プール雨

幽霊について

ドラマ『アガサ・クリスティ ミス・マープル』(2004-2013)、折り返し地点

 

 ジョーン・ヒクソン版の『ミス・マープル』はちょこちょこ見たことがあるのですが、今日本のテレビでやっている『アガサ・クリスティ ミス・マープル』は見たことがありませんでした。

 見始めてみると、ジェラルディン・マクイーワン演じるジェーンと女性達が目と目で会話するのが楽しかったり美しかったり悲しかったりしてなかなか引き込まれるものがあります。

 しかし、シーズン 2 になると突然『親指のうずき』や『シタフォードの秘密』など、非マープルものが続き、シーズン 3 でもわりと重めの『無実はさいなむ』『ゼロ時間へ』などに突然ジェーンが割り込み、びっくりしているうちに全 6 シーズン中のちょうど半分まで見たことになってしまいました。

 とっくに話し合われたであろうことを、二十年近く経ってから言うのもためられわれるものがありますが、やっぱり非マープルものにジェーン・マープルが首をつっこむと話が不自然で、彼女が妖怪みたいに見えて、マープル好きの私には切なかったです。

 第 1 シーズンはそういうことがなくて、シーズン通して一貫性があって楽しかった。

 とはいえ、このジェラルディン・マクイーワン版ラストは『復讐の女神』。クリスティーがこだわる「過去の罪は長く尾を引く」話で、1940 年、イングランド中部に落ちる一機のドイツ軍用機から話が始まります。10 年後、薔薇が美しく咲く庭で新聞を読むジェーン。そこにジェースン・ラフィールの訃報と遺言がもたらされました。遺言は故人の声が録音されたレコードで、久しぶりに聞く友人の声と「再び正義の怒りに燃える復讐の女神になってほしい。正義を洪水のように際限なく溢れさせよ」という言葉にジェーンは目をみはります。見ている方は 10 年前に何か事件があったのだろうということがわかっていて、しかし、その事件がどういったものなのかもわからないのに、ジェーンは調査に出ていくんだなあ、勇敢だなあと感じ入ります。もちろんジェーン本人には「1940」という年号が与えられているわけでもなく、視聴者以上に手がかりがすくないなか、死者の導きに従って旅に出、事件が「起こった」のか「起こる」のかもわからないまま、人びとの声に耳を傾けるのでした。

 聖書からの引用、アナグラム、複雑な人間関係、1940 - 50 年代の社会状況(仕事を失う執事、元諜報員のツアー添乗員、作家に憧れる刑事)といった要素がからみあうなか、甥のレイモンドが作家としてスランプ中という問題もあり、ドラマはぎゅうぎゅうのぱんぱんでした。

 このシーズン 3、最後はぎゅうぎゅうのぱんぱんだし、途中は異世界に迷い込んじゃうし、マープルものとしてはかなりふらふらしているとはいえ、この目がきらきらしたジェーン・マープル、私は好きでした。

 そして明後日、3 月 1 日から『アガサ・クリスティ ミス・マープル』はシーズン 4 に突入( BS11 にて)。ジェーン役はジュリア・マッケンジー。このシーズンのマープル、以前から気になっていたのは、写真にベネディクト・カンバーバッチが映っていること。予告でも彼がばんばん映っていて、「いったい何の話の、何の役なんだろう」と数年越しの謎が解けるのがたいへんに楽しみです。初回は『ポケットにライ麦を』。うまい具合に、現時点で話がまったく思い出せません。楽しみです。

 

📺 おしまい 📚