プール雨

幽霊について

『エッジウェア卿の死』に謝罪する

 以下の記録に、アガサ・クリスティー『エッジウェア卿の死』について「謎の美青年が単に謎の美青年でした」と書いてあり、ふと読み返してみたところ、「単に」ということはなかったので、『エッジウェア卿の死』に謝罪し、釈明をこころみたいと思います。

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 『エッジウェア卿の死』は次のように幕が上がります。

 エッジウェア卿が遺体で発見される。容疑者は別居中の妻、ジェーン。卿殺害の夜、彼女が邸にやってきたところを執事と秘書が目撃しているからだ。しかしジェーンは同時刻、別の晩餐会に参加し、そこでにこやかに人々と会話を楽しんでいた。

 この目撃者の一人である執事登場は以下の通り。

 玄関のドアはすぐ開かれた——がドアをあけてくれたのは、想像していたような、邸の外観に似つかわしい年寄りの、白髪の執事ではなかった。想像とはおよそ正反対の、若い——しかもまれにみる美男子の執事だった。背丈は高く、ふさふさと垂れた金髪——ヘルメスかアポロのモデルにもふさわしい美丈夫である。が、その美貌にもかかわらず、なにかしら、男らしさの欠けたところがピンと私の印象にきた。彼のもの柔らかな声が、私の耳に嫌らしく響いた。と同時に、ある奇妙な感じから、彼は私に、誰かを——そうだ、それも、私がごく最近会ったことのある誰かを思いださせた。しかし、いくら首をひねっても、それが誰だったのかどうしても思いだせなかった。 (アガサ・クリスティー『エッジウェア卿の死』福島正実訳 p.67 より)

 語り手はヘイスティングズポアロをして「ほとんど完璧に近い正常(ノーマル)なる人間精神」(同 p.230)を内に宿すと言わしめる人物です。 

 執事、次の登場シーン。

「執事はもうどのくらいあそこに勤めているのだろう?」

「六カ月です。ところで、すごい美男子だ。」

「そう、まったくねえ。しかし、六カ月しかたっていないとすれば、エッジウェア卿夫人をまちがいなく確認することはできないはずです——彼が以前彼女に会ったことがないかぎりは」 (同 p.120)

 出てくる度に美しさに驚かれていて、会った人はみな脈絡もなく「美しい」とつぶやいてしまっています。

 次。

 玄関のドアが、例の美男の執事の手であけられた。

 ジャップは先頭に進み、私とポアロは後につづいた。ドアは左側に開かれたので、執事はそちらの側の壁を背にして立つことになった。ポアロは私の右側に並んでいたが、私より背が低いので、執事がポアロに気がついたのはわれわれがホールの中ほどへ足を踏み出したときだった。

 執事にいちばん身近だった私、突然彼が息をのむ気配を感じた。そして、振り向くと、顔面にありありと驚愕の色を浮かべてポアロを凝視している男の顔にぶつかった、私はそれがなんの意味かも知らぬまま、その事実をすぐに心の外へ追い出してしまった。 (同 p.123)

 ついに「例の美男の」という枕詞つき。そして意味ありげな気配。

  次。

「……秘書の女は、あれは大丈夫。じつにてきぱきした、しっかりした女ですな。それから執事がいる。私はこいつはあまり好かない。あんな美貌を持って生まれた男というのは不自然なものですな。なにか臭いところがある。だいたい、やつがエッジウェア卿の邸に奉公に入ってきたこと自体が変な気がする。いまやつの身許を調査中ですがね、しかし、とくに卿を殺す動機もないようですよ」 (同 p.252)

 これ以上引用するとまずいことが起こるので、ここまで。

 この、たいへんな美貌の執事、美しすぎてヘイスティングズにもジャップにも違和感(というか、偏見)を抱かせてしまいます。違和感を抱く方に問題があるのですが、それはともかく、繰り返し「美しすぎて変」と語られるので、「この美しさがなんだっつうのさ」と初読のときの私は思い、そしてそれが特に何でもないまま話に幕が下り、「おや?」と本を閉じ、「謎の美青年が単に謎の美青年でした」と感想をメモしました。

 時は流れて私は思いました。「いや、いくら何でもあれだけ『美しすぎて落ち着かない』と書かれておいて、それが物語上何の意味もないということはなかろうよ」と。そして再読したら、読んで数十頁のところに「意味」は書いてありました。意味というか事情というか。まあ、それがどういうことかは書けないのですけど、「あー、意味あった。そりゃそうだ、なんでそんなにぼさっと読んでたんだろう」と反省しきりであらためてごりごりと読んで、たいへんなことが起きました。

破壊

 見返しが取れた。

手術

解決

 そう、私は見返しをはさみながら読む人間。

 早川文庫は見返しに登場人物一覧があって、登場人物の名前が終盤まで覚えられない私にはとっても便利。

重々しい表情でミステリを読むぐすてんぬ

 この『エッジウェア卿の死』はあの『オリエント急行殺人事件』の一つ前に刊行された話で、その順番通りに読むと、オリエントでの仕掛けがちょこっとエッジウェアでも出ているし、エッジウェアでポアロがこの上なくうまい嘘にだまされて激高するのに対して、オリエントでは下手な嘘を聞かされて苦しむというわけで、色々と地続きなことがわかります。私は長いことこの『オリエント急行殺人事件』の読み方がよくわからなくてぴんと来ていなかったのですが、『エッジウェア卿の死』からの流れで読むとテーマがはっきりするわけなのですね。

 全然わかってなかったわ〜。

 

📚 完 📚

 

追記:ドラマ版のリンクをはっつけておきます。

#47 エッジウェア卿の死

#47 エッジウェア卿の死

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 ドラマ版では「例の美男の」と言われるような執事がどう登場するかというと……それは見てのお楽しみฅʕ·ᴥ·ʔฅ