プール雨

幽霊について

2023 年の半分

2023 年を半分すごしましたので、読書記録を公開します。半年分あって漠然としているので、簡単に。

印象に残っていること

  • エルキュール・ポワロのシリーズを最初から最後まで、順番通りに読んでみるというのを合間合間にやっていて、今年ついに『カーテン』までたどりつきました。シリーズ前半では、アイデアの豊富さに驚き、中盤ではテーマが定まっていくところにわくわくし、後半では繰り返し登場するモチーフに胸が痛むという読書体験でした。ポワロ最後の事件となる『カーテン』は時系列に矛盾があり、それでも書き直さなかったところに、痛ましさを感じました。その流れで今度はジェーン・マープルのシリーズを読み直しています。改めて読んでみるとますます、挑戦的な小説だなと思えて、ファンとしてうれしいです。マープルは単独行動をするので、中盤で彼女の推理がどこに向かっているか表明する機会がなく、つかみどころがありません。その代わりに、読者の目の前には「もうひとりの探偵」役を務めることになる人物たちが登場することになります。その仕掛けが魅力的です。
  • 石原千秋『教科書で出会った名作一〇〇』が文庫になったので通読してみました。教科書に掲載されている作品群の書きだしが右頁に、石原千秋による評論が左頁に書かれていて、見開き二頁にぎっしりと豊かな情報と情緒が展開する、楽しい一冊です。子どものころ、国語の教科書を読むのが好きだったという方ならきっと楽しめると思います。おすすめです。私は読書好きにしてはめずらしく「国語」の教科書は特段好きでもなかったです。「国語の教科書が好きだった」という友人たちに囲まれてきて、便覧は好きだったけど教科書には思い入れがなかったなあと、自分でもその事態をちょっと不思議に思っていました。今回この『教科書で出会った名作一〇〇』を読んで、あ、そっか、と実感したことがありました。「近代文学」も、それが中心になっていたかつての「国語」も男の子たちの、少年たちのためのものなんですよね。私は関係なかった。読者として想定されてませんでした。関係ないじゃんとは思うものの、そこにしか入り口がないような気がして、「関係ない」の言葉を飲み込んでいたのですね。確かに入り口はそこにしかなく、しかし関係ないのも結局事実なのでした。

印象に残っている表現、いくつか

なぜ、わたしは計画をしてはいけないんでしょう? なぜ、わたしは喜んではいけないんでしょう? 

アガサ・クリスティーハロウィーン・パーティ』中村能三訳 p.234)

たぶん午前中にちょっとネアンデルタール人みたいな生きものがヘリコプターからぼうっとして降りてきてどすどす歩き回ってるのに会ったと思いますが、あれがじつはぼくだったのです。 

ダグラス・アダムス、マーク・カーワディン『これが見納め 絶滅危惧の生きものたちに会いに行く』安原和見訳 p.218

 ミセス・オリヴァの心は、六つか七つの頃の自分の上にふっとかえっていった。イギリスの道にはすこしきつすぎるボタン留めブーツをはいて歩いていた子供。乳母(ナニー)のインドやエジプトの話を聞きいっていた子供。そして、これがその頃の乳母なのだ。ミセス・マッチャムが乳母だったのだ。ミセス・オリヴァは昔の乳母の後から部屋を出ながら、あたりを見まわした。少女たち、小学生の男の子たち、子供たち、いろんな年頃の大人たちの写真、彼らは昔の乳母を忘れず、ほとんどが晴れ着を着飾り、きれいな額縁に入れて送ってきたのだ。彼らがいるからこそ、この乳母はわずかな当てがい扶持で、なんとか楽しい晩年を送っているのだ。ミセス・オリヴァはとつぜん、わっと泣きだしたくなった。 

アガサ・クリスティー『象は忘れない』中村能三訳 p.148)

司令官が倒れたら、モナミ、副司令官が指揮を執るものです。きみが私のあとを引き継ぐのです。 

アガサ・クリスティー『カーテン』田口俊樹訳 p.298)

写真はコーデリアにただひとつのことを物語っているだけだった。少なくともそれが撮影された一瞬には、彼はどうすれば幸福に見えるか知っていたということだ。彼女は写真を封筒に戻した。両手でそれを守るようにした。コーデリアは眠った。 

P・D・ジェイムズ『女には向かない職業』小泉喜美子訳 p.58)

不平等が標準的規範になり、勝者と敗者の存在が際立たせられた世界には、市民性や公共の概念、正義への関心が喪失される事態が波及的に訪れる 

内藤千珠子『「アイドルの国」の性暴力』 p.77)

写真の女の動きを思い出した。映像はすでに幾度も見ている。石のようなものを投げつけようとしてはためらう。それを繰り返した挙げ句、なにもせずに帰っていった。その背中がことさら寂しげに映ったものだった。

深町秋生「苦い制裁」『探偵は女手ひとつ』 p.280)

 わたしはいま、"ふらり" という言葉を意識的に使った。小説のなかでは、若者たちははちきれそうなエネルギーを発散させている。しかし、じっさいにわたしが出会う若者たちは、やさしい生霊のような雰囲気をまとっているのだ。

アガサ・クリスティミス・マープル最初の事件 牧師館の殺人』山田順子訳 p.21)

「不平等が標準的規範」になっているようなところで生きていると(『「アイドルの国」の性暴力』)、私たちは何度も何度も目の前で扉がしまるような経験を積み重ねることになり、その過程で根深い分断と孤立の問題に巻き込まれ、人の話をただ聞く、読む、事実に触れるといった機会が失われていきます。生存にかかわる問題ですら知らされず、知っていても知らないかのようにふるまうことを強いられる毎日の中で、だれかが人知れず何かに触れている瞬間を目にすると、やはり心が動きます。

📚 おわり 📚

 

2023 年、半年間の読書記録