プール雨

幽霊について

伊勢物語 第七、八、九段(かきつばたまで)

 「光る君へ」は第二話にして完全に異空間に飛び、いつのどこのなにかわからなくなりました。

 かなり思い切っています。

 道長とまひろ以外は語彙が貧弱で、たいへんあけすけな言葉遣いをされます。こんな端近で、そんな話をそんな語彙で? ということが続きました。その中で主人公の二人だけがかっこいい語彙、かっこいい文体で豊かに語る、ということのようです。掃きだめに鶴式言語体系を二話にしてねりあげました。これがスラッシャー・フィルムなら、言葉遣いがかっこいい人だけが生き残る話になるところですが、さすがに殺人鬼は出てこないと思われます。多分。

 でも、復讐が成就してしまう可能性もあるし。意外とはやく死んでしまう××を××が殺す展開になったらイヤすぎるなあ。

 ……。

 それでは「光る君へ」に引用されている「源氏物語」(次回は予告の絵からすると帚木展開ありそうですね。いやすぎる)の先行文献「伊勢物語」を今週も読んでみます。

 〜前回まで〜

 ここから東下りに入ります。

 むかし、男がいた。

 京に住みかねて、東国に行くことにした。

 伊勢と尾張の国境を海伝いに行き、波がとても白く立っているのを見て、

   いとどしく(ますます

   過ぎゆく方の(過ぎてきたところが

   恋しきに(恋しいときに

   うらやましくも(うらやましいことに

   かへる浪かな(沖へ還っていくんだね、波よ

 と詠んだのだった。

 六段まで和歌部分を適当に流してきたことが悔やまれます。ここから徐々にちゃんとしていこう。「いとどしく……」は業平作。「後撰集」に収められています。「うらやましくも」の部分は掛詞になっているのですが訳せませんでした。今目にしている「浦」と「山」の風景と「うらやまし」の。声に出して読むと、詠み手の来た道と海の風景と恋しい都への気持ちが重なるような気もしますが、訳せない。

 むかし、男がいた。京は住みづらかったのだろうか。東国に行って住む場所を探したいといって、ともとする人を一人、二人つれて行った。

 信濃の国浅間山にけむりが立つのを見て詠んだ。

   信濃なる(信濃にある

   浅間の嶽に(浅間山

   たつけぶり(立つ煙が

   をちこち人の(あちこち流れた先で人が

   見やはとがめぬ(見て変だと思わないわけないよね

 「信濃なる……」は詠み人知らず。「新古今集」に業平作として収められているのですが、典拠がこの「伊勢物語」で、おそらくは浅間山周辺で人びとに親しまれた古歌であっただろうと推測されています*1

 「やは」は強い疑問、反語の意味で、「けぶり」を「人」が「見とがめ」ないだろうか、いや、見て変だと思うでしょうというほどの意味になります。七段に波のようには自分は帰れないと都を懐かしむ歌が置かれているので、この「けぶり」は旅人本人のことで、その姿が人びとに見られて「どうしたのかな」と思われてしまうというような歌なのかなあと思うこともあるのですが、どうもそうは読めないみたいですね。激しく吹き出された煙は好き勝手に風に乗って流れていく、それを見た人はきっと「あれはなんだ、どうした」と不思議に思うだろう、という、そういう山の歌。旅人はまた、都に背を向けて歩いて行くしかない。

 ところで、第七段は「むかし、をとこありけり。京にありわびて、あづまにいきけるに……」と始まり、第八段は「むかし、をとこありけり。京や住み憂かりけむ、あづまの方に行きて……」と始まります。「ありわび」、「住み憂かりけむ」と住みづらそうな感じが増していって、次の第九段ではついに「そのをとこ、身をえうなき物に思ひなして(その男、自身をこの世に無用なものと思い)」と来ます。なにがあった〜。

(一)かきつばた

 むかし、男がいた。

 その男、自分自身を無用なものとみなし、都には住むまい、東国の方に住める場所を探そうと考えて、出ていってしまった。昔から友とする人、ひとりふたりとつれだって行ったのだった。道を知っている人もおらず、迷いながら行った。

 三河の国、八橋(やつはし)という所に行き着いた。そこを八橋と呼んだのは、流れる川が蜘蛛の脚のように枝分かれしていて、そこに橋を八つ渡していたので、それでそう呼んだのである。その川のほとりの木陰に馬からおりて座り、一行は弁当の乾飯(かれいい)を食べた。川のほとりにはかきつばたが趣深く咲いていた。それを見て、ある人がこう言った。「かきつばたという五文字を各句の一文字目に置いて、旅の心を詠みなさいな」。それでこう詠んだ。

  から衣(

  きつつなれにし(着続けて身に馴れたこの唐衣。そのつまではないが、

  つましあれば(慣れ親しんだ妻が都にいることを思えば

  はるばるきぬる(はるばる遠くまで来てしまった

  旅をしぞ思ふ(この旅路の遠さを思ってしまう

 一行の人びとは皆、乾飯の上に涙を落として泣き、それで乾飯がふやけるほどだった。

 九段の途中ですが、つかれちゃったのでここまでにいたしとうございます。「から衣……」は業平。「古今集」にも「業平集」にも収められています。折句の作例で有名で、今でも折に触れて読まれる歌です。「から衣」は「唐衣」で「着る」の枕詞。掛詞もたっぷりで技巧を凝らしていますが、情緒としてはシンプルでややこしくない。

 「あづま」は逢坂の関から見て東なので範囲が広く、今だと「箱根より東」という感じですけど、ここでは「信濃遠江より東」くらいの感じですね。

🚶おしまい 🚶

*1:『日本古典文学全集 12 伊勢物語』、阿部俊子『全訳註 伊勢物語』等を参照しました。