは私も想像できます。想像までは。

あるいは「一般論の体で特定の人に関する悪口を言う」とか。そういうことはSNS上のあちこちで行われています。

また、ネタバレに配慮しているときにも同じような問題が起きます。

映画を見た直後で、言いたくて言いたくてたまらないが言うわけにいかない。そんなときに映画のタイトル以下固有名すべてをふせて書くとか。

アベンジャーズ」の「エンドゲーム」が公開されましたが、公開直前に「ネタバレ注意」というツイートが流れてちょっと話題になりましたから、「エンドゲーム」周辺では今そういうことが起きているのかもしれません。

ネタバレについて私自身はできる限り配慮(すぐには書かない、全部は書かないというような)していますけど、自分が遭う分にはそうなっちゃったらしょうがないかなあという構えです。映画館で、見知らぬ大勢の人たちと一緒に見るので、事故的なことはしょうがないかなと。ネタバレラインは個々に違うはずで、勘のいい人は、下記の「インフィニティ・ウォー」の感想だって、ネタバレだって言うと思うんです。

poolame.hatenablog.com

 とはいえ、この「インフィニティ・ウォー」の感想でもそうであるように、私は映画や小説について書くとき、ストーリーや事の経緯は触り部分くらいまでしか書かないようにしています。どういう人が、どういう事態に至ってという程度のほんのさわりだけ。基本的には「読んでほしい」「見てほしい」という気持ちで書いているので、なるべくならストーリーに関する情報は伏せたい。ただ、自分なりに「これはこういうことに関する話で、こういう結論を出してる」ってことは書きます。

それもネタバレだという考え方がありうるというところまで想像はできますが、自分としてはもうそこまでは付き合うつもりがないのです。

というのは、ここからは「文章」の問題で、文章の基本単位が「主題と陳述」だからです。「〜は(主題)……である(陳述)」という基本単位をくずしてまで「配慮」するのはばかばかしいし、自分で書いていて何についての文章だったかこんがらがってしまいそうなややこしいものを書くつもりはないからです。

だから映画について何かを書くとすれば、「この映画は〜についての映画で、それについて……と結論づけている」ってことを書くしかないし、瀧について書くとすれば「瀧が逮捕された件について、私はこう思う」って枠組みで書くしかない。聞き流せない言動があったら、いついつどこどこで某によって書かれていたこれこれこういう文言について、とはっきり引用元の情報を書いて、それに対して「私はこう思う」って書くしかない。文って、そういう風にできているので、あんまりややこしい負荷をかけていると文体がぐちゃぐちゃになってしまうのではないかなと思うのですよ。