プール雨

幽霊について

伊勢物語 第十段

一〜五 六(芥川)

七〜九(かきつばた) 九(宇津の山べの、時知らぬ山、都鳥)

 東下りの続き。男、武蔵の国にて。

 むかしのことだ。ある男が武蔵の国までふらふらと歩いて行った。そこで、その国に住んでいた女に言い寄った。女の父親は別の男と結婚させようと言ったが、母親が相手の身分に執心していた。父親は貴族でない、ふつうの身分の人で、母親は藤原氏の出だった。そういうわけで、娘は高貴な人に、と考えたのだった。そして、この婿になる予定の相手に歌を詠んでよこした。この家族の住む所は入間郡三芳野の里であった。

   みよし野の(三芳野の

   たのむの雁も(田の面にいる雁も私の娘も

   ひたぶるに(ひたすらに

   君が方にぞ(あなたの方にばかり

   よると鳴くなる(気持ちが向かうと鳴いているようです

 これに、婿になる予定の男が返事として

   わが方に(私の方に

   よると鳴くなる(心を寄せて鳴いているという

   みよし野の(三芳野の

   たのむの雁を(私を頼りにしているという雁を

   いつか忘れむ(いつ忘れるでしょうか、いえ、忘れることはありません

 と詠んだ。京をはなれたよその人の国でも、やはりこのようなことこそ、男はせずにいられないのだった。

 「ひたぶる」は「引板(ひた)振る」と「ひたすら」の意味の「ひたぶる」の掛詞。訳せない。掛詞部分は訳せないよ〜。

 田んぼに集まる鳥を追い払うのに「引板」を振って鳴子を慣らしたのだそうです。その、秋の稲穂と雁と鳴子の音の風景に、娘の一途な気持ちが二重映しになっているのですね。盛り上がっています。お母さんが。

 どちらの歌も「古今六帖」に収録で、詠み人知らずだと思います。「伊勢物語」の編者はこういうのを間にちょこちょこと入れていって「男」像をふくらませていったんですね。通読してみないとそのイメージがかたまらないな。イメージをもたずにこうしてどしどし書いていくのは初めてなので、いったいどうなることやらと思っています。

 今週はくたびれているのでここまで。

 今週の「光る君へ」はテレパシー回でした。テレパシーがあって、夜でもすごく明るい世界です。宮中に出仕している女房がずっと妖怪みたいに描写されてるのも回をおうごとに気になって参りました。もう、こうなってくると天皇の妃や貴族の姫君たちが端近で御簾をがんがんにあげてくらしているのとか全然気になりません。

 この年になるとそうそう驚かなくなりますが、冒頭のテレパシーにはびっくりしました。テレパシーは共通の先行テクストをかかえる「神作家紫式部のありえない日々」にも出てくるので、私の知らない元ネタがあるのか……? と不安になってきました。「栄花物語」にそういうくだりが? 道長エスパー説とか。

 ま、でも私も、心と心で会話してるときありますから。母親との一触即発の状態を叔母がまばたきひとつで止めたこと、ありますもん。

 ここで激白すると吉高由里子黒木華が好きなので、そろそろ正気を失うかもしれません。でも、「伊勢物語」はいい機会なので、このまま読んでいきたいと存じます。

 ではまた来週ฅʕ·ᴥ·ʔฅ

🌾 おしまい 🦅