大河ドラマ『光る君へ』に引用されることになるであろう『源氏物語』。この機会に『源氏』を読んでみようという方もおられるかと思います。私は『源氏物語』を読むのはちょっと面倒なので、『源氏』のネタ元のひとつ、『伊勢物語』を通読してみることにしました。『源氏』の光る君は、源氏を賜って臣籍に降下した賜姓皇族です。帝の地位を争うことなく、いち政治家として生きていく立場です。このモデルのひとりであろうと言われているのが在原業平で、父は平城天皇の皇子、母は桓武天皇の皇女という生まれでありながら、在原朝臣姓を賜って臣籍に降りました。臣籍に下った直後は政治の主流とはすこし距離があったようで、官職についた記録がない時期などもあります。しかし最終的には要職につき、歌人としても成功しています。美貌であったという伝説もあり、『伊勢物語』に多くの歌が収められ、これに登場する「男」と同一視されています。高貴な生まれでありながら、臣籍にくだり、自由闊達に歌を詠み、友人達とのエピソードも潤沢に残っている貴公子とくれば、いくらでも噂になりそうです。
とりあえず、ただ読むよりは訳した方が早そうなので、訳しながら読んでいきたいと思います。半年くらいかかるかな、と予想しています。
テキストは岩波文庫の大津有一校注『伊勢物語』です。極力、ない言葉は補わず、直訳します。
一
むかし、男が元服をして、平城京の春日の里に所領している縁があって、鷹狩りに行った。その里に、とても優雅な姉妹が住んでいた。この男は、その姉妹を垣間見てしまった。思いがけず旧都にひどく不似合いな若々しい姉妹が住んでいたものだから、男はあわててしまった。彼は着ていた狩衣の裾を切って、それに歌を書いて送った。男はしのぶ摺りの狩衣を着ていた。歌に、
かすが野の(春日野に咲く
若紫の(若い紫草を見て
すり衣(摺り衣の
しのぶのみだれ(忍草模様のように乱れる私の心の乱れは
限り知られず(限りないことです
と、すぐに詠んで渡した。男はこの(旧都に優美な姉妹を見かけたとき、たまたましのぶ摺りの衣を着ていたという)なりゆきが趣あることだと思ったのだろう。
みちのくの(陸奥の
忍ぶもぢずり(忍ぶ草の捩じ摺りのように心が乱れてしまった
誰ゆゑに(ほかの誰かのせいで
みだれそめにし(心乱れはじめた
我ならなくに(私ではありませんのに、あなたにはわかりませんか
という歌と同じ趣向である。むかしの人は、このように直截に、洗練された恋のふるまいをしたのですね。
「みちのくの……」以降は後で追加した部分でしょうか。
平安遷都間もない頃のエピソードです。叙爵の記録を見ると、在原業平は初冠が遅かったもよう。初冠というと十代を思い浮かべますが、このとき、二十代も半ばだったとか。
二
むかし、男がいた。都は平城京から離れ、今のこの都は人家もまだ定着していなかった、そんなころ、西の京に女がいた。その女は、世間の人にくらべると、すぐれていた。その人は、姿よりも心がすぐれていた。ひとりだけで暮らしていたわけでもなかったようだ。その人とあのまじめな男がいろいろと話し込んで、帰ってきて、どう考えたものか、時は三月一日、雨がそぼ降る折に歌を詠んで送った。
起きもせず(あなたとともに起き上がりもせず、
寝もせで夜を(眠ることもせずに夜を
あかしては(明かして、
春の物とて(今日も春のならいとして
ながめ暮らしつ(長雨を眺めてぼんやりと一日暮らしてしまいました
一晩中話をした相手に、一晩中話しましたね、今は雨が降っていて、物思いにふけっていますと歌いかける青年。でも相手はひとり身だというわけでもないという、一段とは対照的な情緒のある話です。こういう、歌で終わっている章段が元々のかたちなのかなあ。
三
むかし、男がいた。思いを寄せた女のところに、ひじきもという物を送るのにことづけて、
思ひあらば(思ってくださるのなら
葎の宿に(葎の生い茂るあばらやで
寝もしなむ(共寝をしましょう
ひじきものには(引き敷くものには
袖をしつゝも(二人の袖があればいいでしょう
これは、二条の后が、まだ帝のところに出仕なさらないで、ふつうの人としていらっしゃった時の話です。
二条の后は藤原高子(たかいこ)。清和天皇の女御として入内し、中宮になりました。「ふつうの人」と曖昧に訳しましたが、原文では「ただ人」で、天皇に対して「ふつうの人」なので、「臣下の身分」といったほどの意味です。「これは、二条の……」の説明も、のちの人が追加した内容のような感じです。
四
むかし、東の五条に、大后の宮がお住まいだったお邸の西の対(たい)に住む人がいた。その人に、そうなるのが望ましいことではないが、心深く慕っていた男が訪れていたのだが、正月の十日ごろに、その西の対にいた人は姿を隠してしまった。男はその人の居所を聞いたけれど、ふつうの身分の人が行ってよい場所ではなかったから、なすすべなく、やりきれない気持ちで過ごしていた。明くる年の正月、梅の花ざかりのころ、一年前のこのことを恋しく思って、東の五条の邸の西の対に行って、立って見て、座ってまた見て、見はするものの、去年と同じであるはずもない。男は泣いて、荒れ果てた対の板敷きの部屋に月が傾くまでふせって、去年のことを思い出して詠んだ。
月やあらぬ(月は昔の月ではない
春や昔の(春は昔の
春ならぬ(春ではない
我が身ひとつは(我が身だけが
もとの身にして(去年とかわらないままおきざりにされて
と、そう詠んで、夜がほのぼのと明けると、泣く泣く帰っていった。
「そうなるのが望ましいことではないが」と訳した部分は「本意にはあらで」で、かねてより、そうなることを本心から希望していたわけではないが、というほどの意味。入内前で皇太后の邸あずかりになっている藤原の娘のところに、「ただ人」が通うのは「本意」ではないが、どうしても気持ちがそうなってしまったということ。
五
むかし、男がいた。東の五条あたりにこっそりと通っていた。ひそかに通っている所だから、門から入ることができず、童子が踏み開けておいた土塀のくずれたところから通った。そこは人が頻繁に行き交うようなところでもないが、男が通うのが度重なったので、邸の主人が聞きつけて、その築地のくずれた通い道に、夜ごとに人を置いて警護させたから、男は行っても会うことができずに帰ったのである。そこで詠んだ。
人知れぬ(人知れぬ
わが通ひ路の(私の通い路の
関守は(関守は
よひよひごとに(毎夜毎夜
うちも寝ななむ(眠ってしまってほしい
と、そのように詠んだので、男と会っていた人はたいそうひどく心をいためた。それで主人は男の通うのを許した。
この話は、男が二条の后をこっそり訪ねて行ったのを、世間の目があるので、后の兄たちが見はらせておられていたのだとか。
子ども達が通っていく土塀のくずれたところを、男がこそこそと入って通っていくところを想像するとちょっとおかしいけれども、本人は必死です。
四・五段は高子を指す「女」という言葉は出てこなくて、ずっと「人」なので、訳文もそのようにしました。
こうやって読むと、いきなり高子の話で始まらず、奈良の旧都の話が最初に来て、「昔の人ってこんな風に、『わあ、きれいだ』とか思うと即歌に詠んだのですね〜」と始まるのが、「異世界の入り口」みたいでよいと思います。
次の段が芥川なので訳してしまうと切りがよかったのですけれども、今日はここまでにいたしとうございます。つかれちゃった。
📚 おしまい 📚