プール雨

幽霊について

ケネス・ブラナーのエルキュール・ポアロ

 小さな人たちのお部屋を

ピントは合っていないが、貼る

模様替えしました。

多少、春らしく

 今日はケネス・ブラナーの「ナイル殺人事件」を見ました。「オリエント急行殺人事件」と「ベネチアの亡霊」の間に公開された、ケネス・ブラナーによるポアロのシリーズです。

 アガサ・クリスティー『ナイルに死す』("Death on the Nile")は以前から「映像化不可能では」と思っていて、それでもスーシェ版なんかを見ては、見る度に「うーん、やっぱり無理なのでは」とうなってきたという経緯があり、スキップしてました。

 今回何となく見てみたら、三作の中で一番おもしろかったです。

 クリスティーの話にはちょくちょく、支配的に振る舞う母親ないし母親のような立場にいる人と虐待される子ども達が出てきます。この原作にもそれに近い人物やほかにも事情を抱えた人物が出てきて、一人ひとりの問題が重いです。それが船旅の間に発覚して、殺人事件の捜査と平行してときほぐされていったり、あるいはその可能性が見えたりするところが魅力です。

 また、クリスティーという人はたいへんなアイデア家であって、ポアロシリーズの前半などは「よくこんなに次から次へと新しいアイデアが出るなあ!」と驚くほどです。同時に、そのアイデアの構造のせいで話に無理が出る場合も多く、そうすると私は「これは映像化できないな」と思います。されてるんですけど。でも、生身の人間がやると変になっちゃうな、という話がいっぱいある。残酷すぎたり。

 ケネス・ブラナー版の「オリエント急行殺人事件」「ナイル殺人事件」「ベネチアの亡霊」と三作ならべると、私はどれもその種の難しさを湛えた話を選んでいるなと感じます。ファンとして作家として「書き直してみたい」という欲が出るのかなと想像をかきたてられるような事態です。でも、よく考えると、クリスティーの小説って、一冊だけ取り出した場合は結構、どれもそういう問題があるのかもしれない。「なにかクリスティーでおすすめない?」とよく質問されます。これが私には答えづらいのです。一冊、特にこれと言えない。強いて言うと……『春にして君を離れ』とか? 『オリエント急行殺人事件』なんかも、少なくともこれの前の『エッジウェア卿の死』から読まないと、私にはモチーフが見えなかった。ポアロならポアロ、マープルならマープルをずーっと読んでると、あるときふっと実在の人物のような気がしてきて、冒頭から一文一文、一句一句に必然性を感じるようになる。それがクリスティーの楽しさだという気がします。自分にとっては。

 ケネス・ブラナーの三部作(?)は、三作そろえて眺めてみると、ポアロの後悔というか、自分はそこにいるけれども、もう間に合わない、間に合わなかったという悲しみがおしよせるようで、そういうブラナーのポアロ像が見えてきました。それに、「ナイル殺人事件」の改変はどれも見事で、理想の(そういうものがあるとすれば)"Death on the Nile" に近づいているのではないでしょうか。成功した批評のひとつだと思います。改変部分が「クリスティーならこういうことを書き得たかも」という気がするのもまた、読者として喜びがありました。ポアロが嘘をつかれて激高する場面は「これは確かにポアロだ」と思えましたし。「ベネチアの亡霊」では、被害者を原作から変えたのははげしく納得できたんですけど、マダム・オリヴァとの関係がごちゃごちゃしていて、ちょっとうまく観客として取り組めなかったし(先に「ナイル……」を見ていればもしかして理解できたかも?)、「オリエント急行殺人事件」はやっぱりシリーズの最初にこれをもってこられると私はうまく読めないなあという感想にとどまりました。でも三作並べたときに見える後悔と哀しみを抱えたポアロ像は魅力的だし、今日的です。シャンパンで酔っ払ったポアロの告白は痛切で、たまらなかったです。

まぶしいです

 小説も映画も、どこから見たっていいのですけど、やっぱりリリース順に見た方がいいですね。

📚 おしまい 🎥