プール雨

幽霊について

伊勢物語 第六段

 「光る君へ」の感想を読んでみたら、結構多くの人にとって、平安時代って遠いんだなということがわかりました。「藤原が多すぎ」とか。摂関政治の時代が舞台だから、これはもう逃れようがない上に、名前も似ているので字幕を出してほしいレベルです。道隆道綱道兼道義道長道頼……。「道」「兼」「隆」「頼」「家」「経」あたりの字をシャッフルして「藤原氏にいそうでいない名前」をつくる遊びとか、眠れない夜にいい暇つぶしになりそうです。ちなみに道家さんはいます。苗字は九条なんですけど、藤原氏です。鎌倉四代将軍頼経のお父さんです。大河ドラマ「鎌倉殿の 13 人」には出てきました?

 私の各時代との距離感はこうです。

  • 飛鳥時代は基本的に『日出処の天子』から一歩も出ない。
  • 奈良・平安時代は古語の基本が整っていく過程なので、少しはなじみがある。
  • 中世はよくわからない(鎌倉時代の辺りはなにもかもが難しい。室町時代は今に続く文物が出てくるので多少なじみが出てくるが応仁の乱はさっぱりわからない。戦国時代は国と言えるのか? というくらい漠然としている。安土桃山はもう戦国鍋+北野武色になってしまった)
  • 近世になると今度は古語の研究が進むので「がんばってくれい」と親しみがわき、近代はまあ、つい昨日のことなのに結構いろいろわからないがとりあえず「自分は全然わかっていない」ことはわかっている。

 だから今度大河で『十六夜日記』などをやってくれると私の勉強になって助かります。

 そういうわけで中古(平安時代の辺りをこのように呼ぶ場合があります。古代、中古、中世、近世のくくりで)は別に専門ではないので(野草専門の人にとっての藻類くらいの感じ)、ちょこちょこ確認しつつ読みたいと思います。今日は第六段、有名な芥川のくだりです。いきなりクライマックス。

 むかし、男がいた。

 とても思いがとげられそうにない女を長年求めてきて、その人をやっとのことで盗み出して、たいそう暗いなかを逃げてやって来た。

 芥川という河のほとりを、女をつれていったところ、女は草の葉の上に降りていた露のことを、「あれは何ですか?」と男に尋ねた。

 まだ先は遠く、夜も更けてしまい、男はそこが鬼のいる所とも知らない。雷までひどく鳴り、雨もひどく降ったものだから、男は荒れ果てて戸や障子もない蔵の奥に女を押し入れて、自分は弓や胡籙(やなぐい)を背負って戸口にいた。「早く夜が明けてほしい」と思いながら座っていたら、その間に鬼はあっという間に一口で女を食べてしまった。「ああ!」と女は声を上げたけれど、雷が鳴るさわぎのなかで男は女の声を聞きつけることができなかった。次第に夜が明けてゆき、男が奧を見ると、つれてきた女がいない。男はくやしさに地団駄をふんで泣いたが、どうしようもない。

   白玉か(あれは真珠ですか

   なにぞと人の(何なのですかとあの人が

   問ひし時(訊いた時

   露と答えて(あれは露だよと答えて

   消えなましものを(消えてしまえばよかった

 これは、二条の后がいとこの女御のおそばにお仕えするようなかたちでいらっしゃったとき、そのお姿がとても美しくていらっしゃったので、男が背負って出ていってしまったのを、兄上の堀河大臣と長兄の国経大納言が官位が低かったころに参内していらっしゃって、ひどく泣く人があるのを聞きつけ、男を止めて、后を取り返してしまわれた、そのときの話なのでした。それを、このように「鬼が食べた」と言ったのですね。まだ后がとてもお若くて、入内なさる前、ふつうの方でおられたときのことだとかいうことです。

 というわけで、男は鬼を見ていないんですね。それを「鬼」と言ったのは語り手で、語り手は二人出てきますけど、どちらも男に同情的です。

 冒頭の「女の得まじかりけるを」は逐語訳すると「女で、自分のものにすることはできそうになかった女を」となります。助詞「の」の同格と呼ばれる用法で、現代語には残っていません。「の」の前の「女」と「得まじかりける」が同じものを指していますから、厳密に直訳するとなると「女で、……女を」と訳すことになります。そう訳した方が原文のニュアンスに近くはなるのですけれども、現代語にない用法なので、「とても思いがとげられそうにない女を」としました。でも高校生に教えるとしたらこうは訳さないです。最初に「女の」と言っていることもそれなりに重要ですし。

 あんまり原文から遠い表現にはしたくないのですが、「あらず」を「あらない」とか書いてもしょうがないですし、どうしてもこういう箇所は出てくると思います。

 「これは、二条の后が……」の部分は元々なかった箇所だと思うので文体を変えました。今後も、その辺りは訳し分けられるといいのですが、そうもいかない章段もあるでしょう。

 「得まじかりける(女)」と言うくらいだから高貴な女で、ふだん御簾の奧にいてほとんど外に出ないから、草の葉の上でたまになっていた露を「あれはなに?」と聞いた。女の言葉はこの「かれは何ぞ」だけで、これに男は答えなかった。「『かれは何ぞ』となむ男に問ひける」の後、答えるのかと思ったら、「ゆくさき多く、夜もふけにければ、鬼ある所とも知らで、神さへいといみじう鳴り雨も降りければ、あばらなる蔵に、女をば奧に押し入れて、男、弓・胡籙を負ひて戸口に居り」と続く。先は長い、夜は更けた、雷がなり、雨も降る、蔵の奥に女を押し入れ、自分は戸口を守った、というこのたたみかけが切ないなあと思います。このかけがねがはずれちゃったまま、「鬼はや一口に食ひてけり」まであっという間に進んでしまうところが、理屈から見ると気持ち悪いけど、心情の側から言うとこれ以上にない気がする。その、間違ったまま「消えてしまいたかった」まで一気に行くところがおもしろかったです。*1

👹 おしまい 💍

*1:この記事をアップロード直後、文章のかかりうけにおかしいところを発見して、あわてて直して再アップしたら、その直している数分の間に読んでくださった方がいて、当該箇所を引用スターしておられました。ごめんなさい。そこ削ってしまいました……。